僕は本来仕事人間だから、さんざん言われたように、電力会社向きではなかった。しかも、親の希望(田舎に住みたい)を満たすため 生まれ故郷ではない電力に入った。せめて地域の発展に貢献したいと考えた。僕はシンプルで純粋なんだ。
実績は多すぎて紹介しきれないが、重要度からは原子力プラント伊方3号関係がトップかな。
1.伊方3号着工の課題だったクロメ藻場造成試験を成功させた。僕は研究所にペイペイ(Pay Payじゃない)でいた。建設部門からの要請を所長ほか偉い人たちに交じって聞いた。敷地確保に山を削り、土砂で海を埋め立てると藻場が消滅する。藻場の再生する保証が無いと着工できない。最後に残された重要課題だった。
所長はやりたくないとはっきり仰った。重い沈黙。僕は「所長やりましょう」と言った。ペイペイの言うことじゃないね。そこで、所長の命令で調査し、可能性を確認して実験した。1m角の岩石ブロックを3個、前面海域に設置。芽が全部貝などに食べられてしまうなど大変だった。何とか成功し、その報告の1か月後に着工が発表された。
2.同じく伊方3号に必要な水理実験設備を設置した。新しい研究所建設の目玉は水理実験室だった。建屋は建築、水まわりは土木の各部門、僕は設備全般を担当した。最も苦労したのは実験用のクレーンだった。建築が天井高さ1m下げの了解を副社長から得たため、法律的にクレーン設置が出来なくなった。
この状況では伊方3号の予定も遅れる。上司のお二人は高さ6mぐらいだったかの床から腹ばいになってクレーンに乗り込む案を示した。僕は業務開始時、安全第一を宣言していた。無理な案は、相手が上司でも絶対に譲らなった。明けても暮れても業者を呼んでは検討した。何とか法律を満たし安全作業が出来る方式を考案した。
3.伊方3号の環境アセスメント調査も実施した。冬は小さな漁船でマイナス寒波と1~2mの波にもまれながら1日中作業。戦艦に乗っていた人でさえ寝込んでしまい仕事できなかった。既存原発の内部に入り、コンデンサーの下での採水とプランクトン採取もきつかった。僕は所長に提案し、1年かけて海関連業者への委託とした。
誰も気付かなかったが、当時、多業務予測管理方式というリスク管理も含めた簡易なスケジュール管理方法を考案した。そのおかげで山のような業務を何事も無かったように間に合わせ、成し遂げた。これに勝る方式は今も知らない。
4.原子力向け戦略商品である新型電気温水器(負荷平準化)を開発した。営業部に所属した時、僕は全くの新米で開発プロジェクトのオブザーバーだった。ところがメーカー(関連企業)も含めた専門プロジェクトが前に進まない。僕が指示しスケジュールを引きなおした。これにより、既に目標時期に間に合わないことが分かり全員が驚いた。
僕はチームリーダーになると、目標に間に合わせるため従来案を大幅変更し、材質を見直し、制御方式を全自動に決定した。当時、営業所の所長は電気温水器販売で実績を上げると昇進しているとの噂が多く流された。FRPの電気温水器はかなりこだわって開発検討したが、コストが合わず実現しなかった。
話は変わるが、現在、三菱のMRJが大幅な開発遅れでキャンセルが相次でいる(僕は5年前に、大変なことになるよと改善案を政府の偉い人に提案したが)。具体的なことは分からなくても原因はアバウトでつかめる。皆さん、同じような間違いをおかすのだ。
続く!!