宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

名古屋大学で新しい進化論を発表:生命の戦略的進化説

2013年03月27日 18時40分24秒 | 生命

 電気学会で進化論を発表するのも いかがなものかと、自分でも思う。進化研究者が私の仮説に拒否反応を示すので専門の学会で発表できないのだ。ところが、前回発表した仮説を証明するような論文が発表されたのだ。そこで名古屋大学で4回目の電気学会発表となった。

 今回は特にDNAのうち、従来はジャンク(ガラクタ)と言われていた90%以上を占める領域に、経験や新たに得た形状性質などの情報を記憶させているとした仮説を証明する事例の論文が出されたことを報告した。DNAのうち、生命体の設計図として役立っているのは2%程度とされていた。

 私の考えでは、例えば皆さんが日々体験する出来事がRNAに記録され、特に繰り返しの頻度が多いほど、重要性が高いほど残り易く、最終的にDNAに転写される。つまり、ジャンクと言われていた部分に生命進化の戦略などこれまで明かされていなかった秘密が隠されている。この内容は世界中のどの文献にも書かれていない。私の全国大会論文とこのブログを除いて。

 様々な情報を記録させ所持しているから、課題を解決させる新たな方法を見つけ出すことが出来る。例えば、亀が卵の殻を破って飛び出すや、海に向かって走り出すのも、過去の記憶情報で、殻の破り方、海の方向の見つけ方、走り方を知っているので可能となっている。つまり本能と呼ばれるものはRNAに記録されている。

 皆さんが教科書で習った進化論には堂々とダーウィンの自然淘汰説が出てくる。進化は偶然に起こり、強い種が残り淘汰されるとの考え。その後の、ウイルス説、中立説、共生説などもダーウィン説の流れの中に位置づけられているようだ。

 ところが、ダーウィン進化説の基本である突然変異が新たな種類の生物を作るという保証は何もないのである。DNAは設計図、もしくはプログラムとデータのようなものである。その一部が変更されて、別の種類のまともな生命体が誕生するなどと考えるのは、余程楽観的でおめでたい人だ。

 例えば車の設計図がランダムに変更された場合、それがボンネットの色なら良いが、エンジンだったり、マイコン(小型計算機)だったりしたら決定的なトラブルとなり、動かなくなる。

 これに対して生命体には評価システムが存在し、生命維持を評価しているするのが私の基本仮説。生命システムの変化がより強い生命維持になるのかどうかを評価している。評価システムの存在が物質から生命(原始細胞)、原始細胞から人間へ進化させた。

 評価システムは2回目の発表で、細胞が損傷した時、損傷の状況を検知すること、DNAの設計図と比較して修復することから、論理的帰着として存在するとした。具体的な形や場所などを特定できないが、生体システムの中に同等の機能が存在するとした。

 何故、生物の専門家が私の考えを拒否するか?それは、ダーウィンがラマルクの獲得形質の遺伝を完全否定した信じられているからだ。ちょうど、アインシュタインがエーテル説を完全否定し勝利したとされているのと似ている。科学の大きな2つの謎は共に、主流の仮説がまるで定説のように扱われているからだ。何故か議論さえ許されない。排他的だ。

 

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安倍首相に要望済み:日本の未来を壊し続ける大学教育の改革

2013年03月24日 10時55分33秒 | 思考空間

 東大法学部は全大学の中の最高峰だ。ところが、東大法学部で上位を占めた卒業生が官僚となり日本を実質支配し、動かし、管理してきたにも拘らず、主要先進国日本のみが沈み続けてきたことは現代の歴史の明確な事実だ。

 頭は良いし、回転が速く、正確。ところが、頭脳の主要な部分が壊れているか相当ずれている。常識的な業務で120点取るが、より重要な課題、新しいテーマ(教科書の無いエリア)を解決できない。歯が立たない。

 つまり、日本の最高の大学をトップで卒業しても、未来を切り開く創造力も解決力も展開力も無いことを示している。失われた10年だの15年だの、最近では失われた20年と言われている。これは、官僚が自分たちの責任をかわすために流行らせたずるい造語である。要は東大を含めた全大学の存在、あり方そのものが間違い。

 日本の教育の要は大学入試に集中している。大学に入学さえできれば、あとはきちんと授業を受け、教授の言うとおりに回答を書いていれば成績も良くなるし、ところてんで卒業もできる。そのため、子供のころから記憶ロボットよろしく、試験に合格するためだけの情報を記憶するテクニックを叩きこまれる。

 理解は必要無い。試験問題を理解し、解答できる最低限度の理解力が有ればよい。例えば、分数計算は初歩的な算数でありながら、医学部で分数の意味が分からない学生が多数存在するというとんでもないことが起こる。

 教育は多くの企業が参入する一大産業となっている。文部化科学省が塾の必要性を認めたことは、官僚の既得権を増大させる策であり、教育の敗北・荒廃である。文部科学省はせっせと企業ビジネスに適するような内容や入試方法に変更してゆく。

 若い世代を見ると、民主主義がなにかも理解できていない。社会人としての義務や責任なんてとてもとても。まずは自分を安全なところにおいて流れには逆らわず、いじめには加担する。村社会維持派である。これが教育の欠陥と言わず何なのか。

 例えば、カビの生えた知識を覚えるよりはあいさつの仕方を訓練し、あるいは家族の守り方、子供の育て方を教わった方がよほど本人にとっても社会にとっても役に立つ。

 安倍首相に要望したのは、大学の卒業条件の質と高さの見直し。国家ビジョンを作成し、日本のあるべき未来を明確にし、その実現のための教育目標を見直す。その条件を満たした大学生を卒業させるようにすべき。

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 麻生の漫画頭(インフレ実現には時間がかかる発言)にはつける薬が無い

2013年03月21日 19時27分01秒 | 深刻な問題

 麻生副総理・金融担当大臣?日銀の岩田規久男新副総裁が2年で2%のインフレ目標を実現できると発言したことについて、「やはり学者だな。デフレが20年続いたんだから簡単にインフレになるはずがない。時間がかかる」と批判したらしい。それが事実かどうかはどうでも良い事で、麻生の発言はインフレ実現にブレーキをかける立場ととられる。

 馬鹿じゃなかろうかと思わざるを得ない。不満が有るなら岩田副総裁とは率直に意見を交わすなり、本人を呼んで注意すれば済むこと。2年で2%は日本が経済回復するラストチャンス。世界に目標値が宣言されており、その実現性を期待して経済が動いているからだ。

 仮に反対意見でも、「是非、2年でデフレ脱却と2%インフレを達成して頂きたい。そのためには何でも協力する」と言うべきだろう。自分の発言が株価(日本の資産)にどのような影響を与えるかが分かっていない。麻生も後ろで官僚が操っている構造だな。

 昔の橋本首相もそうだったが、経済を分かっていると考えている大臣は恐ろしい。経済なんて、経済学者でさえ、知識は有っても現実とは物凄い乖離が有る代物で、所詮理解できるはずがない。日本で経済政策が成功したためしがない(アベノミクスは例外になるかもしれないが)。結果として、経済の壊し屋になってしまう。

 《経済は軍事戦略に組み込まれ、経済が経済の範囲を超えてしまっている(経済のレンジオーバー)。というのが、1998年頃からの私の主張だ。このブログでも何度か書いてきた。従って、経済専門家に経済が分からない。全く経済予想が当たらない。当たったためしがない》

 実際のところ、麻生は大方の日銀社員同様、「インフレ毛嫌い・デフレ大好き」の傾向を支持しているのであろう。安倍内閣で経済政策やTPPなどで不協和音を露骨に作り出す、漫画頭の麻生ではある。

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電力会社でのマイ技術開発史2(原発着工の最大の課題を解決)

2013年03月20日 23時13分59秒 | 社会・経済

 温排水を利用した鰻(成魚)とアワビ(稚貝の放流)の養殖は中止になったが、原子力発電所の前面海域や復水器出口のサンプリング調査(年4回)は継続していた。復水器を通過したプランクトンや卵稚仔への影響を分析し、漁業に与える影響を評価するためだ。

 当初、私は下っ端で参加した。漁船を定点にアンカーを下ろし、1日中サンプリングする。海が穏やかな時はいいが、冬は波が最大2mぐらいになる。漁船の前部分が完全に宙に浮き、次の瞬間、大きなしぶきをあげながら落下する。その繰り返し。風が強く寒さも半端じゃない。

 地元で雇った作業員の中に、戦艦で日本海の荒波にまれていたから平気だと豪語する人がいた。しかし、30分もしないうちに船床に寝込んでしまった。当然その作業員の仕事もカバーしなければならない。発電所からも手伝いが来たがまともに作業できた人はいなかった。陸に上がっても、三半規管がやられ、体がずっと揺れていた。

 私が調査の担当になった時、素人の電力社員が直営でやるには過酷なので、所長に外注を申し出、1年後、何とか専門業者に委託することになった。当時何をするにもハンコを10個以上押してもらう必要が有り、提案書づくりも大変だった。

 残りの重要な仕事は、水理実験室設備の設置だった。電力中央研究所が一杯で、新しい原発建設に関して提出する温排水実験を受託できないので、自社で水理実験室を作ることになっていた。建屋がらみは建設土木部門の副長と担当が来て一緒にやったので楽だったが、設備や機器に関しては単独で担当していた。

 私は、自分が水理実験室の担当になった時、「安全性」をテーマにすると宣言した。最も苦労したのは実験用の天井クレーンだった。建築課長が水理実験室の天井を当初より1m低く設計にした。天井クレーン上で計測や撮影の作業が有るので、法律上、作業員が立った状態で天井までのクリアランスを要する。天井が低くなったことにより、クリアランスが確保できなくなった。

 元に戻すよう建設課長に要請したが、「1m上げるとどれぐらい予算が必要なのかわかっているのか?戻したかったら副社長の承認を得てこい」と言われ、なす術がなかった。(先立って上司も申し入れていたが断られていた)当初案ではクレーンに乗り込むことも困難になった。

 主席と副主席の二人の上司から、腹這いになってクレーンに乗り込む案が出された。腹ばいも異常であり、かつ高さが3m以上の位置の乗り移りである。私は断固反対して受け入れなかった。この他に、フック位置の寄り(移動範囲)も課題だった。

 業者の協力を得ながら、図面上でクレーンの構造を変更し、方向を反対にし、建屋との関係を見直すなど、2か月ばかり試行錯誤した結果、普通に歩いて安全に乗り込み、クリアランスを確保し、十分な寄りを確保する方式を完成させた。

 どこの水理実験制御室の前面にも制御パネルが有り、装置や機器の配置が描かれ、ランプやメータなどが運転状況を示すようになっている。ところが予算が膨らみ、制御パネルを設置できなくなった。そこで、計算機用のモニターに運転状況を示す方法を考え、設備予算と将来の変更予算を大幅に軽減した。

 水理実験の現場は水分が多い。計算機を置く制御室には水分が入らないよう縁を切りたかったので、多数の計測や制御のケーブルを制御室外側のコネクターで接続する方式とした。

 各装置の制御盤ランプはLEDとした。従来ランプは寿命が短く信頼性が低いので、火力の運転制御室では状況判別やランプ取り替えで苦労していたからである。当時(1979年頃)、LED方式は例が無かった。

 計算機にもこだわった。様々な開発にも精力的に取り組んだのは、自分が水理実験室を担当すると思っていたからである。ところが完成した時、所長に呼ばれ、建設土木部門に渡せと言われた。がっくりきた。

 環境アセスメント調査の業務に戻った頃、建設土木部門の次長が所長へ要請に来た。上司と私が同じ席に呼ばれた。新しい原子力発電所建設のために、山を削り、削った土石を前面海域に埋めて平地を作りたい。その場合、藻場を壊すので、土砂でできた海底に藻場が造成するかどうか実験して欲しいとのこと。藻場が再生する保証が無ければ、許可が下りず着工が出来ない。

 所長がやりたくないと断った。私は即座にやりましょうと所長に申し入れた。所長は、考えた末、判断するため専門家の意見を聞いて来いと指示。建設土木部門の副長と二人で、各地の水産試験場を回って意見を聞いた。いずれも可能性があるとの返事。

 所長の了解が得られたので、実験を開始した。前面海域に1m角のサイコロ状の石を投入した。投入後、すぐ産毛のような海藻がびっしり生えた。幸先が良かった。ところが次に潜水夫が潜ると生えたはずの藻は全くなくなっていた。貝やアワビなどが食い尽くしたのだ。定期的な観察でも同じ、悲観的になっていた。

 ところが冬の観察で各投入石に一本ぐらいづつ、10cmぐらいのクロメが生えていたのを発見した。何億も生える藻のうち1本ぐらいが残り、大きくなったらしい。冬は藻が最も成長する時期でもある。所長に報告した。そして、次の月に新たな原子力発電所の着工となり、新聞に大きく掲載された。 

 原子力や火力の発電所の環境アセスメント調査で、海域において最も重要なのが藻場であり、次に卵稚仔、そしてプランクトンになる。藻場は魚類のゆりかごと呼ばれ、稚魚の育成の場所だ。藻場を壊す場合には許可が下りない。また、海域に重要な種が生息している場合も問題になる。

 温排水実験設備の設置、環境アセスメント調査と原子力発電所の着工に関わる重要な仕事の殆どに関係し、そのうちのかなりの業務を一人で担当し、しかも「安全」というテーマを掲げて遂行した。

 業務量は莫大で、実施のため画期的なスケジュール管理を考案し実践した。それは、予測計画管理とも言うべきもので、業務の流れをステップで表し、今後どのようなステップで進捗するかを予測する。その上で、起こり得る課題を解決し、業務間(横、斜め)や時間などの調整を実施する。こうして重要な二けた以上の業務をパララン(同時に並行して走らせる)しながら、大きな失敗なくやり遂げたのだ。

 現在に至るも、世の中で私が当時考案していた様な予測手法を取り入れた計画管理方法は見たことも聞いたことも無い。

 仲間から、上司が私に関して詰めが甘いと言っているとか、変な情報も入った。確かに上司への根回しが十分であったとは言えないが、上司の判子なしでは何も進まない。上司は気分を害していたかもしれないが、そんなレベルではない。私が少しでも失敗したら、原子力発電所の着工は間違いなく遅れていたか支障をきたしていた。今は廃絶が叫ばれている原子力だが、東日本大震災の前までは日本を支えていた最重要発電方式だった。

続く。

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これが高級車だ ベンツMLディーゼル

2013年03月16日 22時12分15秒 | スポーツ

 3月15日の朝からカーポート(2台分)設置工事が始まり、同日15時からベンツの受け取り手続きを開始した。工事場所を避け、フレスポの尾道ロマン珈琲(珈琲技術日本一になり客が急に増えた)の会議室で最後の判を押し、外で車の操作方法などについて説明を受けた。最新の機能がたくさんあり、便利が良いのだが一度聞いただけではとても覚えきれなかった。

 翌日、つまり今日だが、改めて運転してみて、驚いた。これまでトヨタの新車(マークⅡからランクル100まで)を乗り継いできたが、今回は驚きと言うか衝撃だね。これは凄い車だ。

 試乗時や受け渡しの時は十分気づかなかった。何が凄いかと言って、ディーゼル車なのにガソリン車より静かで振動が無い(Bクラスガソリン車などとの比較)。重厚さと安定、軽やかな走り。言わなきゃディーゼルと思う人はまずいない。ブレーキはソフトだがよく効く。

 電子式のシフト、駐車のブレーキはワンタッチで簡単。エンジン起動停止、ドアロック、バックドア開閉など多くがボタン操作のようになって、便利過ぎ。頭が手動方式だから、慣れないと逆にスムーズにいかない。ベンツ車講習会をやってくれとヤナセに頼んでいるところ。

 小さなカーブを楽々回る。インターチェンジから降りる時、ランクルなら急カーブで遠心力を感じ、かなり速度を落とす必要がある。ベンツMLでは大丈夫かなと思いつつあまり落とさずに突っ込むが、難なくこなす。一つはモノコックボディーの剛性の良さと、それ以上に4輪を細かく制御しているせいらしい。

 トルクが巨大(ガソリンの1.6倍だったか、強いランクルを遥かに上回る)で7速だから、高速でも2000回転を下回る。エンジンの音は踏み込むと聞こえるが、ガソリンのツインカムターボのよう。(車外ではエンジン音がし、中では聞こえないのが最高)信号で停止している時はエンジンが止まるので、当然、音も振動も無い。ブレーキを離すとエンジンが回るがショックは感じない。

 シートベルトをセットすると、たるみをとるためか自動的にひっぱり調節してくれる。夜は乗り込むステップあたりのフロアにベンツロゴの照明が光り、エンジンを切って外に出ても暫く、周りを明るく保つ。3年間はメンテナンス無料。

 ベンツは世界で初めて車を造って以来、次々と新たなメカニズムや機能を開発してきた。特に安全面では独壇場で、日本車も真似しスタンダードになってきた経緯がある。MLは全車種の先頭を切って登場した。兎に角、世界初の機能などが満載。

 朝、乗った瞬間から、言葉では言い表せない高級さを感じた。これが車、これが高級車と言いたい。(セダンにも良い車が有るかもしれないが、左ハンドル同様、愛車としては問題外)

 以前、ベンツの幹部はトヨタを世界一の車と言っていた。セルシオなどを指していたのだろう。この率直さがベンツなのだ。当時のベンツは音も振動も有った。半年前のベンツは加速も悪かった。ところが、今回のモデルチェンジで、全く別の車になったと言えるほど変貌を遂げたのだ。間違いなく今はベンツが世界一。しかも、ディーゼルで。ヤナセも同じことを言っていた。

 その最高峰がMLである。

 マークⅡ3リットルを購入した頃から既に慣らし運転はなくなり久しい。マークⅡスーパーチャージャーの時は、最初のオイル交換で、金属くずがごっそり出た。ヤナセ営業は5000kmぐらいは抑えて走って見てはどうかと言う。ま、ゆっくり走るかと意識しながらアクセルを踏むがトルクが強いので、支障はない。

 制限速度付近で走っているのに、後ろについた車がいつの間にかいなくなる。50m以上車間距離をとる車が時々いる。トワレグ(VW)の後ろについてドン・キホーテに入ろうとした。〈トワレグのハイブリッドも試乗した。静かで強力なパワーだったがちょっと小さい。ポルシェのカイエンも同じサイズ〉何故かトワレグも嫌がったのか いなくなった。

 ランクル100では毎日後ろからあおられた。広島ではランクルが少なく、多分パジェロ(力不足)と間違われているのと、ナンバーがディーゼルなので、特に軽が、勝てそうと張り切るみたいだ。そこで、力の差を見せつけようと飛ばしてきた経緯はある。ベンツMLではゆっくり走ってもインパクトが有る。

 ベンツMLのデザインは好きでもなかったが、実物を改めて見ると精悍で迫力がある。デザインも悪くないという気がしてきた。

 知人友人にベンツを購入したと言うと、60%はややネガティブな反応。家内はあなたみたいにぼろい服を着てベンツに乗っていいのか、とか、ベンツに乗る身分ではないとか、親類には伝えるなとか色々言う。ベンツが乗ってくださいと頼んでくるんだと答えておいた。

 残り40%は、ビジネス関係で会う人だが、印象が良くなるようだ。関心を示し、信用度が上がる。前にも既述したように私はベンツファンではなかった。可能性選択と消去を繰り返していくうちに、最後にベンツMLディーゼルに到達した。ベンツと言うと良かれ悪かれ明確な反応が出る。

 やなせにベンツとやくざとの関係を確認すると、ヤナセはやくざには販売しなくなったようだ。顧客の素性を調べているようで(うちの事も知っていた)現金購入の顧客は特に綿密にやり(やくざはローンを組めない)、危険を感じても断るそうだ。従って、現在ではやくざはレクサスなどトヨタ系に乗っている。

 以前、Eクラスのディーゼルを試乗した時は、物足らなかった。アクセルを踏み込んでも出ない。営業が安全重視ですと言っても納得できない。7速だから、踏み込みギアダウンしてもパワーアップしない。BMWは飛び出しの良さを売り物にしていたので差が有った。MLディーゼルの加速が強いのは巨大なトルクのせいだ。

 BMWの方が細かく顧客のニーズを汲み上げる姿勢が有る。真上から見たような平面ビュー、フロントガラスへの速度表示、初速の飛び出し、7人乗り(X-5)など。しかし、基本性能がベンツに劣るし、ベンツは今回のモデルチェンジで様々な機能を開発し、さらに上回った。何より安全性で追随を許さない点は、その他が充実してくると一段と光る。

 BMW X-5のディーゼルはやや振動を感じる。座布団を敷くと下は軽減できるが背中は消せない。ベンツとBMWではディーゼルにおいても技術の歴史が違うんだな。トヨタがBMWからディーゼルエンジンを購入するのだが、何を見ているのか。自分でディーゼル開発を諦めたのだからどうしようもないが。

 《広島ではBMWをバルコムが販売しているが、バルコムの営業は不愉快。BMWの営業も複合機の営業も打ち合わせなどの約束を守らない。1000万円もするような車を買うのに営業マンが約束を2度も守らなかったり客を軽んじるようでは不安になる。もっとも、やくざみたいなのを店長にしている広島トヨタよりはましだが》

 MLの最大の弱点はナビだね。タッチパネルじゃないので、サイバーナビに慣れると操作が大変。しかし、ベンツはディーラーがいくら改善を求めても、安全性に問題がある(運転中モニターに目をやるべきではない)と譲らないらしい。救いは音声認識が高性能なので、音声で操作する。この認識性能は他のナビに比べても格段に良い。

 サイズ、とりわけ低いのが最大の不満だった。この点は座るポジションを最高に上げ、視界的には解決した。セダン並みからランクル並みに高さが調節できる。ランクルと比較して、幅1.5cm狭く、長さは一緒だが、2サイズも小さく見える(高さが10cm低いせい)。

 確かに価格は高いが、十分計算が合う。例えばランクル200はハイオク指定(1リットルで3~4kmかな)。年間2万キロ以上走る私にとって、ディーゼルでは月3万円の燃料費が6万円になる。6年リースで200万円以上の差が出るし、四駆ではディーゼルのリセールバリューも高い。精神的な余裕も考えると十分お釣りがくる。高速で私以外のランクルは常に左側を走っている。これじゃ楽しいはずがない。

 ヤナセで、ベンツMLでガソリンを買うのは馬鹿だね と言ったら、長身イケメンの営業はその通りですと真顔で答えた。山口から広島まで試乗車を移動させたが、MLはモデルチェンジにより全く別の車のように素晴らしく良くなったと言う。ベンツは今やディーゼル、ディーゼルはベンツなのだ。

 本当はベンツMLの情報を流さず密かに楽しみたかったが、ブログで触れないわけにはいかない。まだ広島でも新モデルは一桁だが高速でMLが目立つと聞いた。私がベンツに強く直訴して右ハンドルにしたのは(私の意見だけじゃなかったかもしれないが)大成功だろうね。表現がおかしいかもしれないが、兎に角、この車で町を走ること自体がセンセーショナルなんだ。

 このブログで購入車が10台ぐらい増えてしまう気がする。まずいな。しょっちゅう町やあちこちでMLに出会うようにはなりたくない。

 テレビは運転中も見られるようにし、前方と内側(フロントガラスより後方)を監視する小型カメラを搭載させた。外は高画質、内側は赤外線(この設置にはヤナセも驚いていた)。また、最高級レーダーを取り付けた。これらは、ヤナセが最終磨き作業(ガラスコーティング)をする前に済ませた。

 納車の月15日は大安吉日だから。ヤナセの営業が干支は気になりますかと聞かれ、言われなかったら全く気にしないが、言われた以上、こだわるかと最初は3月10日にしていた。ところがカーポート(前方の入り口を特別に広くした2台置き)が受注生産品で間に合わない。そこで、工事と納車が同じ日になった。ディーラー外オプションを取り付けた後、ヤナセで2日かけガラスコーティングして磨き上げた。

 前方障害物の自動ストップや前車自動追随や、驚く機能が出たらまた買い換えますか。レクサスのように、電話で親切な女性が対応しナビを設定するサービスはベンツはやらないだろうな。全てを望むのは欲と言うものか。

 

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アメリカが尖閣諸島、北方領土、竹島の問題を制御しているとの見解では孫崎享とは同意見

2013年03月13日 19時55分08秒 | 深刻な問題

 「アメリカに潰された政治家たち」を飛ばし読みして、いくつか私の見解と一致した部分が有る。その一つが、アメリカが日本の領土問題に関し、裏で工作し解決の障害になっているとの見解だ。孫崎氏は元外交官としての根拠を示している。私の場合はこの書籍が出るずっと以前から気付き、ブログに書いてきた。

 とりわけ、民主党政権下で尖閣諸島、北方領土、竹島の問題が同時に吹き出し、悪化した時にはその考えが間違いなかったと意を強くした。あくまで推測だが、民主党が反アメリカ色を出したために、アメリカが密かに、中国、ロシア、韓国に対して、例えば「アメリカは日本の領土問題に対して少し距離を置く」との信号を発信したのだ。

 お断りするが、戦略上、日本はアメリカと共に発展すべきとの考えは大前提である。しかし、従来のような盲目の従属ではアメリカは日本が一人前とは認めない。言うべきは言い、良きパートナーとしてお互いを補完しつつ両国の発展を目指さなければ、結果的に良い協力関係にはなりえない。

 例えば、原子爆弾投下に関して、日本はアメリカに何も主張していないが、これが逆の立場だったら、アメリカは必ず報復として原爆投下を目指す。アメリカから見て、何で公式に文句を言わないのか、言わないなら言わないで何で言わないかが分からない。その上、盲目の従属である。かなり軽んじられているというか、要求すれば何でも実現する植民地と同じような見方になっている。

 (かつてスイス人と同行した時、スイス人は正しいと思ったことは絶対譲らなかった。とことん主張したのには驚かされた。アメリカでも、日本人留学生が誰かを議論で言い負かした時、初めて存在を認めて貰える。それまでは一人前とはみなされていない。)

 現実の状況としても、日本政府の重要情報は全部把握できているし、官僚はマクロ的にコントロールできている。つまり、日本は掌の中で転がせる状態だ。その日本が反アメリカなどとんでもないとの考えは有るに違いない。

 これまで日本が近隣国と連携しあうのはアメリカにとって極めて都合が悪かった。しかし、中国の覇権主義が明確になり、アメリカの地位を脅かすことが確実になった時点で、日本の重要度が増している。尖閣諸島の防衛線を日本が守ることが軍事予算を縮小してゆく中で絶対条件になっている。

 安倍首相がアメリカ重視、アメリカとの同盟関係強化を打ち出したこともあるが、アメリカはアベノミクスを支持し、金融緩和を許容している。2011年秋以来、アメリカの日本に対する基本的な姿勢は変わってきた。

 一方でロシアのプーチン大統領はアメリカのシェールガスに関して焦りを深めている。天然ガスの供給条件を戦略的な武器とし、ヨーロッパや周辺国に対する影響力を強め、かつ経済発展を推し進めようとしていた当てが外れてしまった。そこで、プーチンは北方領土を餌に、日本に新たな開発、パイプライン建設、天然ガス購入などを持ちかけるつもりかもしれない。

 日本としては、最後のチャンの可能性が有るので、欲張らず話に乗ったらよい。(とりあえずは二島返還で十分)ただし、その前にオバマ大統領の協力を担保しておくことだ。そのためにはアメリカから出される交換条件を飲まなければならない。日本のマクロ政策に関して、アメリカの協力無しには何も進まない。

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中国は公害物質を大放出しつつアメリカを凌駕する軍事超大国へ驀進中

2013年03月06日 12時36分17秒 | 国際・政治

 日米は軍事同盟国でありながら、アメリカにとって日本は経済面での敵国、中国は味方のような状況が続いていた。アメリカ人は「中国人が好き」と言い続けた。それは日本人嫌いの裏返しでもあった。アメリカは元のドルとのペッグ(固定レート)を許した。これは中国経済にとって大変な優遇で、円がプラザ合意(為替自由化)以降の乱高下で振り回され大損害を被ったのとは雲泥の差がある。

 同時にビル・クリントン政権は日本政府の尻を叩いて、日本メーカーの中国工場進出を強く促した。中小企業を含めた大半の国内メーカーが上海などに工場を建設することになり、巨額の資金、工場、ノウハウを中国に提供し、人材育成までして 差し上げたのである。

 一方で、日本は中国の要求に応じて巨額のODAを払い続け、中国が世界第2位と、日本を上回る経済大国になっても中止されることはなかった。(北京オリンピックをもって円借款は中止したとなっているが、無償資金協力や技術協力のODAが継続されている。今や無償協力はやくざに払うみかじめ料のようなもの)

 然しながら、中国の意図は明白であった。軍事的にアメリカを凌駕し、アメリカを屈服させると共に、日本を支配することである。そのため、軍事力をバックにがむしゃらに経済成長を推進し、軍事力を増大させ、更に経済成長させている。アメリカは中国との経済関係を重視し、アメリカの中国に対する片思いは少なくとも2011年秋まで続いた。

 中国の経済成長のお手本は日本だった。社会主義社会と酷似し強度管理統制国家であった日本のキャッチアップ型(コピー型)のモデルを軍事戦略に取り込み、強力にバージョンアップさせている。ベトナム戦争においてアメリカを打ち負かした陸軍とアメリカの拠点を核攻撃できる大陸弾道ミサイルをバックに経済面でアメリカの譲歩を引き出させてきた。

 中国は軍事力を最大限利用して経済を成長させ、更に軍事力を拡大させる相乗の掛け算モデルを採用している。

 因みに、中国でのビジネスを成功させるには100%共産党幹部や共産党員への賄賂が必要である。賄賂無しでは特別な優遇措置を受けられない。私の知っている例では、輸出入で十分すぎる検査を受け足止めされているとき、共産党幹部の一言でスムーズに進む。日本の一流企業でさえ多額の賄賂を払っている。規模の大きさで対応できる共産党員は末端から上層部まで変わる。このような、金さえ払えば成功するとの甘い汁の感覚が日本企業を麻痺させてきたであろう。

 私は21世紀初頭には中国が隠し続けた野望に気づき、前のブログ(数年分をOCNが勝手に消去した)にも書いた。アメリカは残念ながら気づかなかったのか、経済を優先するあまり楽観視していた。流石に、2011年秋になると、ヒラリー・クリントン長官の中国に対する発言内容が変わり始めた。私は意外性を感じた。大統領選挙の時、クリントンを強力に支援していたのは中国だったからである。

 中国は今年度の経済成長率を7.5%、軍事費の伸びを10.7%(11.112兆円)と発表した。軍事費の拡大傾向は著しく、アメリカが軍事費を削減しているのとは際立った差を見せている。つまり、中国は何としても軍事力でアメリカを抜き去り、屈服させ、世界一の超大国として君臨したいのだ。

 中国が10.7%で軍事費を増大させた場合、10年で2.8倍になる。2011年実績でアメリカの軍事費は中国の5.3倍だが、単純計算でも10年後に1.9倍に追いつき、17年後には中国がアメリカを追い抜く(アメリカが予算縮小すればもっと早まる)。いつの日か、中国は大型の原子力空母数隻をアメリカの近海へ差し向けアメリカを威圧したいと狙っている。また、現状で推移する限り日本が中国の支配を逃れることは難しい。

 それゆえに、北京が大気汚染に覆われ、視界を失い、あるいはぜんそくや病気で人民がバタバタ倒れようが方針を変えるつもりは毛頭ない。兎に角、人民や周辺諸国に悪影響が出ようが出まいが、何が何でも経済を発展させ、軍事拡大路線を驀進する。

 中国は止まらない。何故なら、中国は選挙の無い一党独裁のマシンだから。圧倒的な経済力と軍事力をバックに人類が創造した全ての文化や社会、世界中の資源やエネルギーを怒涛のように飲み込んで成長する悪夢であり、かつ現実的なモンスターだ。

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北海道で娘をかばい凍死した父親 他人事には思えない

2013年03月04日 18時09分03秒 | 思考空間

 ニュースによると北海道では9人の方が今回の猛吹雪・積雪で亡くなったという。余程の雪だったのだろう。かつて、北海道の工場設備を受注して設置した経験もあり、当時、雪の積もり方も半端じゃない事を知り驚いた。発注企業は装置の設置を6月に指定した。6月以前では積雪で運搬が出来ないと言われた。確かに、4月ではまだ雪が積もっている。

 今回遭難した親子は、父親が片親で一人娘を育ててきたらしい。自分は犠牲になっても娘を守りたい気持ちは、同じ親として本当によくわかる。涙を禁じ得ない。幸い小さな娘さんは軽い凍傷で助かったらしいが、残念なのはお父さんがそのことを確認できなかったことだ。娘さんが助かった事が分かればさぞかし喜んだことだろう。

 ホワイトアウトは今回初めて聞いた単語で、雪が吹き付ける嵐にも北海道の人は慣れているのだろうが、それでも方向を失い遭難するのだから常識を超えた激しさだったのだろう。

 私のような南の人間が言うことでもないが、車で移動中周りが真っ白になって動けなくなった場合、携帯でSOSをだし、出来れば移動せずに車の中にとどまって頂きたい。排気管が詰まった場合は、一酸化炭素流入を避けるためエンジンを止めるのもやむを得ない。密閉空間にいれば、鉄板の中とは言え、数十時間はある程度の温度が保たれる。

 昔、原子力発電所で冬の海洋調査をしていた時、猛吹雪の中、船が座礁し、傾き始めた。風が強いので多くの人間が見守りながらも助けに行けない。すると、船から二人の人間が海に飛び込み、若い元気の良い男性が泳ぎ始めた。年配の男性は力なく、漂うだけ。若い男性は岸に着くと思われたが、途中で力尽きた。一方、年配の男性は漂いながら潮流で岸にたどり着いた。

 こここで得た教訓は冬の寒さがいかに体力を奪うかが思い知らされたことだ。冬の遭難時は、出来るだけ体力を温存しなければならない。じっとしているのは恐怖感が襲うものの、それが懸命。

 豪雪地域などでは今回の一連の凍死を繰り返さないため、思い切った対策を立ててはどうだろうか。例えば、全ての車に、①防寒具や小型発熱器の常備、②安価なナビ搭載、③携帯の予備バッテリー搭載、④四駆ディーゼル車への切り替え、⑤排気管の雪を除く小型スコップの搭載などである。

 ディーゼルへの切り替えはお勧めしたい。燃費がガソリン車より30%ぐらい向上することもあるが、今回問題になった一酸化炭素は格段に低下する(ゼロではないが極めて少ない)。つまり、エンジンを回して暖房する時間は30分長くなり、間違って排ガスが社内に漏れこんでも高濃度の一酸化炭素で満たされることはない。

 また、ディーゼル車は圧縮比が高いので高圧の排気を利用して雪を吹き飛ばす方法もあり得る(排気管とホースを接続する仕掛けを作ればベスト)。

 ディーゼル車はまたスパークプラグを使わないので、壊れにくく、信頼性が高い。国内ではガソリン車が高級との認識が強いが、ヨーロッパではすでにディーゼルが70%に達している。静粛で高性能なディーゼルが次々登場している。そろそろ、考え直してはいかがでしょうか?

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日本人はいつから現在の日本人になったか 新たな歴史認識

2013年03月02日 22時29分47秒 | 思考空間

   ①現代の日本人の精神構造(メンタリティー)は主として江戸時代に形作られ、そのフレーム(大枠)が継続している。②歴史の教育において日本では現代史が脱落しており、日本人が日本、および自らを知る機会を失っている。③従って、歴史教育において江戸時代以降、とりわけ現代史を重要視すべきである・・・ことを記述する。

 若い歴史学者は是非研究して欲しいのだが、日本人はある時を境に大きく変化した。そのある時とは、徳川家康が大阪城を攻め落とし、天下をとった時を起点として日本人は変わり始めた。家康は徳川家の永続を図り、徳川家以外の大名以下武士、農民に至るまでの徹底した管理統制、資金・食糧・体力の消耗、能力や新たな力の抑制を徹底した。

 「侍は死ぬことと見つけたり」と自嘲気味に語られた。比較的恵まれていた大名や武士でさえ自由が無くがちがちに管理され、質素で厳しい生活を余儀なくされた。特に、徳川時代の上下関係は精神的な従属性を強いたことが特徴である。本来、精神面:心の中は自由であるはずだが、身も心も捧げることを良心に訴えたのだ。

 同じ封建制でも、日本とヨーロッパでは質が異なる。ヨーロッパでは上下が契約で結ばれ対等であったにもかかわらず、日本の封建制は身も心も全てを捧げ、従属するという、奴隷の変形のようなものだった。この、徳川の徹底した統率と管理が300年続いたおかげで、日本人は世界的にも極めてユニークなメンタリティーを持つに至った。

 ご存じのように日本は全方向を海で囲まれ、最も近い韓国との間も厳しい日本海の荒波がバリアとなって往来を妨げていた。このため、国内においては相対的な力関係が絶対的な支配体制となり易かった。徳川家康は日本全体の安泰を願ったのではなく、徳川家の永続のみが目的で、そのために下々の者だけでなく、大名にさえ多大な犠牲と忍耐、精神的従属性を強いた。

 余談だが、契約の概念はヨーロッパからきており、例え国王と騎士との間でも、全く対等である。国王でも契約に違反すると罰せられる。ところが、国内では何とか契約を結ぶ習慣は出来つつあるものの、政府(官僚)と国民は対等ではないし、発注側と受注側は対等ではない。例えば発注側の大企業が無茶をやっても受注側の中小企業は従わなければならない。問題点を指摘すれば締め出されてしまう。

 徳川時代以前では、日本人はもっとおおらかで、自然に笑っていた。我々は歌舞伎において徳川以前の日本人を知ることが出来る。古典的な歌舞伎では動作がゆったりとして、大げさで、時がゆるやかに流れる。文学などでもその差を知ることが出来るだろう。

 江戸時代を経て、日本人は周りを見ながら笑うべきかどうかを確認し、みんなが笑っているのを知った上で安心して笑うようになった。決して、自分だけ高らかに笑うなんてことはないのだ。つまり、笑いという自然の動作さえ、日本人は統制され管理されてきたのだ。

 家康のファンは多いし、徳川時代を評価する人が多い。江戸時代が長く平和な時代であったこともあるが、多分に現在の日本人の感覚と共通するところに起因すると思う。

 江戸時代の精神構造のフレーム=大枠が今に継続された大きな要因は、底辺からの市民レベルの革命や改革が無かったためである。明治維新や第二次世界大戦の敗戦は日本に大きな変革をもたらせたが、前者は武士階級、後者は進駐軍によってなされたものである。フランス革命やアメリカの独立戦争とは異なる。

 欧米や中国などでは現代史が重要視されていると聞く。日本の教育では、せいぜい明治時代ぐらいで終わってしまう。現代の日本や日本人と相関性の高いのは、最も近い歴史を分析する必要がある。然しながら、現代史が脱落しているため、何故今に至っているか理解できるはずがない。例えば、第二次世界大戦の記録や分析(「失敗の本質」、「日本人の意識構造」など)を読むと極限状態における赤裸々な日本人の思考、習性、挙動などを知ることが出来る。

 むしろ、アメリカや中国の方が日本の現代史を熱心に分析しており、肝心な(戦略的に重要な)日本や日本人の特性などについてはアメリカや中国の方が日本より詳しいという逆転現象が起きている。現状では日本は未来に向け負け続ける・

 聖徳太子や卑弥呼など昔の歴史を否定するわけではないが事実関係を検証しにくい古い歴史ほど、後世で都合よく作られていること(物語の類になっている場合も有る)を認識したうえで接する必要がある。古の歴史と現代史は別物であり、現代史の学習や研究を教育の場に作ることが日本発展の重要な要素である。

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