宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

東電福島原発の原因を徹底的に解明し責任者を罰しない限り原発の安全性は保てない

2015年05月31日 11時44分00秒 | 深刻な問題
 原子力発電を全廃する事は選択肢の一つであり、事故後の感情としては理解できる。ただし、将来に向けて原子力発電が重要なエネルギー源であり続けることに変わりない。問題はいかに安全性を確保するかだ。

 東京電力福島発電所の事故原因について、徹底解明が行われたかは極めて疑問だ。分かり易く言えば、全電源喪失(メルトダウンの原因)に至った設計や基準を誰が決定したか、経緯や氏名が公表されていない。すなわち誰も責任が無い有耶無耶の幕切れとなっている。

《私が電力の本店課長時代、原子力部に装置について分からない事を電話質問したら、担当取締役から間接的に圧力がかかった。驚いた。JR車中で会った他部の課長と話が弾み、彼が「本店では普通の会話も出来ませんね」と言い、良く考えればそうですねと相槌を打ったのを覚えている。特に原子力はアンタッチャブルだった》

 これでは国民が不安を抱くのは当然の事だ。話題は変わるが、ご存知のように先の大戦に関して日本人自身による裁判は実施されていない。戦勝国側が一方的に判決を下し、A級戦犯などを吊るしただけだ。大本営は一億総玉砕を叫んでいた。

 もし、本土決戦・一億総玉砕に突入していたら、日本は一体どうなっていたか?これを読んでおられるあなたが存在し得ただろうか?戦後の極めて責任の曖昧なスタートが日本の正常な発展を阻害する事になっている。

 福島原発は一歩間違えれば東京には死の灰が降っていた。今頃、日本経済的は深刻な打撃を受け、未だ復興ままならぬ状態だっただろう。日本人は忘れ易い。深刻な事態を「まーまー」で済ませる。

 原発は安全と嘘八百をかつての大本営の如く流し続けた張本人はトップに君臨し、あるいは相談役として人事権保有、高報酬、部屋、車での送り迎え、美女付きで生涯ぬくぬくとした人生を全うできるのだ。つまり、福島原発事故を生んだ体質は不動で温存されている。

 国内では次々原発が再稼働される。原子力の安全性を徹底的に見直すべき絶好のチャンスを逸し、国民に納得できる情報を提供しないままで(私も情報が少なく分からない)再稼働して良いのだろうか?曖昧で甘い温床は異分野においても事故を招く要因となる。
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小保方氏のSTAP細胞事件で、東大の大学院に行ったほうが良かったかなと思った

2015年05月29日 21時38分09秒 | 学問
 STAP細胞は実にひどかったね。私はすっかり信じて騙された。あの事件論争の中で、東大の教授が「東大大学院では個別にきちんと論文指導するから、今回のような事件は起こらない」てな発言が有った。

 あれ待てよ、自分はまともな指導は受けたことなかったな。その点では東大のほうが良かったなと思うようになった。教授から院生は小僧の様に扱われていた。私の場合は指導教授から「お前は博士なんて柄じゃない」と真っ先に博士コースから外された。数学ができると勘違いして引っ張ったのはあんたでしょ?

 私は大学院を目指して一浪、「一流大学しか受けない」と決め、試しに急遽、東大を受けた。専門の5問中1問が全く書けず、他の取りこぼしも有るから落ちたと思っていた。面接ではその問題に質問が集中した。N助教授から「あれ?仲間と答え合わせしなかったの?」と聞かれた。え?ていう感じ。

 東大の試験では後に東大教授になったS氏(京大を断トツで卒業:東大入試の無かった年に入学)と立ち話した。ちょっときざな印象だった。東大の試験内容、面接の質問内容、S氏の話から、効率的な勉強方法が分かった。勉強方法を知らなかった私には収穫だった。

 因みに、東大の大学院試験は極めてオーソドックスで教科書に沿った内容。大学特有の癖も少なかったが(授業で教えた内容が試験に出たりする)、内部情報は極めて重要と思われた。

 そこで東大に手紙を書きN助教授にお会いした。N助教授は「惜しかったね、しかし競争だから仕方ないね」とお世辞を言って下さった。お世辞でも嬉しかった。お願いするとN助教授は研究生として迎えて下さり、授業料3万6千円を払った。

 私は記憶力がひどく悪い上に勉強方法は馬力型で効率は悪かった。それでも例えば電気磁気学の分厚い問題集の「回答」は頭に入っていた。理解できなかった2問の例外を除いて。しかし、たまたま、その2問のうち1問が東大の試験に出てしまった。

 その数か月後に、早稲田の試験が有ったので、新たな勉強法で臨んだところ、非常に運が良く、知っている内容が試験に出た(特に半導体物性)。面接では素晴らしいお褒めの言葉が有った。噂ではその試験で1番だったらしい。最高の時だね。

 どうしようかと思い、二つの大学に相談したところ、両方に属する事が容認されたので、主に早稲田に通っていた。その後、突然、担当教授から二股はまずいので東大を断れと言われ、東大研究生を辞めることになった。

 温厚なN助教授からはひどく叱られた。研究テーマが決まり、予算も出たらしい。本当に申し訳なかった。STAP細胞事件で東大の個人指導などの状況を聞くと、東大の方が良かったようだ。状況が掴めたので東大の試験に合格できる自信はあったが、保証は全く無かった。

 母が「息子が東大に行っている」と幼友達の母親に自慢したらしいので、おいおいと思ったが、まるっきり嘘ではなかった。
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サムソンの躍進、シャープの崩壊寸前に見る経営哲学の重要性

2015年05月28日 11時09分39秒 | ビジネス
 経営者は哲学を語るべきだ。哲学の無い企業トップがグローバルなビジネスを勝ち抜けるわけがない。シャープも以前は優れた企業哲学が有った。営業マンが帰社すると、会計など事務の社員が立ち上がってお帰りなさいませと出迎えたと聞いた。

 日本企業では今でも営業は2流との偏見を持っている。ビジネスは売ってなんぼの世界、売れなきゃ優れた会計も製造も無い。プロジェクト推進のための金バッチも有名な話。然し、シャープも巨大企業になり単純に規模拡大を目指すようになっておかしくなったのだろう。

 このたび、サムソン電子の本を2冊買って読んでいる。サムソンは1993年まで日本企業に追従しながら品質悪く、売り上げが伸び悩んでいた。李会長は日本企業追従を転換し、フランクフルト宣言を発した。「妻と子供以外は全部取り替える」方針を打ち出した。

 要点はグローバル化を推し進め、生産拠点を海外に建設するだけでなく、現地のニーズに合わせた品質、価格、機能を満たす商品を製造した事だろう。日本商品は品質にうるさい日本人向けに開発され高機能高品質だがアフリカ人には高すぎ、機能が難しくて使い辛く、悪質な環境条件に合っていない。

 バブル崩壊以降、日本企業は一貫して沈み続けた。ましてや、自民党国会議員推薦組や嘘作文屋がトップを占め、100%イエスマン、やくざ、オカマの類(*)しか昇進出来ない電力会社は論外であり、あんなものがビジネスとは到底言えないが。
*昼は仕事のフリで上の電話待ち、アフター5&土日には上司へ気持の悪い愛情サービス 奥様 ご主人は苦労しています

 日本メーカーは国際化を推し進め、海外に生産拠点を移した。然し、日本企業は日本仕様の製品を海外で生産しているに過ぎない。今回の123円に達する歴史的な円安も、日本企業全体(海外生産比率が高い)に大きなメリットとなっていない。

 1997年のアジア通貨危機(IMF危機)は更なる韓国企業の日本追従を転換させることになった。中国企業も韓国企業以上にグローバル化を推進した。

 サムソンに引き抜かれ常務で活躍した吉川良三氏(元日立)は数冊の書籍でサムソンを紹介し、日本メーカーの弱点を書いているが、私が日本企業の問題点を指摘していたのは1983年以前だ。

 当時、電力会社の営業部にいた。三洋電機のN課長が来社された時、顧客ニーズを調査し汲み上げるべきと申し上げた。三洋電子のN課長は同社の空調システムの紹介で来社された。私は、貴社の製品が現場で実際にどのように使われているかご存知ですか?と聞いた。ご存知なかった。

 私は、日本メーカーの全般の取り組み方向が間違っており、現場の顧客ニーズを徹底的に汲み上げ開発すべきだと述べた。営業が現場ニーズを汲み上げ、経営を動かすべきなのだ。企業トップは同時に優れた営業マンでなければならない。

 後に私は子会社に出向し、新規に機械製造業を立ち上げる時は、自分の考を捨て徹底的に顧客ニーズに合わせた開発を進めた。ニーズの無い物は扱わなかった。だから、機械音痴が素人を集めて年間5.5億円(平均)の売り上げを実現出来た。

 サムソン電子がフランクフルト宣言で転換する2年前であり、IMF危機で韓国製造業が転換する6年前の事だ。日本企業の重大な課題に気付いていたのは韓国企業全体が転換する10年以上前になる。

 サムソン電子の決定は世界一速いそうだ。サムソンと決定の内容や質が異なるかもしれないが、私はAかBかと問われれば即座に回答した。時間をかけると製造等が全部止まってしまう。積極的に責任も負った。間違っていたら修正すれば良い。幸い深刻な判断ミスは無かった。

 日本社会は戦後の焼け跡から不死鳥のように蘇った。奇跡でもあった。日本人は頑張った。しかし、GDPが世界2位なり先進国仲間入りしてからの精神的衰退が激しく、次第に江戸時代に戻り始めた。先の大戦では完璧に敗北したが、経済でも同じ過ちを繰り返そうとしている。

 何故哲学なのか?実は、科学、哲学は全く同じ論理エリア。日本の お勉強では全く別物のように習う。然し科学と哲学は、強いて言えば見えるか見えないか、証明できるか出来ないかの差に過ぎない。経営の中の科学、それが経営哲学だ。

続く
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広島のマリーナホップ(店名:Zefeel)で家具やファッション製品などを激安販売 

2015年05月27日 18時39分34秒 | ビジネス
 昨年秋から、マリーナホップ(*)のZefeelで家具やファッション製品などの試験販売を始めた。その後、少し大きな店に移り、本格的な運営を目指している。ネット通販は以前から実施していたが、実店舗の本格的販売は初めて。
*広島市西区観音新町(旧広島空港隣接)

 家具は、激安価格を更に大幅ダウンで売るので、価格的には相当競争力が有る・・と言うか、日本でこれ以上安い価格は無い。よその店を見てきたお客様はびっくり!特に、訳アリのB級品はタダ同然の商品も有り、人気が高い。残念ながらB級品は売れすぎて、品切れとなった。

 お客様に喜んでもらえるのは、本格的なドリップコーヒー無料でサービス。各種紅茶、ジュース、チョコレート、飴までサービス用に揃えた。若い平田店長が笑顔でお迎えします(彼は大学までサッカー選手だった)。

 売り上げは伸びているが、まだまだ広島市内でも認知度が低いので、今後の課題。「FMはつかいち」でCM放送しているが(エリアは宮島から広島市平坦部)、ちょっとリスナーが少ないかな。

 何が苦労したか?レジからして触った事も無い。検索で、ネットで繋がるレジを見つけ開店に間に合わせようとしたが、社員の節約で納品が大幅に遅れた。店の照明は特殊で、広島では販売していなかった。どんな陳列棚が良いかなんて分かるはずがない。

 店をオープンするのに使った費用は30万円未満。マリーナホップにあるショーケースや什器を活用し、足らずは自作と中古購入。我ながら驚き。店に金をかけなかった分、お客様に安く売ることが出来ると良い方に説明したい。
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大卒者のレベルアップのため、全国共通卒業試験を安倍首相に提案

2015年05月23日 09時44分08秒 | 受験・学校
 新規事業で正社員、店などでアルバイトを募集してきたが、近頃の大卒者&大学生のレベルは著しく落ちている。客員教授していた12年前から、大学&大卒のレベルが低いから日本の未来は無いとの思いは強くなっていた。

 大学で教えている知人や、専門学校の講師からもたびたび、学生のレベル低下については聞かされる。例えば、大卒で就職できなかった若者が就職向けの専門学校に来る。殆どが易しい授業について行けない。

 授業中は多くが遊んでいる。専門学校に通わせるのは親の気休めらしい。兎に角、自動車運転免許のペーパー試験に誰も合格できない。だから、運転免許に合格するとクラスの英雄になれる。私の世代で運転免許のペーパー試験に落ちた奴なんて聞いたことが無い。

 国立大学の医学部の学生が、分数の意味を理解できていないという。試験問題は方法を教わっているから解けるらしい。同じ傾向は東大を含め、全ての大学でもあるだろうと言っていた。

 私はこのたび、安倍首相に全国大学で卒業レベルを保証するための全国共通卒業試験を提案した。読んでいるかどうかは知りませんよ。何しろ現在の大学は授業さえ受けていれば自動的に卒業できる。学生はこの世の春で遊びまくっている。

 英語だけでも良いが、専門も含めて、共通試験を実施し、卒業レベルに達していない学生は卒業させない。英語は聞いて喋れるレベルを要求する。日本の学生の殆どが落ちる。厳しすぎる?とんでもない、本来の大学はそんなもんでしょう。

 ①試験は何度でも受けられるようにする、②新入生が受けても良い(専門を含む複数の共通試験等が合格すれば、卒論合格で卒業できる)、③入試のハードルは下げる・・・など併せた改革が必要であり、望まれる。

 他の方法としては、地域ブロック単位で、複数の大学関係者が卒業対象生の卒業認定会議を実施するのも良い手だ。その地域の大学関係者が集まり、対象者一人一人の客観的な審査を実施すればいい加減さ曖昧さが無くなり、レベルも保てる。海外ではやられているらしい。

続く
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錦織圭とジョコビッチとの差は紙一重 フランス大会での優勝を目指して

2015年05月21日 22時27分42秒 | スポーツ
 ローマ大会で錦織圭がジョコビッチと当たった時、錦織圭はジョコビッチの1ゲーム目の強烈なサーブに圧倒されてキープを許すと、自分のサーブを簡単に破られてしまう。これはボロボロに負けるかなと思っていたら、善戦し、1セット目は落としたが2セット目をとってしまう。

 3セット目はジョコビッチがドロップショットを仕掛けるなどしてゆさぶり錦織圭のサービスゲームを破り辛うじて勝ったという試合だった。ジョコビッチは3セット目のブレークの時、大きな雄たけびを上げた。それほど、王者ジョコビッチは苦戦していた。

 テニスはアマチュアの私が言うのも何だが、勝負勘で三つアドバイスが有る。一つは、サーブ時にやるボールつきだ(手でボールを落としては掴む)。錦織圭は常に同じリズムで、しかも回数が少ない。

 私はボールつきを「頭の中で作戦が立ち、気持ちが落ち着くまで」やったら良いと思う。毎回同じリズムだと相手が構えやすいし、追い込まれている時は、回数が同じだと益々追い込まれる。回数は2倍でも、3倍でも良い。ここぞという時までつき続ける。

 ボールをつき乍ら、「落ち着いているか?、このタイミングなら左コーナーに打ち込めるか?」・・とか考える。納得のいく状況でサーブを打つ。これをやられると相手は少なからず乱れる。この駆け引きはせこいが結構効果が有る。

 ご存知のように私は打劇王(広島市草津)の3年連続ホームラン王でその経験から、右ボックスの打者が上手な人でリズミカルに打つ場合はこちらも気持ちよく打てる。ところが、下手な人やリズムの悪い人が入ると見たくなくても見えるから影響を受ける。

 2番目 前も書いたが、打つ時の声。実験によると声を出すと、出さない時よりパワーアップする。それも有ってか外人選手はうるさい。シャラポアはその典型だろうね。錦織圭もサーブの時、強いストロークを打つ時に声を出したらよい。

 また、雄叫びとか過激なアクション。バッティングセンターでも、他のボックスで大きな声がすると妙に余韻が残って引きずられる。錦織圭がもつれた試合で、浮いた球を必要以上に激しく相手コートにたたき込み、以降有利に展開した事が有った。

 前述したように錦織圭とジョコビッチの差は無いに等しい。ジョコビッチは試合巧者だから普段無いようなプレーや仕掛けで、驚かせ、その間隙で厳しい接戦を制している。

 3番目に、85%ぐらいで打つ。ジョコビッチやマレーから学ぶことだが、彼らは力を入れず、多分85%とか余裕を持って打っている。対して錦織圭は目一杯打つ場面が多い。元々の体のサイズや筋肉の差も有るかもしれない。

 バッティングの場合、バットが細いせいも有るが、目いっぱい(90~100%)振ると微妙に芯を外し易い。85%とは感覚の問題で、強く、然しやや余裕を持たせて打つと格段にコントロールは良くなる。

 そのため、普段から筋力アップのトレーニングをやっても良い。パワーは筋肉量に比例するので筋肉がつけば同じ振りでも強く打てる。

(ただ、私自身は常に90%以上だ。ストレス解消だから、力を抜きたくない。勿論、結果を残すとなれば85%だろうね)

 頑張れ錦織圭!!フランスオープンでジョコビッチやナダルを破って優勝して欲しい。
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《責任だけ重かった》出向して新規事業立上げはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った 5

2015年05月19日 18時41分15秒 | ビジネス
 「道で倒れて石を掴んだら、その石がどのような商売になるか考えろ」と私が朝礼で檄を飛ばしていたのを聞いて驚いたとある人に言われ、当時の事を想い出した。「必死の素人は玄人に勝てる」とも喋った。必死の素人・・と同じような文言は住友商事でも使われたそうだ。

 私の下に来たプロパーの人達にとってはえらい迷惑だったに違いない。「電力会社の子会社だから楽できると思い、入社したらやはりそうだった」と聞いたが、当てが外れたかもしれない。それでも私よりは遥かに楽だっただろう。

 私はM乳業の現場課長に呼び出され罵倒されるなんて事も有った。2千万円の装置なのに、目的を満たさずチャンスロスが出たから2億円弁償しろと言われる。私が提案したメカニズムが変わっていた。一緒に来るべき製造責任の部下は最後まで来ず、一人で罵倒されっぱなし。

 帰社後、装置は吊り下げて搬出、当初の構造に戻した改造機を入れ、何とか目的を果たす。2億円の弁償は知恵を絞り、手を打って1円も払わなくて良いようにした。古巣(電力)復帰後、M乳業さんが頭を下げ追加購入したと聞いた。

 ピザ、グラタンの表面だけを焼きたい場合、ガスでやると①焼きムラが出来る(バーナー劣化など:品質)、②装置周りが50℃を超える灼熱地獄になり煤塵で満たされる(作業環境)、③処理速度が2倍ぐらいかかる(経済性とスペース)、④プラスティックの皿を熱で痛めてしまう(不良品)・・という問題が有る。

 いずれも深刻な問題になるが、我々が開発した焼き目つけ装置は希望に近い焼き目が付けられる(マスキングと高度な電気制御)。処理速度が2倍になると計算してみればわかるが莫大な利益を生む。設置スペースを半分にする手も有る。

 ガス焼き工場は夏になると暑いので作業員が窓を開けて、ハエがどんどん中に入る。我々が設置した工場では冷房を入れたところも有った。しかも処理速度が速いので、一見高そうに思える電気だが逆に安い。品質良し、経済的、作業環境良し・・だった。

 全部が成功した訳ではなく、例えばロボットによる猟銃台座彫刻で精度目標は満たしたのに、「ブレは片方だけなら許容できるが、両方ブレるのは許容できない」と返品されたケースが有る。言われた通り製造して一部払われなかったケースも有った。

 まさか私も代金取立てで苦労するとは思わなかったが、1か月ぐらい通って頭を下げながら厳しい交渉をしたり、ある時は係長を通常業務から外し毎日顧客交渉に行ってもらった。

 しんどかった話はたくさん有り、例えば私は親会社に戻る前、部長だったが、実質的な人事権は無かった。部下を昇進させようと思っても、プロパーの人事部長から「上司(プロパー)に相談しましたか?」と聞かれる。上司とは意見が一致せず通らない。

 権限は無かったが責任は大変重かった。と言うのも電力系の会社だからミスが許されない。従って、営業、開発、製造、据え付け、メンテナンス、お金の取り立て、トラブル処理の実質的責任を全部取らなければならなかった。

 部下は全員プロパー、上司もプロパーとなると、日常的に情報はバイパスされている。しかも中立的なプロパーはいても味方はいないと言っても良かった。親会社の人間の情報は一晩にして全社に流れていた。取り分け私の情報は多かったし、良い情報とは思えない。

 上司は自分の思い通りに管理したいが、営業では顧客優先でタイムリーな対応を要する場合が多く、十分お応えできない。社長への報告も頻繁に有ったので時間が取れない。私は迷惑をかけないから現場判断は任せて欲しいと伝えていたが、大変ご不満が有ったようだ。

 普通、出向者は仕事の奥深くまでは入らない。私の場合は、売り上げと利益のために、遠慮できないから、ハラワタを掻き回していると言われた。

続く

 

 
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橋下ちゃん敗戦の記者会見は笑顔でさわやかだったね

2015年05月18日 11時09分41秒 | 橋下改革
 大阪でさえ保守的なんだな、今後日本は発展しないなと思った。広島の様ながちがちの保守性だったら やる前から結果が見えている。大阪都構想は何となく、橋下派対、反橋下派の戦いの様になってしまった。

 橋下は実にあっけらかんと笑顔で、すがすがしかった。何でだろうなと思ったんだけど、橋下は何でも自分の思い通りやってきた人間で、その流儀は貫けた。マスコミで不利が伝えられ、逆転にかけたんだろけど、負けてサバサバだろうな。

 当初、橋下はいつか首相になる人物と考えていた。大坂の維新の旗揚げにも行った。凄い熱気と勢いだった。最初の衆議院選挙では、仕事も空けて毎日選挙区を回って働きましたよ。橋下を見限ったのは、慰安婦発言だった。

 このブログで、代表を降り、髪を切って坊主になれと何度か書いた。反省の無い人間が国のトップにはふさわしくない。しかし、その後も自分の発言を正当化し続けた。支持する気は失せた。再び、維新の会を支持する事になったのは江田憲司が加わったからだ。

 江田憲司はブレが無いし、言っている事は私の考えに極めて近い。みんなの党が空中分解し、成るようになったというのが最近の維新の会だった。もし、みんなの党と合併したら、民主党を遥かに上回る勢力になっていた。

 みんなの党に対し、解党して加われなどと、奢り高ぶりがひどすぎて実現しなかった。矢張り、弁護士出身でテレビで人気が膨れ上がった人間らしかった。

 ブレーンや取り巻きが、堺屋 太一、古賀茂明(元通産官僚)、中田宏(元横浜市長)、東国原英夫など凄いメンバーでパワフルに思えたのだが、いつの間にかいなくなったね。上手に起用できなかったんだね。

 例えば、ブレーンを大阪市の幹部に登用し、基本的な方向性だけ合わせて、バリバリ、好きなだけ改革を進めさせればよかった。間違いなく大阪は変貌し実績も出ただろうから、一気に国政でも大多数をとれた。橋下にそれだけの度量が無かったのだろう。

 話は変わるが、もし、たかじんが生きていて「橋下は色々有ったが一生懸命大阪の事を考えてきたんだから、一つ任せてやってくれ。橋下は今後もわしが指導する」とでも言おうものなら、大阪都構想は市民から支持されただろう(僅か1万票の差)。

 たかじんの奥様の一言でも相当威力を発揮した事だろう(奥様はおられた?)。また、自民党をはじめ全ての政党を敵に回しており、上手に筋書を作り調整出来る人物もいなかったんだね。要はやり方が下手。

 橋下が抜けたら、維新の会は維新の会ではなくなるし、相当力を失うことになり、選挙で江田憲司が党首に再選されて、がむしゃらに頑張るしかない。江田憲司は論理的で唯一まともな政治家だが、ちょっと硬いので、党全体が縮小しない様、工夫も必要。

 橋下は二度と政治家はやらないとの決断で、言い切った以上は貫いたら良い。そう言えば島田 紳助も全くテレビに出なくなった。
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ホームラン数の集計は黒い霧に包まれてストレス解消のはずがスカッとしないね

2015年05月17日 21時07分53秒 | スポーツ
 打劇王(広島市草津)のホームランのファンファーレは明快だった。正面から中心付近に強く当たらないと的が反応しなかった。それが昨年の12月から何でも有りになり、それに加えて、事務所の集計が不明瞭で、ストレス解消も逆効果になりかねない。

 私の4月末20本も、実際より多すぎると思うが、1位が30本、3位が15本だった。1位は3月末が22本で、4月は5本にて月間ホームラン王になっている。ところが、22本と5本を足しても27本にしかならない。4月末に30本なら4月は8本でなくてはならない。

 事務所は1位が3月末に22本であったことは認めたが、別のスタッフから全面的に調査するので時間がかかると言われ、未だ明確な回答が無い。今回は「記録が残っている」から正しい?で終わり。

 疑問は二つある。一つは、もし計算通り4月が8本なら、私なら、事務所に言って5本から8本に直させる。名誉の問題だ。次の疑問は、店長が壁振動では鳴らないように調整したと言っていたので、そうであるとしたら月間8本は難しい。

 4か月で30本は単純計算で年間90本、3位も45本だ。私がホームラン王を3年連続でとった最高も41本だし、カープの試験を受けた選手も50本は超えていなかったはず。という事は、店のスタッフが言っているように、近くの壁に当たって的が反応したか、投げて的に当てているのだろう。

 私も3年の経験で分かるのだが、壁ドンで反応するのは正面から打つ場合だ。私の場合、2番ボックスから6番ボックスの前の的を目標としているから(2⇒6)斜め約40度で(距離60m程度?)、とても壁ドン・ファンファーレにはならない。

 的に当たる確率は距離の二乗に反比例し、また斜めからだと的も小さくなるから、正面からに比べ確率は半分程度になる。その上、壁ドンでは実質的が大きくなり、この場合に確率は面積に比例し、楽に4倍ぐらいになる。そこで、2⇒6に対して総合で確率は8倍ぐらいになるのだ。

 壁ドンでファンファーレが鳴るのも、顧客にとっては嬉しい事で、店が繁盛するのは歓迎すべきことだ。ただ、訳の分からん集計は止めてもらいたい。また、提案として的の直径を1mぐらいに拡大し、代わりに壁ドンで反応しないようにしたらいかがかな?

 今後も80cm、800gのバットで、最高速をフルスイング、2番ボックスから6番の的狙いは続ける。多分誰も真似は出来ない。皆さんの場合、バットは75㎝前後、720g前後、速度は120km/h以下、正面近くで当てにいっていると思う。

 私が打っていると、大抵、体格が一回りも二回りも良くて元気な若者が、彼女を連れたりして隣に来る。凄いなと思う事も有るのだが続かないね。私は子供の様に力が入り、緊張感でベストは出せないが、まずまずの当たりが出る。悪くても経験で修正出来ているのだ。

 元野球選手みたいな若者が3人続くと、流石に筋肉も頭も一杯一杯になり ばて気味で帰るが、ストレス解消だから、それが良い。最近は複数の新規事業立ち上げで、来れない日も有り、最近は来ても打てない日の方が多い。

 仕事が忙しいともろに影響が出る。良く寝た日は当たりが良いね。2番ボックスから6番を狙っていると書いたが、狙って当たるわけがない。方向は、広角にはなるが引っ張り方で合わせることが出来る。高さは球の高さとバットの立て方かな。

 フルスイングは芯を食いにくい。70%ぐらいの振りだと、ブレも少なく、コアを掴み易く、気持ち良く飛んでいく。要は120キロぐらいの球を力を入れず機械的に打つのが的に当てるだけなら遥かに効率が高い。力を抜くのは私の性格には合わない。

 ボックス同士で、球の来るタイミングが同期しているのが何とかなれば有り難い。いたずらするのがいて、こちらが打つ直前に打たれると力が抜けたり、微妙に芯が外れる。影響を受けない工夫はしているが、悪意が無い場合でも楽しくは無い。

 最後に、バッティングもスポーツだからフェアーに競争したいね。訳の分からん競争に巻き込まれたくない。私のホームランは正真正銘振り切って真ん中に当たっている。同じ条件でフェアーに出来るなら、是非、競争してみたい。
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出向して新規事業を立ち上げるのはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った4

2015年05月15日 18時15分32秒 | ビジネス
 サムソン電子は、日本企業からのヘッドハンティングばかりが誇張されているが、実は進出する新たな国のニーズを汲み上げて製品開発するという日本企業とは反対の手法で、急激に拡大し世界一になった。

 一時は日本の電気系トップクラス10社を集めても、利益がサムソン電子1社の10分の1にも満たなかった。

 新人を新たに進出する国に行かせて、1年間遊ばせ、地域の状況を掴ませる。多分、日本企業の弱点を分析し、逆張りの思い切った戦略を採用したのだろう。日本企業は今でも作りたい製品を作る傾向が有る。

 これらサムソン電子の情報は2008年頃から入るようになったと思うが、私はこれに先立つ1991年には、既に顧客ニーズを徹底的に実現する方法を採用していた。だから、素人がまるで砂漠の真ん中で更に素人を集め、日本のトップクラス企業向けに機械開発し納品できた。

 社長から量産品はやるなと厳命されていた。もし、量産品をやっていたら、世の中変わっていたかもしれないし、もう少し楽をできたのではないか。隙間を狙った新規開発で上場企業に機械や生産ラインを収めた。類似の場合でも、大幅に仕様が異なった。

 営業件名は常に30以上あり、全く異なる開発テーマを多数追いかけていた。1件収めても「やれやれ」とはいかない。うまく行って当たり前、常に山ほど開発課題を抱えていた。量産品なら、確かに開発レベルは高いが、1点に全力集中できるし、走り出せば余裕が持てる。

 唯一、リピート受注のできる間伐材利用の柱材製造装置は、営業が下手な介入をしたので、面倒くさくなって他の製造部門にプレゼントしてしまった。リピート品でも美味しいですよ。開発は一度、改良で済むし、利益が確実に見え、計画が立てられる。

 私は顧客(企業)の悩みや夢を聞いて、解決や実現を図る。しかも、関係者全員が満足するようにソフトやハードや全てを仕上げた。もう一つ、心がけたのは、コアな製品を受注した場合、生産ライン全体、或いは工場全体を受注出来るよう提案する事だった。

今から振り返ると機械装置開発+エンジニアリングだった。大抵の場合、生産ラインの受注できるところは全部受注した。「当社が全部受注すれば、責任は全部当社が負いますし、何が有っても電話1本で済みますよ」とは私のうたい文句だった。

続く
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