かつての野球王国の広島も今やその面影をわずかに残す程度、今年の夏も広島地区から出る広陵に対して地元の見方もクールであった。しかし、初戦、駒大苫小牧に9回の劇的な逆転勝ちを収めるや一気にはじけ、試合を重ねるごとに力を増し、圧倒的な力をつけていった。決勝戦に進むことは当然のこととして、地元では優勝の可能性が高いと、パレードの話も盛り上がっていたのである。
ただ、私は準決勝の戦い方を見て、優勝に対する懸念を感じるようになった。行きつけのスーパーで、「決勝戦はやってみないと分からない」と発言したところ、馴染みのレジの女性の表情が変わり、前にいた客が驚いたような顔をして私を直視した。私はあわてて、「広陵は以前より強い」と、とりつくろうことになった。はたして、決勝戦、8回までは4対0で順調に歩を進めるように見えたが、ご存じのような佐賀北の奇跡の逆転満塁ホームラン。ここまでは予想できなかったが、ショックだった。やはり優勝して欲しかった。
私が準決勝で感じた懸念材料は、中井監督がダッグアウトから出て前面に立ち、指示を出し始めたことだった。そこに監督の欲を感じた。
実は、私は今年の広陵に、従来見たことのない、特別な強さを感じ、その原因に興味を持っていた。これに関して、読売新聞の記事で中井監督が試合中に細かい指示を出さず、選手の自主性に任せていることが分かった。選手を管理しない方が実力が出せるというのが理由だった。なるほどと思ったから、準決勝での監督の変貌が、気がかりだった。しかも、準決勝では野村投手に完投させ、へばってきた野村投手は打ち込まれ、1点差まで追い上げられたものの辛うじて逃げきっている。
決勝戦前の両監督の発言は対照的だった。広陵中井監督は「優勝したい」、佐賀北の監督は「良い試合をしたい」と言った。ここに佐賀北の無欲さと、広陵の欲の差を感じる。私は今後、広島の有力校が優勝して欲しいから敢えて言うが、試合に勝つとか、優勝するとかは、それが実現して初めて分かることであり、試合前に監督や選手本人が言うことではない。先に景気の良い話をすることにより、運や精神的エネルギーが逃げると考えた方が良い。
広陵中井監督の優勝に対する気持ちが言葉だけでなく戦いの中にも表れたから、野村投手は緊張し精一杯のピッチングをし、8回までは佐賀北を抑えることが出来た。しかし、連投もありヘバリが来ていた。他の選手たちも、やや硬くなっていた。本来の自由さ自主性からくる、粘り強い反撃力を失っていた。
中井監督は準決勝でも7回ぐらいから、野村投手を外野に回し控えの投手での継投を行うべきだった。戦局が悪くなればいつでも野村投手に戻せば良い。優勝戦では多分、野村投手を胴上げ投手にさせたかったし、他の投手で打ち込まれて悔いを残したくなかったのだろう。勝ちパターンにもこだわったのではないか。佐賀北は二人の投手でまかなってきたのだから、疲労度が軽減されている。準決勝と決勝の重要な2試合を野村投手一人で投げ切った広陵とは異なる。佐賀北の百崎監督は試合前から、野村投手の後半のヘバリに賭けたいという発言をしていた。当然のことである。
広陵にとって予想外の敵は、実は甲子園の観客であった。伝統校に抑えられていた初出場佐賀北に対して、甲子園が揺れるほどの声援がかけられた。8回佐賀北が満塁、2-3の場面、野村の球は明らかにストライクゾーンに投げ込まれていたにもかかわらず、審判はボールを宣告し、1点が与えられた。野村投手は少なからず動揺したに違いない。次の打者でスライダーが甘くやや高めに入り、振り切った打球が観客席に飛び込んだ。佐賀北の打者も立派だったが、それまで完ぺきに抑えていたことを思うと野村投手が気の毒だ。
中井監督はボール判定に対してマスコミのインタビューで激しく抗議しているが、良い方法ではない。確か、試合中には審判に確認していなかったのではないか。確認すれば、全審判が集まり、判定が覆る場合がある。問題があるのなら、新聞記者への発言を控え高野連に対して正式に文書で抗議すべきだろう。
整理すると、明らかに決勝戦では広陵が有利に見られていたにもかかわらず、広陵が優勝できなかった理由は①監督が欲を出し、発言でも指揮でもそれがそれが表面化したため、選手に緊張感が生まれ、プレッシャーがかかり、また自主的なプレーから湧き出る強さが失われた、②野村投手に連投させたため、ヘバリが来た、7回ぐらいから野村を外野に回し継投を考えるべきだった、③観衆が佐賀北の応援に回ってしまった、これにより審判の判断ミスも起きているし、相当の圧力を受けた、観衆を味方につけるような言動が求められる。
最後に、広陵の中井監督に対して大変辛口で、読むに堪えないような内容であったことを申し訳なく思う。中井監督が全国レベルの野球チームを作った事は誰が考えても大変な偉業であり、私には逆立ちしてもできない。ただ、ただ、感謝するしかない。私が望むのは、広島の高校が再び、甲子園で活躍の場を迎えた時に、優勝するかどうかは実は僅かな要素が起因することが多く、今回触れたようなことを参考にし夢を実現して欲しいということだ。