宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

仏教界に求められる日本人の心の救済

2007年12月23日 12時32分23秒 | 思考空間

 日本の歴史が始まって以来、今ほど日本人の心が荒れ、綻びているいる時はなかっただろう。今回の佐世保の乱射事件だけではない、毎日のように、いじめによる自殺や家族間の殺害など、驚くような事件が起きている。アメリカの文化とともに、凶悪事件も日本に伝わったとも言われる。先進国として、成熟期に入ったと見られる日本だが、精神文化は荒廃している。

 全てを政治のせいにするのは簡単なことだが、その前に本来宗教は、もっと日常的に精神的な面での救済を実施すべきではなかったのだろうか。寺や坊主は何をしてきたのだろうか?日本では冠婚葬祭がベルトコンベアに乗せられ、ビジネスベースで流れて行く。特に、死という深刻な問題が利潤を生むイベントとして、対応がパッケイジ化され強化されてきた。それゆえに、生きている人間の心の問題が置き去りにされてきたのだ。

 確かに寺は毎日のように人間の死という誰もが嫌がる問題に接しなければならない。その大変さは理解できる。しかし、本来、宗教は現実に今生きている人々の心の救済を行うべきものだ。仏教が世襲制であり、金を得るための手段となっていることが、形骸化を生み、本来あるべき、精神的な救済活動を衰退させているのではないか。私の知っている住職は普通のサラリーマンで普通に話ができたが、今は寺の後を継ぎ、四国88か所の一つの大住職として舞い上がっている。何しろ、資産と言い、収入と言い桁外れだから成程なとうなずける。

 私は宗教観として、天地創造を唱えるキリスト教よりは輪廻の仏教を支持する。科学の進歩とともに天地創造説は矛盾を拡大しており、宇宙や生命の本質が循環だとする私の考えと輪廻はマッチする。しかし、活動面において、仏教は感覚に合わない。かっこ悪いし、日常感覚との乖離が大きすぎる。何よりも、ほとんど精神的なよりどころとして役に立っていない。

 私は、日本の宗教を全体に見直し、より現実的で日本人の心を救済し得る、新しいスタイル、人々との接し方を考えるべきだと思う。例えば、住職ではなく、精神的救済者としてそれにふさわしい人を探し出し、一定の生活レベルを保証する代わりに、救済者は愛や生きることの喜びを唱え、悩みを聞いてあげる。救済者の活動については、常に愛情深くフェアーになされるよう支援組織が支えて行く。冠婚葬祭はその一環として、合理的なコストで実施する。

 救済者の中に、仏教徒やキリスト教徒がいてもよいと思う。大切なのはその選び方、守るべき最低限度のルールの決め方だろう。心の救済という目的は不変としても、世の中や環境の変化には対応しつつ、究極的には人類の繁栄を目指さしてゆくべきだろう。何事も発展のコアに優れた評価システムが必要である。その救済者の実現をライフワークとして考えてみたい。


猟銃に位置情報チップの取り付けを義務付けよ

2007年12月17日 10時03分52秒 | 思考空間

 このたび、佐世保市で起きた散弾銃乱射事件では、犯人住居の近所住民から「銃を持って出歩く」など警察に危険を知らせる情報が有ったにも拘らず、警察は取り合っていない。もっと問題なのは、警察の責任者が「銃所持の調査・承認などが適正に行われている」と断言している点だ。警察が許可した銃保有で二人も射殺し重傷者も出ているのだから、犯人に銃を持たせたことに問題があったことは間違いない。

 犯人は生前、定職がなく当然収入も少ない。精神的にも安定していない。母親は事件を聞いてすぐ、自分の息子ではないかと思ったという。何故、警察はそのような人物に銃を3丁、空気銃を1丁も許可するのか?一度、所有を許可しても、見直しは常に必要であり、なんでづるづる合計4丁に至るまで銃の追加を認めるのか理解できない。裏で銃メーカーと警察が繋がっているのか?

 私は国内で許可されている30万丁以上の銃をこの際、先入観にとらわれず全部見直し、少なくとも10%以上は許可を取り消す方針で臨むべきだと思う。そして提案したいのは、銃に居所を発信できるチップを埋め込むことだ。非常に危険な銃を持ち歩くのだから、プライバシーがどうこう言う問題ではない。常に銃がどこに有るかを確認でき、発信が無い場合にはすぐ調査し、不正があればその場で取り消すという対応が求められる。チップを付ける場所は台座の中やその付近が適する。

 警察に対して付け加えるなら、警察の外部監査は絶対に必要である。検挙率が20%を割ったと言われながら、貴重な情報を提供する住民の訴えに対して、全く動かないケースが多い。「民事不介入」などとふざけた断り文句をかざして、不作為を正当化する。記者クラブを通じて、マスコミを都合の良い方向へ誘導する。何の罪もない人を、犯人と決め付けて牢獄へぶち込む。本来無罪なのに警察の威信を守るがために死刑された人もいるだろう。一方で真面目な警察官がたくさんいることも事実だ。試験ではなく、現場で活躍する警察官を評価するシステムを導入しなければならない。

 たくさんある課題の中で、真っ先に外部監査制度を実現し、本来あるべき警察に戻したい。昨今の警察の不祥事を見るにつけても外部監査無しで、自浄作用が働き、まともになるとは思えない。