宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

宇宙を数学で語ることの限界

2009年06月28日 16時35分14秒 | 宇宙

 数学が人類の発展に果たしている役割は大きい。あらゆる分野で数学は活用され、駆動エンジンになり、ツールになっている。然しながら、数学で自然界の現象を語るには限界があると言うべきであろう。例えば、宇宙は有限か無限かと言う議論が有る。有限の宇宙モデルを想定するなら、それは、宇宙に始まりが有ることと連動する。数学は有限の世界を表現することができる。ところが、無限の世界についてはどうだろうか?

 数学的な無限(∞)とは何か?例えば∞+1とは何だろうか?∞÷5と∞×10,000とはどう違うのか?実は回答は ∞+1=∞ 、∞÷5=∞ 、∞×10,000=∞ となりいずれも無限(∞)と言う同じ答になる。2÷0も3,000÷0も答えは∞である。つまり、数学では元々∞と言う世界を厳密に表現できないのである。その定義さえ明確ではない。

 宇宙において無限とは何なのか?観察によると宇宙は膨張している。何故、膨張出来るのかと言えば、そこには何も無い領域(真空)が想定されているからであり、真空に物質が拡散してくることにより宇宙が膨張してくるとされているのだ。ところで、真空は有限なのだろうか?もし、真空が有限なら壁にぶち当たるような現象が起き、宇宙は膨張できなくなる。壁が有る、あるいは同様な現象が起きるとしたらそれは真空とは言えない。つまり、宇宙には無限の真空が有るのだ。無が無限にあるとはへんてこりんな表現だが、これは現実の話である。ところが、数学ではこの無限の無のことが表現できない。多分、論理的に語るべき対象ではないのだ。

 膨張する宇宙に関する無限は直線的な話である。私が指摘したい重要な無限は循環である。電子が陽子の周りを、地球が太陽の周りを、太陽系が銀河中心部の周りをまわっている。宇宙では様々な循環が見られ、一つの循環が終わっても更に新しい循環が始まる。無限の循環が継続される。私はこの循環性こそが、秩序であり、根源であり、存在そのものだと言いたい。

 私が宇宙によらず、全ての対象に関しての分類として定義したいのは循環か非循環かということだ。

 さて、物理学者は宇宙の有限性を説明するために、空間のような時間の存在を定義している。この時間は、大きくもなれば、小さくもなり、あるいはマイナスにも虚数にもなる。しかしながら、果たして、時間の矢は逆さまに回るのか?私に言わせれば、物理学者の言う時間とは便利の良い架空のツールであるが、このようないかさまな議論が通るのは、各学会が完全に独立し、干渉しないせいだと思う。もし、物理学会、化学学会、生物学会(あるかな?)が一緒になってまともに時間について議論したら、とても物理学者の言う、自由奔放でさかさまに回る時間は容認されないだろうと思う。

 もし、宇宙物理学者の言うように、宇宙がある瞬間から収縮しだす(時間の矢がさかさまに回る)としたら、我々はそれを認識できるのだろうか?それは不可能というべきだ。今も、時間の矢がさかさまに回っているかもしれないが、その宇宙に我々が存在する限り見ることが出来ない。全てが同じ時間に拘束されているからだ。もし、観察できるとしたら、宇宙の外から眺めている自分が存在する場合だろう。もし、時間の矢が反対に回る宇宙を観察する自分が存在するとしたら、宇宙の時間に拘束されない世界が有りそこに自分がいる、すなわち時間が二つ存在することになる。

 宇宙とそれに隣接する世界で片や時間がマイナス方向に動き、一方がプラスに動くと言うことが起こり得るのか。もはや、これがおとぎ話の世界であることが分かる。

 もしビッグバンが、本来の大爆発による膨張と拡散であれば、文字通り物質が四方八方に飛んで行く。宇宙の卵は無限大の温度(=エネルギー)を持って誕生するのだから、アインシュタインの理論によれば、光の速度以下ながらそれに等しい速度で拡散してゆくことになる。実は拡散する物質と物質との距離も光の速度に近い速度で大きくなるのであるが、例えば天体は様々な物質が凝縮し形成されている。拡散の状況下でどのような現象により、凝縮が起こり得るのか?

 数学では循環という重要な現象を表現できないのであるが、宇宙はありとあらゆる物質の組み合わせと循環が形成する無限の世界と考えるのが最も自然な論理であろうと考える。

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向かうところ敵なしのランクルの悩み

2009年06月21日 19時09分32秒 | 

 あのGMが破綻し、ついにハマーを中国企業に売り渡すこととなった。リーマンブラザースのつまずきが、世界一を誇った自動車メーカーを奈落の底位へ追い落としたのだ。四駆のファンにとって、ハマーはあこがれのブランドの一つであり続けた。私の知っている社長が乗っているモデルは大阪でも1台目とかで、誇らしげでもあり、所有者にとってステイタスであったことは間違いない。何しろ、価格が楽に800万円とか、とても一般人が購入できるレベルではない。

 もし、ハマーが右ハンドルなら、価格を無視するなら選択肢の一つであることは間違いない。ランクルがクラウンの兄のような、丸型デザインにこだわっているのに対して、角型の、ミリタリーユースを連想させる精悍さは、そのワイドなサイズともあいまって、多いに惹かれるものが有る。しかし、中国メーカーとなったことで、ブランド価値は著しく低下した。

 日産のサファリやいすゞのビッグホーンは生産中止になった模様だし、残るは三菱のパジェロだが、新しいモデルで特に新たな魅力が加わったようにも思えない。この分野で、ランクルは圧倒的な強さを見せつけているのだ。

 この春に、新たなランクルモデルが発表された。これまでと異なり、試乗は無く、カタログだけの紹介となった。相変わらず、トヨタは最強モデルに関して、ディーゼルを搭載する予定がない。300馬力を超える高出力、6速、新たに加えられた安全機構など大いにそそられるが、無理して買うだけの魅力が有るかと言うと、ちょっと疑問だ。何しろ、低カーボン社会がうたわれ、ハイブリッドなどの省エネカーが注目される中で、ちょっと肩身も狭い。ガソリンがぶ飲みの上に、購入費が総額で800万円ぐらいになってしまう。

 ランクルの走りの安定感、スムーズさ、トルクフルな余裕のある走り、これらはドライブするものの心をとらえて離さないのだ。私の所有しているランクル100ディーゼルの不満は、ミッションとトルクカーブのマッチングが取れていないために、低速で踏み込んだ後アクセルを離すとショックが有ること、信号待ちでの振動、急加速時での発煙である。ランクル100の後期モデルでは5速になり、ミッションのマッチィングは大幅に良くなっている。残りは、8気筒&コモンレールエンジンの開発だろう。すでに、ヨーロッパモデルでは実現しているのだから、是非実現して欲しいものだ。

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宇宙は有限とするビッグバンのナンセンス

2009年06月07日 19時50分09秒 | 宇宙

 ハッブル望遠鏡がビッグバン宇宙の謎を解くためとするのは、予算獲得のための作文である。何度も指摘しているように、我々が観察できる宇宙は全体のわずか4%かそこらにすぎず、宇宙が大爆発した根拠がは全ての天体が遠ざかっているからとしながら、どこで爆発したかを示せないし、ビッグバンの最大の拠り所となる可逆的な時間的空間などどこにも存在しない。

 科学は再現できることしか扱えない。ところが、殆どその実体が観察できていない宇宙に関して、ビッグバンなどというものすごく大胆な論理を組み立てて、さも定説のように発表してしまう。科学の天才達の説にしてはあまりにもお粗末すぎて、話にならない。

 そもそも、ビッグバンの根拠となったのは、全ての天体の電磁波が赤外線側に振れており、ドップラー効果により遠ざかっているとみなせるというものだ。もし、全ての天体が地球にいる我々から遠ざかるのであれば、ビッグバンは地球付近で起きたことになる。加えて、過去の観察データを集計すれば、高校生でさえどこが爆発地点であったかは簡単に計算できる。しかるに、この簡単な推定がなされたことがない。

 もし、アインシュタインの言うような、空間的な時間が有ったとしたら、時間は可逆性になる。つまり、DVD映像を反転させたように、絨毯の上にぶちまけた水は空中を飛んでお盆の上のコップに戻る。それだけでない。宇宙の膨張がある時 反転しはじめ、全ての宇宙の天体は1点に向かって移動し、やがては目にも見えない量子大に凝縮するのだ。

 量子理論が発達したことは、無から有を生むと言う根拠を見いだせないでいたビッグバン支持者にとっては天からの救いだったに違いない。物質の元をなす、量子と宇宙を結びつける、荒唐無稽なつぎはぎ理論が生まれることとなった。

 ビッグバン理論は、確認不可能な単なる仮説にすぎないが、何故、否定されないかと言うと、アインシュタインをはじめとした数学や物理の天才達がありとあらゆる物理や数学の理論、観察結果を継ぎ足して理論武装しているからだ。例えば、相対性理論一つをとってもこれを理解すること事態が容易ではない。ましてや、ひも理論などに至っては、日本で何人が分かっているのか。

 ビッグバンの心臓部は数学である。数学で扱えるのは極めて単純であるか、理想的な物理現象などに限定されてい。化学、生物の分野ではほとんど通用しない。数学では無限大の表現∞は持つものの、事実上無限大を扱うことが出来ない。

 つまり、数学的世界と無限大は全く相反するところにある。一方で、ビッグバンの本来意味する単純な爆発拡散は、秩序を規定しておらず、宇宙の形成条件を満たしていない。秩序の本質の一つは循環性である。

 電子が核のまわりを循環し、衛星が恒星の周りを循環し、凝縮と分裂が循環する世界が宇宙であると言うべきだろう。秩序こそが生命と進化した人間を作り出した。宇宙が有限とするのは、無理やり宇宙を数学的に表現しようとするための暴論である。有限とは単に、無限宇宙の一部を示すに過ぎない。 

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裁判所は無茶苦茶・菅家利和さんに思う

2009年06月07日 18時55分51秒 | 思考空間

 足利事件で弁護側がDNAの不一致を申し立てたのに対して、最高裁判所は確認することも無く5人全員一致で上告を棄却したために、菅家利和さんは17年半も刑務所で拘束されることとなった。また、当時地域で起きていた5件の幼女殺害などの事件が全て未解決となったばかりか、殆どが時効となった。

 何故、このようなことが起きるのか。一つは足利事件が日本で最初のDNAを証拠とした判例であり、その後に続くDNA鑑定を根拠とする判決、および裁判所の権威を守るためであった。一度下された判決がひっくり返ることはまず例外と言っても良い。裁判官は、事実がどうであるかはどうでも良いことなのだ。それが証拠に、当時の最高裁の判事は反省するどころか、当時としては極めて正しい判断をしたと述べている。

 裁判所は国や権力者を守るべく相当偏向しており、結論が先にあって、論拠は結論を導くための単なる言い訳に過ぎない。私が経験した裁判でも相手がNTTだったために、裁判はNTTの利益を守るための結論が先にあり、数々の矛盾点を指摘しても、全くそのことには触れず、裁判官がNTT側が主張してもいない論理を付けたし、一方的な判決を下したのである。

 NTTは月額5,700円のレンタルサーバー料金に関して、20万円以上を要求してきた。誰でも驚くだろう。内容が分からないから明細書を要求し、明細書が出されたら払うと文書で回答しているのに、強引に裁判にかけてきた。一審の簡易裁判所の判決文には、明細書を出さなければならないという法律は無いと書いてある。

 それでは、NTTは契約前の説明で、多額の課金を請求する場合が有ると説明していない件、顧客のリスクを軽減する措置が取られていない点、とても読んで理解することが出来ないような約款(膨大なだけでなくいくら読んでも分からない)、肝心なところの誤字脱字などなど・・何故、全く無視できるのか。

 つまり、NTTと裁判で戦おうとしたら、NTT側の弁護士が戦う相手ではなく、裁判官が相手になるのだ。NTTはとにかく裁判に持ち込めば一審が勝てる。一審に勝てば、自動的に二審でも三審でも勝てる。三審では弁護士を立てたが、高裁から却下されてしまった。

 その後、NTTには24万円なにがしを払い、分からない点を質問をした。しかし、裁判で済んだこととして一向に返事がない。質問の概略はこうだ「明細書を出したら払うと伝えたにも拘らず、何故、明細書を出さず裁判にかけたのか?」、「NTTはメーカーや業者に対して請求内容が理解できない場合でも支払いをするのか?」。

 通常、メーカーや業者がNTTに請求書を出して、NTTの担当者が理解できないと言った場合には、メーカーや業者は完璧な明細書を提出し、中小企業なら社長が飛んできて、平身低頭した上で、夜の接待で機嫌を取る。NTTが請求内容が分からないと言えば、通常は飲ませろというサインだ。要はNTTは顧客を顧客とも思っていないのだ。

 裁判が暴走しても、裁判所が平気でいられるのは、衆議院選挙の最高裁判事の審判で自動的に信任されてしまうからだ。こうして、事実上やりたい放題の最高裁判事が全裁判所の人事権を握っている。これでは、公正な裁判などは望むべきも無い。

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