宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

日野皓正氏のビンタは当然すぎるほど当然で文春の取り上げが異常

2017年09月02日 21時18分23秒 | アート・文化
 日野皓正はビンタした少年の事を取材で「あいつは凄い、天才だ」と褒めている。少年はその時、長いドラム演奏を続けドラムで全体を指揮し始めていた。少年はケロッとして、取材では父親と「人生で最高の瞬間だった」「日野皓正氏が来るまでは」と言っている。

 日野皓正氏がドラムの演奏を止めるように指示したのに止めず、スティックを取り上げても手で叩いていた。これはちょっと日野皓正氏に対して」失礼過ぎる。パンチを入れても良かった。然るに怪我もしていない。日野皓正は取材では謝罪しているのだから、他人がどうこう言う問題ではない。

 文春は文芸春秋と異なり、余りにも下品な雑誌だ。どうなっているのか聞きたいよ。質の悪さを競ってる。売れれば何を書いても良いわけでは無い。

 日野皓正氏に非が有ったとしてらそれがただ一つ、この中学生を受け入れ続けた事だ。持った早い段階で放り出すべきだった。

鉄道マニアが撮影した列車の風景と秋の表情 今西泉氏の作品

2013年11月10日 14時33分50秒 | アート・文化

 今西泉氏は無類の鉄道マニアで、日本各地の鉄道を研究し、写真を撮影しておられる。あまりにも綺麗なのでご紹介したくなった。

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  みかんと電車

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 柿の木が有ると撮影したくなるらしい。写真の上で左クリックすると拡大します。詳しいことなどはまた追って記載します。

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 ここにも柿の木。

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  富士山。この写真を見ると写真1枚のための計画、準備などの苦労が分かる。

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 特急かな。

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 牧歌的。

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 美しい電車ですね。京王線の新宿行きだ。私も学生時代乗っていました。

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 美濃行き

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 退役前?

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 如何にもヨーロッパ的なデザイン

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 パリのようです。

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 パリの電車。

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 小田急。

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 つい最近の秋の風景。携帯で撮ったらしい。

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 今西泉氏のお住いの近くですから東京なのか。

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 風情がある。

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 自然のつた。

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 赤い実が印象的。

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 ご存じエッフェル塔。これは現在(秋)ではありません。なお、当然のことながら、これらの写真掲載は今西氏の了解を得ています。

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 フランス ストラスブールの運河

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 ヴェルサイユ宮殿の農家

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 モンマルトルから

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 ストラスブール 古い建物

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 モンマルトル 坂

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 モンマルトルを望む


最後のサムライであった三島由紀夫

2007年01月27日 22時55分33秒 | アート・文化

 ラストサムライはなかなか面白かった。このような映画がアメリカで制作されることが不思議だが、100円のレンタルビデオでアメリカ映画をさんざん見てきた印象で述べれば、アメリカの映画人は様々なメッセイジや主張を映画に込めている。ラストサムライとは、それ以降、侍は存在しないという指摘であり、また日本人よサムライ精神を取り戻せとも言っているのだ。ま、それはともかく私はラストサムライは三島由紀夫であったと思う。

 サムライとは何か、それはいつでも潔く腹を切ることができる男のことだ。三島由紀夫が自衛隊員を集めて決起せよと語った内容は私には理解できないが、三島由紀夫の切腹は立派だった。何のためらいも無く、真一文字に腹が切り裂かれていたという。腕力も大変なものだが、それ以上にこの精神力はただものではない。日頃鍛え上げてきた肉体と精神力が究極の目的であり美学である切腹を実現することになったのであろう。新撰組の近藤勇は農民出身であったが、最後は見事に腹を切った。近藤勇も立派な侍だったのだ。

 石原慎太郎は三島由紀夫が肉体を鍛錬しているのを見て、「私の身体はそんな貧弱ではない」というような発言をしたらしい。背丈では確かに石原慎太郎のほうが大きいが内容はまるで異なるだろう。石原慎太郎はかつて週刊誌に、デートで約束した場所に行かず、遠くから待ちぼうけを食わせた女性を眺めているのが面白いと書いていた。なんとも女々しい歪んだ性格の持ち主である。日頃勇ましい発言をして見せるのは多分自分の弱さや女々しさを隠し、別のかっこいい姿を演じようとしているのだろう。

 かつては日本に侍が存在し、武士道精神も受け継がれてきたが、残念ながら今やそれは完全に過去のものだ。日本は滅茶苦茶になってきた。権力者は平気で嘘をつき、最後にはそれがばれてしまう。節操の無い何でも有りがあちこちで見られる世界が日本の現状だ。日本がおかしくなったのは特に急速な経済成長の時期を経てからであるが、そもそも第二次世界大戦のスタートである真珠湾攻撃からして全く侍の国ではなくなっていたなと思う。日本がアメリカに宣戦布告したのは真珠湾攻撃で勝利を収めた後のことである。アメリカは日本軍の動きをキャッチしていてルーズベルト大統領は上手に利用したとの説が日本では語られている。仮にそれが事実であったとしても何の言い訳にもならない。まともに考えれば、真珠湾での奇襲攻撃を成功させるために、宣戦布告を遅らせたことは間違いない。

 アメリカが広島と長崎に原爆を投下したことは、真珠湾攻撃の奇襲作戦より10倍以上問題があると思うが、それはそれとして、日本が卑怯な手を使ったことは、同じ民族として深く恥じなければならない。かつての武士は決してそのような卑怯なことはしなかっただろう。アメリカは先ごろもパールハーバーという映画を制作し、日本でも多くの人が観た。今後も作り続けられる。映画は娯楽だが,別の側面も持っている。これは、日本に油断するな、日本を許してはならないとするメッセイジだ。何故、アメリカが世界の工場を日本から中国に移したか。クリントン大統領が中国に何度も出かけ、中国人との交流を深めたか、良く考えた方がよい。


日本人の精神構造を作った江戸時代

2006年10月28日 18時10分46秒 | アート・文化

 日本人は江戸時代を変遷して、大きく変わった。江戸以前の日本人は、多分、もっとおおらかで、屈託が無く、自然な笑いができた。江戸時代以降は、日本人はあまり笑わなくなった。笑う場合にも周囲の目を意識し、ぎこちちないものとなった。笑いが管理されるようになった。大雑把には、江戸以前が自然体でポジティブとすれば、江戸以降は規制管理されネガティブと言える。何故こんなことになったか?徳川家康という天才が徳川家だけの安泰を目指したがちがちの管理体制を敷き、300年もその体制が続いたからだ。

 徳川家康だったか、農民は活かさず殺さずと言っている。過酷な環境、徹底した管理にさらされ当時の人口の85%を占めていた農民は人為的にそれまでと異なる性格や意識を形成されたのだ。過酷だったのは農民だけではない。身分が最上級の武士でさえ、経済的にも、精神的にも相当追い詰められていたものだった。何か事あれば命を投げ出し、主君を守り、命令一つで切腹を強いられる。侍は死ぬことと見つけたりという言葉がある。侍の毎日の精神的・肉体的な鍛錬の行き着くところが、見事な切腹である。

 ニュースでは全国の公立高校が必修の世界史を教えなかったことで問題になっている。高校生に是非、分かっていて欲しいのは、日本史では徳川体制を封建制度としているが、同じ名称ながらヨーロッパの封建制度とは本質的に異なることだ。ヨーロッパでは、君主と家来が契約関係にあった。契約は平等な立場に立って成立するし、その関係は保証されている。日本の封建制度では、家来は心の中まで君主、あるいは上司に完全従属しなければならない。従属が道徳や倫理の常識でもあるのだ。日本でも契約が常識化しつつあるが、それでも契約は対等ではない。どんな契約を交わしても上位にいるものがわがままを通せる。

 黒船は江戸幕府を大きく揺さぶり、薩長連合の侵攻が江戸幕府を倒すことになり、日本の歴史上かつて無い大きな変革がもたらされることになる。これは、下級武士が中心となった革命であったがために、精神や文化の基本構造までを変革させることは無かった。第二次世界大戦後にマッカーサーが従来の日本をことごとく壊し、自由を持ち込んだが、やはりそれは表面的な変化に留まった。つまり、日本の日本的な精神や文化の構造は激変の波をかぶりながらも、その時々の環境や条件を反映させつつ、実は継続されてきたのだ。

 何度も言うが、江戸時代は徳川家の繁栄と継続のみを目的とした体制が築かれ、徳川家以外の人々はそのための多大な犠牲を強いられてきたのだ。江戸時代は強度の管理体制が敷かれた。今の日本も江戸時代とは異なる時代背景・環境ながら管理社会であることに変わりない。日本は社会主義と揶揄されるが私に言わせれば中央の管理という形が社会主義との共通点であるに過ぎない。