確かに弁護士は裁判に関する経験情報を持っていて、成程と参考になる事がある。ところが、期待する様に展開しないケースは往々に起こりえる。一方、依頼人にしてみれば今回の裁判結果が自分の人生を大きく左右する場合でも、弁護士は楽をして金を得たいのであり、依頼人がどうなるかなんて事は本人ほどの関心が無い。
それと厄介なのは、弁護士はベテランほど自分は偉いんだと勝手に思う傾向が強く、依頼人は自分に敬意を払うべきと固く信じている。こういう訳の分からん思い違いが若い弁護士にも脈々と受け継がれるから、新米でも数年経過するといっぱしにプライドが高くなり、依頼人が年上で自分より社会経験が有っても見下すようになる。
日本の裁判はやる前から結果が大体決まっていて、大きくずれることはない。それは、必要な証拠が揃わない事に起因する。アメリカが最もフェアーで、ディスカバリーにより関連する証拠を出さなければならないから、様々な事実が分かり、分析力や展開力で差が大きく変わる。能力の高い弁護士の活躍の場だ。
ドイツもフェアーな展開になるような工夫がなされている。裁判によって専門の裁判長が担当するとか、専門家を証人に立てることができるとか。日本の裁判は公平性や事実を追及するという観点では著しく遅れているね。
君に必死で頑張る気が有れば、是非裁判にトライする事を勧める。重要なのは気持ではなく、如何に有効な証拠を見つけて法律に適合する論理を展開できるかだ。証拠をどう見つけるか推理する。手間を惜しまず、労力をかけて集める。このプロセスが最重要だ。証拠は作る場合もある。一つでは証拠にならなくてもいくつかの事実を組み合わせて重要な証拠になる場合もある。
文章は裁判長が読んで気持ち良い流れとリズムであり、分かり易い事が求められる。一つ一つの文章が証拠や法律の条文と結び付けられればベスト。裁判長は訳の分からん事の長々とした記載を嫌う。書いている本人は満足しているが、裁判長はすっ飛ばしまるで読んでいない。
おまけで書けば、相手の書面も自分のものも、気楽な姿勢で良いから、何度何度も読んで、ミスを見つけ細かい所にも注意を払う。特に相手の書面に対し気になるところを深く切り込むことだね。優秀な弁護士も必ずミスをする。ミスから重要な論点をひっくり返すことができる。