アメリカはベトナム戦争までは不敗を誇っていた。悉く勝利を収め、朝鮮戦争でも勝利しなかったものの不利な状況から共産軍を押し返した。しかし、圧倒的な軍事的優位性を持ちながらも、長引く戦況に国内世論が戦争反対一色となり、撤退と余儀なくされた。
一般的にはアメリカがベトナムに負けたと理解されているようだが、実際にはバックにいる中国陸軍に敗れたのだ。そこから、アメリカの対中国研究が始まり、ピンポン外交により米中が急接近し、ニクソンが北京に飛ぶこととなった。同盟国の日本には事前の協議もなく、頭越しとも言われた。
米中の対談では、何とその40%が日本について語られたという。アメリカにとって、核の傘の下で、ぬくぬく経済成長を図り経済でアメリカに挑戦しつつあった同盟国日本の姿は、にっくき腹の中の害虫であったのだろう。中国は「日本は歴史に学ばない国だ」と盛んに言っていた。
この時点から、おそらく、アメリカの中国大好き、代わって日本大嫌いが始まる。中国は常に征服され続ける歴史を繰り返した。強いものに対する対応が分かっている。日本は不敗を誇ってきた国で、世界のリーダーに対する配慮が足りない。
1980年後半のバブル最盛期では、日本のマスコミがジャパンアズNO1を大々的に報道し、カード破産で苦しむアメリカ国民を嘲笑した。私は、日本が世界一とする当時のマスコミには同調できなかった。何故なら、日本の軍事費は異常に少なく、アメリカの経済に追いついたとはいえ、アメリカは軍隊を世界中に配置していたし、最優秀の人材が軍隊にいたからだ。
21世紀は日本の世紀としたハーマンカーンも、ジャパンアズNO1を書いたエズラフォーゲルも国内への警告をしたかっただけで、日本人は事情を知らず勝手に舞い上がった。
クリントン政権下ではこの、中国大好き、日本大嫌いが鮮明になる。CIAを経済政策に組み入れ、日本のビジネス最前線で活躍していた商社を賄賂型として叩き、自国や旧英連邦にビジネスを移し替え、BIS規制で日本の銀行を追い落とす。日本政府に圧力をかけて国内製造業の中国シフトを進める。当時、ある業者が、ものすごい勢いで、製造業が中国に工場を建設していると驚いていた。
大手だけでなく、中小までこぞって中国へ向かったのだ。これに対して中国側は有難うと言っていた。工場、資金、ノウハウ全てを中国に差し出したのだ。かくして、世界の工場は日本から注後k誦にシフトした。今でも、中国各地で中国人経営者などと一緒に撮影しているクリントン大統領の写真がある。中国の経済成長は日本がモデルであり、日本が官僚支配の強度管理国家であったのに対して、中国が同じく共産党が支配する強度管理国家だったので、経済モデルの取り組みが容易だった。要は国家レベルのキャッチアップだ。
クリントン政権以降、軍事力や諜報機関の力を利用して経済を推進する新たな軍事戦略が生まれた。対抗する、中国も同じ軍事戦略を採用している。中国は日本の高度経済成長からバブル崩壊のプロセスを研究してきたし、ペレストロイカを推し進め自由主義へ舵を切ったため、崩壊したソビエトの状況は切迫した対岸の火事であったに違いない。
基本は一緒でも、中国の経済モデルは日本よりはるかに強力である。何故なら、中国はあのアメリカを打ち負かした軍隊をバックにした軍事戦略で経済を強力かつ強引に引き上げているからだ。最も大きいのは為替の固定である。日本はプラザ合意以降、異常な円高、その後の急激な円安に振り回され、官僚も政府もただ、おたおたするだけ。アメリカからの改善勧告にも応じない。軍事力をバックに経済成長を図り、拡大した経済で軍事力を増強する。
中国は台湾を取得し、アメリカの軍事力を上回り、日本を実質支配するまで続く。中国は自国が受けた歴史的敗北をそっくりひっくり返そうとしている。日本がかつて、暴走するシステムであったため、軍部が暴走し、経済が暴走してきたが、中国も止まらないシステムであり、マシンである。
アメリカが世界の工場を日本から中国へシフトしたことは、やがては中国が世界支配へ動かすスイッチとなり、着実にその方向へ進みつつある。このアメリカの選択は、原爆の広島長崎への投下と同様、おごれるアメリカの歴史的な過ちであった。