宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

宇宙は有限か無限か?

2011年05月31日 16時08分55秒 | 宇宙

 宇宙が膨張しながらその端が137億光年の距離にあり、この宇宙の年齢137億年と数字が一致すると考えるのは余りにもできすぎた話だろう。つまり、宇宙物理学者によると、量子大で誕生した宇宙の卵が、大爆発(ビッグバン)し、光の速度で拡散した結果、最も遠い天体が137億光年先になるというのだ。

 宇宙は無限大のエネルギーをもって誕生したのだから、最も速い天体がアインシュタインの法則で限度いっぱいの光速に達したとするのは一応、理には合っている。ところが、これはあくまで宇宙が有限とした場合の仮定。宇宙が無限の場合、もしくは、宇宙物理学者が想定する以上に宇宙が大きい場合にはちょっと状況が異なる。

 まず、アインシュタインの言う、「光速を超える速度は存在しない」について考察しよう。我々が天体を観察するには光など電磁波を利用する。電磁波は光速なので、光速以上で遠ざかる物体は観察できない。例えば、コウモリは音波を使って、位置や速度を確認できるが、ここで知る速度は音波の速度を超えることができない。つまり、アインシュタインの法則は、人間が電磁波で天体を観察する以上、電磁波以上の速度について観察できないことを数式的に証明したに過ぎないのではないか。

 現実に、国立天文台は宇宙が光の速度以上で移動するといっている。この宇宙とは何だということになるが、専門家が自ら、光速以上の速度の存在を認めている。つまり、光の速度以上で移動する天体などを見つけ、理論とのつじつまを合わせるために、宇宙が光速以上で移動すると考えたのだろう。宇宙論はこうした屁理屈みたいないかさまが多い。

 私の考えでは、宇宙の端にある天体とは、様々な速度で拡散している天体のうち、光速以下の天体を観察できているに過ぎないと思う。ビッグバンでなくても大爆発して、拡散しているか、あるいは、我々が観察できない巨大宇宙の引力で吸引されているのかもしれない。特に、物理学の単純な加速度計算で、一定の引力で引かれ続けた場合には、ある時間以上で必ず光の速度を超える。

 我々の小宇宙の外に、大規模な大宇宙があり、強力な引力で引っ張っているとすれば、引かれる天体は必ず光速を超える。宇宙物理学者が数学を使う以上、実は、無限は扱えない。端を特定できないからだ。何かわからないものを数学は扱えないのだ。

 宇宙を無理やり有限と固定してしまうのは、宇宙の認識を極小化するものだと思う。非常に偏った前提と考えでスタートし、検討し、結論を得なくてはならない。井戸の中にいる蛙が外の世界を議論できないように、我々も、小宇宙に囚われすぎている可能性がある。宇宙の強制的束縛から自らを解放すべきだ。


野村証券のやくざ体質はなおらない

2011年05月28日 09時16分21秒 | 思考空間

 ノルマのノムラと揶揄される、野村証券。野村が顧客より自社利益を優先することはよく分かっていたが、優しい顔の新人の女性社員もやくざ体質に染まってしまうとは考えていなかった。野村証券との付き合いで、莫大な損害を被っている。半端じゃない。

 野村証券との付き合いを切ってしまえばよいのだが、記憶力が弱くなっている母のファンドを代理で扱えるのは今のところ、野村証券しかない。大和証券でも可能だが、最初からさまざまな手続きをやらなければならなくなる。

 どこの証券会社でもそうだが、中年の男性営業マンが出てきたら警戒すべきだ。野村証券の場合も、課長がお会いしたいと言うので2回ぐらい会った。野村は信用していないことを伝えていた。その上で、是非お勧めしたい提案と言うことで、乗ってみた。結果は散々だった。

 それ以来、野村証券の男性社員とは会わないことにしている。どこの証券会社にいても、良心とかいうものを持っていたら、とても、証券会社の社員は務まらない。その中でも、やはり野村証券が特別だ。野村証券では不祥事も多いらしい。現に、親類筋で、野村証券の営業マン(東大卒だったらしい)の使い込みが有ったと聞いた。弁償してもらったという。

 証券会社のことは以前、下請けの担当者から聞いていた。彼は某大手証券を辞め、再就職していた。大阪大学工学部を出て証券会社に入ったらしい。入社した半数が辞めたという。やくざでないと社内に残れない。今でも、大和証券のケースだが、半分ぐらいが辞めるらしい。10億円以下の顧客はごみと呼び、損させては会社の利益を稼ぐ。

 さて、リーマンショックの時、野村は株暴落の危険性を知らせたか?福島原発事故の時、東京電力株の売却を推薦したか?いずれもNOである。このような緊急時には野村証券自体が売り抜いてしまう。顧客が売ってしまうと、自社の損になるので、絶対に顧客には情報さえも出さない。

 以前より、自動取引システム開発中で、試しているが、何とか結果が出つつある。そろそろ、やくざ証券会社との離別を考える時かと思う。


円高は世界共通戦略

2011年05月24日 19時52分59秒 | 思考空間

 現在、経済が好調なのは中国、韓国、アメリカなどである。日本は一人蚊帳の外だ。何故か?それは円高のおかげである。日本人は自信喪失しているが、中国、韓国、アメリカにとって最も怖いのは日本、とりわけ日本の製造業、なのである。

 怖い日本を封じ込めるのが、実は円高である。よく考えてほしい。日本人は中国人より怠惰でルーズなのか?日本人は韓国人より不真面目なのか?日本人はアメリカ人より不正確なのか?全てNOだ。日本人は優秀だし、勤勉だし、正直でまじめだ。その日本が負けるのは円の独歩高のせいである。

 元はじわじわ上がっており、もし、円が1ドル120円ぐらいになると、日本と中国の製品のうちかなりの商品の優位性がひっくり返る。今、中国が恐れているのは、元が上がって同時に円が安くなることだ。そこで、アメリカと組んで円高に持って行く。アメリカは対中国の赤字を減らしたいから、いくらでも円高に応じる。

 このことを、政府関係者、学者、官僚は十分理解していない。何故なら、誰も円高対策を実行していないからだ。特に、日銀はあほバカ間抜けで何もわかっていない。

 日本には元々戦略のかけらさえないと言うか、官僚や公務員などのやっていることは戦略とは真逆だ。従って、円高は世界共通の戦略という訳だ。

 そして、世界中の戦略家が狙っているのは、円の独歩高で、日本の製造業がつぶれること。今は円高であるが、もし、日本の製造業が壊滅化すると、超円安になって日本は破綻する。現状では、恐ろしくて円安にできない。


オートバイの青春

2011年05月22日 12時20分09秒 | 思考空間

 学生時代、失恋し落ち込んでいたが、幸い時間は有ったのでアルバイトで安い中古オートバイを購入し、走り回りましたね。もう、40年ぐらい前の話ですが。最初は、ホンダのCS90。単気筒の90CCバイクで町や野原や国道やあらゆるところを走り回った。気晴らしや憂さ晴らしや、兎に角走った。

 ホンダのオートバイはよく故障しましたね。スパークプラグをレンチで抜いては、ワイヤブラシで磨いていたし、電池は常に蒸留水を入れ、電圧が下がると充電器で充電した。点火のタイミングも調整していた。それでも、CS90は単気筒なので、エンジンのバランスの問題が無く、比較的故障が少なかった。

 あの頃、自動2輪車の免許は、ほぼ全員が無免許で練習し、自信ができたら免許センターに行くと言う具合。緩い時代だったのかな。ウィンカーのつく前で、手で合図してました。

 警察には徹底的に狙われた。自分たちが苦労しているのに、遊んでいるように見える学生が許せなかったんだろうな。制限速度プラス10km/hで走っているのに、白バイに停められ切符を切られた。違反していないじゃないかと言うと、交差点の曲がり方が速度を落とさず生意気だったとの返事。滅茶苦茶。

 2台目はホンダのCP77だったかな。2気筒305CCの中古オートバイで、知人の自転車屋から購入した。キックは右足で前に蹴る珍しいオートバイだったが、何しろ、初めての本格的バイクでうれしかった。エンジンは独特の柔らかい良い音だった。有頂天だったが、車検を出した後に盗まれた。今でも、あのオートバイ屋(購入先ではない)が怪しいと思っている。

 その後ホンダドリーム(250CC)に乗った。大きな古めかしい、バイクだった。CP77とはえらい違いで、金が無かったので仕方なかった。風を受けると息ができなくなるし、雨は痛いので大きな風防をつけた。カーブでちょっと倒すと、ステップをこすった。

 親しかった友人(K)が単気筒500CCのバイクを買った。元白バイだったようだ。エンジンが灼熱し、夜は赤い提灯のようだった。ブレーキとシフトの位置が逆だったので、とっさのときは誤操作してしまった。

 友人(F)がCB450(タンクが横に張っている)の中古を買ってもらい、私はさらに古いドンガメタイプのCB450を購入した。友人のバイクは、排気音が「ぱら ぱら ぱら」と軽快。私のCB450は曇った音でうるさかった。振動も大きかった。それでも何しろ、450CC。スロットルを開くと、スポーツカーでさえ、全く問題にしなかった。

 オートバイでは、交差点毎に、シグナルグランプリをやった。信号が緑になると、一斉にフルスロットルで飛び出す。当然、排気量の大きいバイクが有利だが、ある程度の排気量になると、結構度胸を試されるし、技量も、ものをいう。

 別の友人は卒業を記念して、ホンダの125CC(ベンリーだったか)で日本一周を果たした。私も誘われたが行かなかった。見送る時、事故を起こして欲しくなかったので、逆に「事故を起こして来いよ」と言ったら、彼が帰ってきた時、随分、文句を言われた。無事には帰ってきたが、相当頭に来たらしい。

 オートバイの概念が変わったのはホンダの750(ナナハン)が出現してから。4気筒で、車のようなエンジン。アイドリングではズズズズとうなる。スロットルをいっぱいに吹かすと、バアアンという排気音と共に、矢のような加速を見せる。車に追いつき、ドライバーがバックミラーを見た時には既に、追い抜いて前に出ているという具合だ。知人のバイクを借りて試乗したがすごかった。

 学生の最後は東京だったが、ここでは友人からカワサキのW3(2気筒、650CC)を購入した。W1スペシャル(メグロ?)より新しいモデルで、W1スペシャルが左ブレーキ、右チェンジだったが、W3ではまともな位置(右ブレーキ、左チェンジ)になるようなメカニズムにしてあった。ドッドッドとはらわたに響く低音。古いエンジンだがそれでも速かった。

 実は西武池袋線の中村橋のアパートに帰るのに、満員電車で揺られて2回も乗り換えるに参っていた。駅から更に、1km近く歩いた畑の中にアパートが有った。東京では、オートバイが最も速く便利、多分今でも。朝は、渋滞道路を20~30km/hで車列の右側を抜ける。帰りは、一転して、3車線ぐらいの解放された道路を高速で走り抜ける。警察も、ただ見送るだけ。

 W3ぐらいになると、車重は200kgを越し、きちんとスタンドを立てるには力と要領が必要だった。僅かな傾斜でも、エンジンを止めると動かなかった。恥ずかしかったのは、信号待ち、足が十分地面につかない道路で、傾きかけたバイクが止まらずそのまま転倒してしまったこと。

 当時は都内にアメ車がたくさん走っていた。アメ車は図体が大きいし、大きい割には速い。ゼロ4(ストップ状態から400m到達までの時間)が13.8秒のW3だったから、スタート時は圧倒的に強いが、うっかりすると追いつかれてしまう。エンジンブレーキは多用した。スピードを落とす際に、クラッチを十分抜かず、いきなりギアダウンする。よくチェーンが切れなかった。

 印象に残っているのは、2台の車を抜いた時のこと。2台の車がスピード競争している。私は軽々と2台に追いつと、その真ん中をフルスロットルで、突き抜けるように追い抜いた。

 アラビアのロレンスが、オートバイで走っている時に、歩行者にぶつかりそうそうになったときは、オートバイを自ら倒して歩行者を救うとの趣旨を話したそうだ。男の優しさでもあり浪漫でもあろう。日本の道路では、命を落としかねない。私も何度か転んだが、よく無事だったと思う。

 結婚した後、車に乗り始めてからは、家内の強い要望もあり、オートバイはやめた。長い、オートバイ運転で、その癖がなかなか抜けず、長い間、苦労した。幅の感覚が無く、何度か左をこすった。どこでも簡単に追い抜けると考えるが、車はそうはいかない。進む感覚は優れているが、バックに対する注意が足りず、何度も駐車場ではあててしまった。

 オートバイという移動マシンを得て、私は体全体に風を受けながら、ただただ走った。景色や環境を全て体で感覚的に受けとめた。自由で、解放された、移動する世界を満喫できた。それが何だったかと問われても、答えはない。加速し、高速で走り抜く自分がいただけ。


ベンツとランクルのディーゼルモデル比較

2011年05月21日 18時05分25秒 | 

 トヨタがランクル200クラスにディーゼルを出しそうにないので、ディーゼルで売出し中のベンツを見に行った。広島市にはヤナセが3店舗あり、安佐南の大型ショールームを訪ねた。ちょっと寄った程度だったが、結構、そそられるものが有った。

 最初、若い営業マンは、安っぽい半袖姿の私を見て「800万円ぐらいからですよ」と言った。ディーゼルはEクラスとなる。ベンツは小さい方から、Aクラス、Cクラスなどがあり、Eは高級車になるんだとか。サイズはクラウンよりちょっと大きいがスポーツカーのようで、大きさを感じさせない。

 まず驚いたのがATの7速。私のランクルD(ランクル 100 ディーゼル)は4速で、ガソリン車と共通ミッションのため、トルクはめっぽう強いが回転レンジが狭い(吹き上がりの悪い)エンジンに合っていない。ベンツDは7速で、エンジン特性に合わせれば、211馬力でも相当速いと見た。

 ランクルDは205馬力ながら2.6トンの巨体をあっと言う間に、トップスピードへ加速し、並みのガソリン車を置き去りにしてしまう。特に急坂では、圧倒的な強さを見せる。パジェロとは別次元の車。

 ベンツD(3リットル、6気筒)は2トン未満で、211馬力の新エンジンだから、スタート時から大型スポーツ車とも遜色ない。ディーゼルはトルクが強いので、この特性をミッションで引き出してやれば加速も強くなるし、最近のディーゼルは飛び出しも速い。

 ランクルDは残念ながら、スタート時に踏み込むと煙が出る。本領を発揮するのはシフト位置がより高いところ。ベンツDは最新のコモンレール方式のクリーンディーゼルで、勿論煙も出ない。音はガソリンターボに似た乾いた排気音。当然、ガソリン車よりはちょっと大きめだが室内では殆ど感じない。

 シフトはワンタッチで、指が触れるとパーキングからドライブやバックに切り替わる。新技術や馬鹿チョンが好きな私にはたまらない。この機能はまだ国産車にはないらしい。回転半径5.3mとベンツの独壇場。シートの裏から空気を出し、蒸れを防止するのもオプションだがうれしい。高級ナビ、ハンズフリー、超音波センサーなどは標準装備。

 ランクルDではGクラスで標準の電子サスペンションがベンツDには無い。サスペンションにも自信があると言うが、車体の軽さ、ヨーロッパの堅いサスペンション設定ではランクルほどの滑るような心地良さ(特に高速道路)は無いかもしれない。(Eクラスのエアサスはディーゼルでは選べない)次回の試乗でよく確かめてみよう。

 よく考えれば、ヨーロッパでは大半がディーゼル車だから、ベンツD(Eクラス)はベンツの代表モデルであり、自信作で悪いはずがない。日本では何故かディーゼル車の人気が無い。多分、昔、小型車に装着したディーゼルエンジンが、時間経過とともに劣化が著しく、黒煙とガタついた印象が強いのだと思う。

 トヨタはベンツディーゼルの売り行きを見ている。ヤナセによるとディーゼル車は安佐南店で1か月に1台売れるかどうかといった程度らしい。どうやらこの数字からもランクルディーゼルの実現が難しい。日産のXトレールがもっと売れてほしい。私は車両価格は高くても良いので、燃費の良い車が欲しいし、新しいディーゼルエンジンの開発に興味が有る。

 街中の取り回し(回転半径も含む)、加速を含めた走行性、燃費、騒音や振動の少なさはベンツDの方が良い。デザインはベンツに軍配。ランクルもバックスタイルは悪くない。(トヨタは頑固で牡丹餅型に固執する。ランクルは非日常的な車なのだから、クラウンの兄貴である必要はない) 女性が見る高級感は圧倒的にベンツだろう。3年間のメンテナンスは無料で助かる。

 ランクルDの特長はラージ、ワイルド、タフ、高速スムーズ。砂漠や氷上を走り抜くヘビーデューティーの車ながら、乗り心地は抜群。車高が高いのに安定感があり、重いのに速い。ボックスタイプの車も車高が高いが、乗り心地は比べ物にならない。サスペンションや走行性能が違うし、元々、ボックスタイプは家族を載せ、お父さんが運転手を務める車だ。

 欠点は、アクセルの重さ、踏み込んだ時の煙、かなり改善されたが10万km走ってやや気になる騒音。(何しろ100のエンジンは旧型の改良だった) もし、ヨーロッパに輸出しているような8気筒ディーゼルが発売されれば、無条件で選択するだろう。現状での比較となると甲乙つけがたい。(比較に無理もある)

 価格はキーレスエントリー、シート裏送風のオプションを合わせて、850万円。全費用を合わせて950万円。新型ランクルDでは全部で800万円ぐらいになるかな。(ガソリン車より高くせざるを得ないとのトヨタの話) ランクル100ディーゼルに乗り続けるか、かなり高いがベンツディーゼルを購入するのか、3年ぐらい後に発売が予想されるランクル300(?、400か)を待つか。悩ましい。


グリーゼ581gに生命?

2011年05月19日 17時57分41秒 | 宇宙

 最近、BS放送や新聞でこの星のことを知った。地球から20光年先にある、赤色矮星グリーゼ581の惑星。地球の5倍程度のサイズで、水が存在するから、生命体が存在するに違いないとの期待が高まっている。

 まあ、宇宙物理学者だけでなく、宇宙には地球以外にも生物がいるに違いないと、結論付ける人たちが多い。気持ちは分かるけどね。自分が科学者だと思っている連中も頭は実に単純でね。若い生物関係の研究者に数名会って話したが、気の毒に頭が固いし、期待や浪漫と、論理の区別もつかない。

 彼らは物質と条件さえそろえば、生命が誕生する、その必然性があると考えている。そんなわけないでしょう。例えば、地球上の生物は全て一つの細胞から分岐したことがはっきりしている。もし、一定の条件で生命が誕生する必然性があるのなら、遺伝子の元は多数あるはずだし、少なくとも複数の元遺伝子が存在しなければならない。

 実は最初に生まれた生命体は、単に遺伝子があり、細胞が構成されているだけではない。食物を摂取し、エネルギーに変換し、不要な残渣を排除しなければならない。また、細胞分裂するか、全く同じ細胞を生むメカニズムを持ったうえで、新たな細胞も生きてゆくための運動・機能メカニズムが完璧に備わっていなければならない。

 50年以上前から、世界中で生命体を合成する研究は続けられている。成功すれば大変な話だ。ところが、そっくりな「物質」はできても、食べ物を摂取したり、新陳代謝したりという、生命らしい動きにはならない。あくまで物質なのだ。生命のような物質と、生命との間はものすごいギャップがある。

 細胞はシステムとしてみた場合は、これまで人間が作り出したあらゆるシステムと比べても複雑で、巨大で、自己保存を担保しており、完璧である。分子がある条件で多重結合したり、アンモニアのような比較的複雑な結合になる場合があるかもしれない。しかしながら、分子がいかに結合しても、細胞の中の一つの器官さえ作れない。ましてや器官どうしが連携し、生命サイクルを形成するなど、無理な話だ。

 遺伝子や細胞が損傷した場合には、修復が必要になる。何をもって、誰が、どのように修復するのか?お粗末な論理を展開する科学者に伝えたい。有機物質や環境条件をそろえて、ガラガラぽんとやれば生命体が生まれるなんて考えたら、あなたの体を形成している60兆個の細胞が泣きますよ。


北方領土を取り戻すには占領するしかない

2011年05月17日 16時17分33秒 | 思考空間

 鳩山前首相が何の戦略も持たずに、沖縄米軍基地を海外に移転させる発言を繰り返し、これにより、アメリカとの同盟関係に空白を生み、中国やロシアに付け込まれることになった。中国は尖閣諸島を狙い、ロシアはメドべージェフ大統領が北方領土訪問するに至った。韓国は竹島の実効支配をさらに強める。

 鳩山前首相はマスコミに姿を確認させつつロシアを訪問し、北方領土返還交渉の下準備をするのかと思われたが、期待を込めて待っていたロシアに肩透かしを食らわせ、逆に、静かだった湖面に波紋を起こした。ロシアが自ら手を下すきっかけを作った。

 何度も指摘しているが、実は、冷戦崩壊後、経済も含めて世界は軍事戦略で動くこととなった。アメリカがルールを変えたのだ。従って、経済が全てを支配するとする最新経済学も古典になった。従来の常識や手法では手に負えなくなっていることを政治家も、官僚も、経済学者も気づいていない。今、最も正確に、経済を含めた世界情勢を語ることができるのは軍事専門家である。

 メドベージェフ大統領や幹部が北方領土を訪れる目的は①既成事実を作り牽制すること、および、②日本を揺さぶるのが目的。どちらに転んでも、ロシアにとって損なことは何もない。それに対応できていない民主党政府や官僚はあほだ。口先で抗議するのは意味が無い。先方の首脳と直に会い、腹を割って、本音を探った方が良い。

 しかしながら、現状を見る限り、話し合いや経済協力などで北方領土が還ると考えるのは楽観的すぎる。かつて、イギリスがフォークランド紛争で、軍隊を送ったように、日本の主権が侵されているのであるから、自衛隊の特殊部隊を送って取り返すべきだ。その前に、アメリカが協力してくれるのか確かめたほうが良い。

 さもなくば永遠に北方領土をあきらめることだ。命がけで戦う覚悟が無いのに、領土を取り返すなどとは言うべきではない。命を捨てるつもりで臨めば、道も開かれる。


日本の教育は破綻している

2011年05月16日 13時02分22秒 | 思考空間

 先日教育現場の関係者二人と話すことが有った。専門学校、私立大学の教師である。そこで語られたのは、大学生のレベルの低下、とりわけ理工系の学生の破滅的な状況である。比較的優秀なのが文系に行き、溢れたのが理工系に来るらしい。

 例えば、某香川大学医学部の学生が分数を理解できていないと言う。分数の足し算はできるが、回答方法を覚えているだけなので、分数とは何なのかが分からず、応用ができないらしい。地方大学とは言え、医学部なら偏差値も高いだろう。工学系の専門学校では、分数で小数点以下を計算せよとの問題に、20人全員が回答できなかったらしい。

 退官された徳島大学のS教授は、幼稚園から東京大学まで学級崩壊となっており、レベルは昔と比べて1段階以上下がったと言っていた。現在の大学院生が昔の学生のレベルらしい。

 定員いっぱい合格させることはやむを得ないにしろ、進級させるべきではない学生を進級させ、卒業させるべきではない学生を卒業させているという。何故なら、落第させると親が国会議員に言いつけて、国会で質問されるのだとか。

 1995年以降、日本のGDPは横ばいである。実質的に日本を支配してきた官僚のトップは東大法学部を首席で卒業している。ところが、日本でトップの学歴エリートをして、世界のグローバル化に対応できなかった。そこで、失われた10年だの、失われた15年だの、20年だの、そのうち失われた50年という造語が出てくる。要は官僚が教科書になかった状況の出現になす術がなかったということを明々白々に示しているのだ。

 官僚の無能ぶりは今に始まった事ではない。戦時中、陸士などを卒業した日本のトップエリートが目の前で展開される戦況が教科書の中になかったことばかりで、対応できず敗戦を繰り返した。「失敗の本質」 また、一度、夜襲が成功すると、2回目以降はアメリカ軍が待ち構えて、大敗したにもかかわらず、何度負けても夜襲を繰り返したらしい。(会田雄次の「日本人の意識構造」)

 ソニーを救ったのはハワードス・トリンガー、日産を救ったのはカルロス・ゴーン、日本サッカーのコーチはアルベルト・ザッケローニ、ソフトバンクを創立し恐らく最も力のある日本人経営者は韓国系の孫正義。

 日本の教育は教科書や問題集の回答を記憶させることに偏っており、問題に対して短時間で回答できるようなテクニックを重視している。しかも、回答が一つしかない。このような、機械的で単純な教育が重視される背景には、教育がビジネスベースになっていることがあげられる。問題がデータベース化でき、評価や分析がコンピュータで処理しやすい。

 もっと、奥深い目的として、東大を頂点とした既得権維持が有る。官僚は、教科書、経験、実績のない課題には対応できない。もし、課題解決型あるいは創造型の人材が実力を発揮しリーダーになると既得権構造が壊れる。そこで、知識偏重・教科書絶対型の教育を継続することになる。

 私のざっくりした印象では、知識型の人間は確かに記憶が良いし、回答が速くミスが少なく、スマートなのだが、それは教科書や前例の範囲で、新しい事態では正しい判断ができにくい。また、未知ゾーンではブレーキがかからないと、考えがとてつもない方向へ行ってしまう場合がある。(その顕著な例が、第二次世界大戦、バブル経済) 自分が間違っていることにも気が付かない。ちょっと頭がおかしいのだが、残念がらこういう連中が日本のトップリーダーなのだ。

 最後に、日本の教育が破たんしているということは、日本の未来が破たんしていることに他ならないのである。


数学では宇宙を予測できない

2011年05月15日 19時30分17秒 | 宇宙

 科学者にとって数学は神様仏様、絶対の覆しようのない担保であり、お告げなのです。だから、理工系の論文では、数式を示し、計算し、証明することが求められる。ところが、数学は致命的な泣き所が有り、宇宙について予測することはできない。

1.数学は単位を特定しない。数学者は宇宙は有限として、対象とする宇宙をその巨大さに関係なく数を1とする。一方では、銀河の数も、恒星の数も、分子の数も、量子の数も最低数量を1とする。そこで、量子大で誕生した極小の粒が宇宙に拡大するというおとぎ話を生む。無限個数の量子を含む宇宙と量子の大きさの粒がともに1で表現される錯誤につながる。

2.数学は実態ではない。数学では形や状態を表現できる場合がある。ところが、数学はリンゴもみかんも、犬も人間も、恒星も、もっと単純な無機質の塊でさえ、具体的な組成、立体構造、性質、機能などを表現出来ない。無数の銀河で構成される宇宙が表現できるわけがない。

3.人類は宇宙の数%しか観察できていない。宇宙物理学者によれば、人類が観察できている宇宙は全体の4~6%(数字は時々更新される)であり、そのほとんどを占めるダークマターやダークエネルギーは分かっていない。これで宇宙を表現できるなどとはとても言えない。

4.宇宙が有限とは証明されていない。もし、宇宙を無限とすると数学では扱えない。そこで、宇宙を有限としているが、宇宙を有限とする根拠はない。例えば、国立天文台では宇宙空間が光の速度以上で膨張すると言っている。宇宙が光の速度以上で膨張するのであれば、観察者である人類は宇宙の端を特定できず、宇宙の有限性を担保出来ない。

5.時間は存在しない。物理学者の言う時間が存在するのであれば、時間は0になったり、マイナスになったり、複素数になる。しかし例えば、生物化学現象にはプロセスによって経路が異なる現象は山ほどある。むしろ、往復経路が一致する場合の方が少ない。物理現象でも、磁気のヒステリシス現象などが有る。中国でも古くから覆水盆に返らずとしている。

6.数学は人間が扱い機能するもの。科学者は数学を都合よく扱っているに過ぎない。当然、扱う人によって結果や評価は異なる。全く、同じ条件で、同じ数式で、同じ扱いをすれば、同じ結果になるに過ぎない。数式や数学の取り扱い条件は無限にあり、一つの例で宇宙全体を保証するものは何もない。

7.未来を予測できないし、同様に過去を正確に知ることもできない。すべての物質、全ての物質の位置関係、相互関係を把握することができない以上、どのような手法を用いても、未来を予測することはできない。実は過去を正確に知ることもできないのである。はっきりしているのは移ろいの中で、自分が観察できる範囲の状態や現象、および観察している自分の存在だけである。

 つまり、科学(数学を含む)の有効性は、範囲を特定し、すべての状態や条件を完全に特定できた場合にのみ、適用し使えるものであることを、科学者自らが十分理解し、知るべきである。宇宙と言う、範囲の特定ができず、全ての状態や条件を特定出来ない対象では数学で明確な予測はできない。

 数学とは、例えてみれば、囲碁や将棋の盤面で、何かを模擬する状況を作り出して、その盤面の中で起きることについては確かであると証明できるものである。そうだからと言って、囲碁や将棋の盤面が宇宙や社会などの実態を、例えマクロ的にでもあれ映し出すという保証はない。ましてや、何かを映し出したとして、その実態でないことは明らかである。

 実はNHKの担当者にビッグバン宇宙論は仮説(有望かどうかも疑わしい)の一つに過ぎないこと、ビッグバン一辺倒も日本ぐらいと伝えており、NHKの取り扱いも変化してきているように思う。


6人の電力OB意見

2011年05月14日 19時33分00秒 | 思考空間

 プライベートな電力OBの集まりに技術系の6人が出席した。全く何もせず悠々自適な人は一人、経営者が二人、現役の大学教師が一人、講師などアルバイト的に働いている人が一人、ボランティアが一人という内訳。アバウトに電気・通信系の技術畑。近況報告に併せて、じじ(爺?)放談とはなった。

 東京電力の株の見通しについて、一人がJAL同様、株主の責任を問うべきとした(株が紙くず)のに対して、現状で救済、分からないがそれぞれ半分(人数比率ではない)といった感じ。その他の電力の株価は東京電力の今後の状況や株がどうなるかが大きく影響すると意見が多い。私は現在が底値付近かと思う。

 東京電力の取締役の責任については、5人が全員辞めるべきと答えた。私は全員辞職は現実的ではなく、若手の一部を残して経営の継続を確保すべきと考える。トップに社外の人材をあてるか、権限のある社外取締役を採用する必要がある。また、東京電力社員の年金も減らすべきと言う意見が大半だが、他電力の年金まで減らすべきかについては全員が否定的であった。

 原子力を推進すべきとする意見は私ぐらいで、太陽光発電などで代替すべきとする意見の方が多かった。その中で、1軒に2台の電気自動車を持ち、昼間に太陽光を発電さながら消費するとともに電気自動車に充電させ、夜は電気自動車に充電させた電気を使うと言う意見が出された。2台を同時に使う機会は少ないので、面白いアイデアである。

 福島発電所の現場では、ベントを実施しないと水素爆発することは十分わかっていたはずとの見解。ただ、電力会社内部では、大きな事故時などに責任者が行方不明になる状況がしばしば起きており、ましてや、ベンとすべきことは分かっていても、それを現場ではなかなか判断できない。然しながら、この判断を政府に問い合わせても、時間がかかるだけで適切には指令が出ないとの意見。

 太陽光発電の専門家がいたので、彼の意見を聞くと、現在、1kwあたりが60万円だが(1軒に4kW程度必要)、これが更に大きく下がることについては否定的だった。何故なら、技術的にはコストダウンに関する開発余地が少ないらしい。普及が進むことによるコストダウンは多少期待できる。

 電力会社を再編成して、発電と送電に分ける案については、5人が肯定的だった。これに対して系統運用のOBは、運用の効果やメリットなどに関して否定的だった。西と東の電力融通に関して系統運用OBが西と東を結ぶ大容量の直流送電を提案し、半分が肯定的にうなずいた。

 坂出発電所近くの鉄塔のボルトが抜かれ、鉄塔が倒れた件に関して、警察から各方面に問い合わせが有った模様。犯人については、四国電力の現役ではないとの見解。四国電力OBか指名から外れた業者が、油圧装置などを持ち込み、短時間でボルトを外したとの意見に集約された。

 電力会社で、公正・客観的な評価が行われているという意見は皆無だった。政治力や個人的な関係が影響するとの意見。出世や給料も重要だが、それ以上に仕事のやりがい、あるいは好きなことをやりたかったとの要望が多かった。実はこれらの要望は十分満たされていないようである。事務屋が元々昇進しやすいうえに、方法を問わず昇進を目指すのとは対照的である。

 電力会社ではないが、官僚や地方公務員の人数が多すぎるし仕事していない、官僚などが日本を滅茶苦茶にしているという意見が多かった。また、民主党に対する期待が裏切られたとの意見が非常に強かった。