宇宙・生命・日本 1000年後のあなたに語りかけたい

巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

電力会社はやがてソフトバンクに抜かれたドコモになる 世の中を知らない経営陣

2015年11月24日 11時08分06秒 | ビジネス
 昭和54年、研究所の所長報告。業務効率化の話題が出たので新米の僕がトヨタの看板方式の話をしたらお歴々全員がご存知なかった。そこで、学生時代に購入していた本を2冊、所長に差し上げた。これほど左様に電力会社の幹部は世の中の事を知らない。

 その大きな原因は「総括原価方式」にあった。原価や人件費を積み上げて3%の報酬率を上積みするとほぼ申請どうり認められて電気料金が決まる。無駄な購入や開発など経営効率が悪い程、報酬は増える。インチキビジネスだからまともな経営を知っていたら出世に不都合となる。

 いよいよ、電力の自由化が個人住宅まで広がるものの電力ビジネスは設備産業だから、新規参入企業が一気に躍進する訳ではない。しかし、DoCoMoの例のようにお役所感覚はなかなか抜けないので、気付いた時は後塵を拝する事になってしまう。

 自由化で電力会社が打つ有力な手の一つは、東南アジアなどの電力事業進出だ。しかし、威張ることぐらいしか能が無く何をどうして良いか分からない。商社に頼む事になるのだが、実は商社は見掛け倒しで営業力が無い。

 商社はかつて賄賂を武器に輸出ビジネスを展開し、世界に強大なネットワークを構築していた。ところが、これをアメリカに見抜かれ、1990年代、日本商社のビジネスは旧英連邦に持って行かれ、すっかり力を失った。

 その意味ではオープンプラネットは、配電線を利用した家庭内のネットワークサービスなどで大変魅力あるビジネスプランだったが、発表後1年で挫折してしまった。東京電力と関西電力が反対したらしい。僕は出張のついでに東電のキーマンに会った。

 言われたのは、「確かに1年前のオープンプラネットは斬新で素晴らしかったが、現在では速度が遅く陳腐化している。当社は高速方式を開発しており、低速方式採用は技術者のプライドが許さない」。

 そうであればすぐさま高速を採用すれば良かったのだが、多分、多額の開発資金投入などで両者譲らす、身動きが取れなかったのだろう。低速も高速もとん挫する。これは電力業界にとって大変大きなチャンスを逸した事になった。情報産業は巨大産業になり得る。

 僕は帰社して報告したが、「高速を採用すべき」とは言わなかった。僕のビジネスでは無かったし、こちらは全電力に呼びかけて深夜電力充電のエコライト開発で手一杯。前にも書いたが、僕なら乗り換え判断に5分もかけない。

 オープンプラネットの端末モニターに関して子会社の部長の話を聞いたところ、「1回使ったが不便で遅いのですぐ倉庫にしまった」と言っていた。数十億円もかけてそんなものを試作する感覚もどうかしている。

 話は違うが、子会社で新規事業を立ち上げていた時、曲がった間伐材から柱を切り出す自動装置開発の依頼を受けた時、僕は即座に簡単にできますと回答した。ところがスタッフは全員反対で、「反対、反対」のカエルの合唱。議事録さえ拒否された。それが、年間10台以上を受注するビジネスに発展した。

 僕は営業も製造もド素人だったが、開発がらみの営業では負けることなく勝ち続けた。トップメーカーの心臓部である装置や生産ラインを開発し納入した。しかし、電力会社では全く評価されなかった。大失敗したオープンプラネットの責任者は副社長、常務になった。

 エコライトは成功の見通しが出てきた途端に上司の部長が報告書を受け取りを拒否し始めた。プロジェクトは解散し、評価は最低となった。
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サムソンの躍進、シャープの崩壊寸前に見る経営哲学の重要性

2015年05月28日 11時09分39秒 | ビジネス
 経営者は哲学を語るべきだ。哲学の無い企業トップがグローバルなビジネスを勝ち抜けるわけがない。シャープも以前は優れた企業哲学が有った。営業マンが帰社すると、会計など事務の社員が立ち上がってお帰りなさいませと出迎えたと聞いた。

 日本企業では今でも営業は2流との偏見を持っている。ビジネスは売ってなんぼの世界、売れなきゃ優れた会計も製造も無い。プロジェクト推進のための金バッチも有名な話。然し、シャープも巨大企業になり単純に規模拡大を目指すようになっておかしくなったのだろう。

 このたび、サムソン電子の本を2冊買って読んでいる。サムソンは1993年まで日本企業に追従しながら品質悪く、売り上げが伸び悩んでいた。李会長は日本企業追従を転換し、フランクフルト宣言を発した。「妻と子供以外は全部取り替える」方針を打ち出した。

 要点はグローバル化を推し進め、生産拠点を海外に建設するだけでなく、現地のニーズに合わせた品質、価格、機能を満たす商品を製造した事だろう。日本商品は品質にうるさい日本人向けに開発され高機能高品質だがアフリカ人には高すぎ、機能が難しくて使い辛く、悪質な環境条件に合っていない。

 バブル崩壊以降、日本企業は一貫して沈み続けた。ましてや、自民党国会議員推薦組や嘘作文屋がトップを占め、100%イエスマン、やくざ、オカマの類(*)しか昇進出来ない電力会社は論外であり、あんなものがビジネスとは到底言えないが。
*昼は仕事のフリで上の電話待ち、アフター5&土日には上司へ気持の悪い愛情サービス 奥様 ご主人は苦労しています

 日本メーカーは国際化を推し進め、海外に生産拠点を移した。然し、日本企業は日本仕様の製品を海外で生産しているに過ぎない。今回の123円に達する歴史的な円安も、日本企業全体(海外生産比率が高い)に大きなメリットとなっていない。

 1997年のアジア通貨危機(IMF危機)は更なる韓国企業の日本追従を転換させることになった。中国企業も韓国企業以上にグローバル化を推進した。

 サムソンに引き抜かれ常務で活躍した吉川良三氏(元日立)は数冊の書籍でサムソンを紹介し、日本メーカーの弱点を書いているが、私が日本企業の問題点を指摘していたのは1983年以前だ。

 当時、電力会社の営業部にいた。三洋電機のN課長が来社された時、顧客ニーズを調査し汲み上げるべきと申し上げた。三洋電子のN課長は同社の空調システムの紹介で来社された。私は、貴社の製品が現場で実際にどのように使われているかご存知ですか?と聞いた。ご存知なかった。

 私は、日本メーカーの全般の取り組み方向が間違っており、現場の顧客ニーズを徹底的に汲み上げ開発すべきだと述べた。営業が現場ニーズを汲み上げ、経営を動かすべきなのだ。企業トップは同時に優れた営業マンでなければならない。

 後に私は子会社に出向し、新規に機械製造業を立ち上げる時は、自分の考を捨て徹底的に顧客ニーズに合わせた開発を進めた。ニーズの無い物は扱わなかった。だから、機械音痴が素人を集めて年間5.5億円(平均)の売り上げを実現出来た。

 サムソン電子がフランクフルト宣言で転換する2年前であり、IMF危機で韓国製造業が転換する6年前の事だ。日本企業の重大な課題に気付いていたのは韓国企業全体が転換する10年以上前になる。

 サムソン電子の決定は世界一速いそうだ。サムソンと決定の内容や質が異なるかもしれないが、私はAかBかと問われれば即座に回答した。時間をかけると製造等が全部止まってしまう。積極的に責任も負った。間違っていたら修正すれば良い。幸い深刻な判断ミスは無かった。

 日本社会は戦後の焼け跡から不死鳥のように蘇った。奇跡でもあった。日本人は頑張った。しかし、GDPが世界2位なり先進国仲間入りしてからの精神的衰退が激しく、次第に江戸時代に戻り始めた。先の大戦では完璧に敗北したが、経済でも同じ過ちを繰り返そうとしている。

 何故哲学なのか?実は、科学、哲学は全く同じ論理エリア。日本の お勉強では全く別物のように習う。然し科学と哲学は、強いて言えば見えるか見えないか、証明できるか出来ないかの差に過ぎない。経営の中の科学、それが経営哲学だ。

続く
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広島のマリーナホップ(店名:Zefeel)で家具やファッション製品などを激安販売 

2015年05月27日 18時39分34秒 | ビジネス
 昨年秋から、マリーナホップ(*)のZefeelで家具やファッション製品などの試験販売を始めた。その後、少し大きな店に移り、本格的な運営を目指している。ネット通販は以前から実施していたが、実店舗の本格的販売は初めて。
*広島市西区観音新町(旧広島空港隣接)

 家具は、激安価格を更に大幅ダウンで売るので、価格的には相当競争力が有る・・と言うか、日本でこれ以上安い価格は無い。よその店を見てきたお客様はびっくり!特に、訳アリのB級品はタダ同然の商品も有り、人気が高い。残念ながらB級品は売れすぎて、品切れとなった。

 お客様に喜んでもらえるのは、本格的なドリップコーヒー無料でサービス。各種紅茶、ジュース、チョコレート、飴までサービス用に揃えた。若い平田店長が笑顔でお迎えします(彼は大学までサッカー選手だった)。

 売り上げは伸びているが、まだまだ広島市内でも認知度が低いので、今後の課題。「FMはつかいち」でCM放送しているが(エリアは宮島から広島市平坦部)、ちょっとリスナーが少ないかな。

 何が苦労したか?レジからして触った事も無い。検索で、ネットで繋がるレジを見つけ開店に間に合わせようとしたが、社員の節約で納品が大幅に遅れた。店の照明は特殊で、広島では販売していなかった。どんな陳列棚が良いかなんて分かるはずがない。

 店をオープンするのに使った費用は30万円未満。マリーナホップにあるショーケースや什器を活用し、足らずは自作と中古購入。我ながら驚き。店に金をかけなかった分、お客様に安く売ることが出来ると良い方に説明したい。
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《責任だけ重かった》出向して新規事業立上げはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った 5

2015年05月19日 18時41分15秒 | ビジネス
 「道で倒れて石を掴んだら、その石がどのような商売になるか考えろ」と私が朝礼で檄を飛ばしていたのを聞いて驚いたとある人に言われ、当時の事を想い出した。「必死の素人は玄人に勝てる」とも喋った。必死の素人・・と同じような文言は住友商事でも使われたそうだ。

 私の下に来たプロパーの人達にとってはえらい迷惑だったに違いない。「電力会社の子会社だから楽できると思い、入社したらやはりそうだった」と聞いたが、当てが外れたかもしれない。それでも私よりは遥かに楽だっただろう。

 私はM乳業の現場課長に呼び出され罵倒されるなんて事も有った。2千万円の装置なのに、目的を満たさずチャンスロスが出たから2億円弁償しろと言われる。私が提案したメカニズムが変わっていた。一緒に来るべき製造責任の部下は最後まで来ず、一人で罵倒されっぱなし。

 帰社後、装置は吊り下げて搬出、当初の構造に戻した改造機を入れ、何とか目的を果たす。2億円の弁償は知恵を絞り、手を打って1円も払わなくて良いようにした。古巣(電力)復帰後、M乳業さんが頭を下げ追加購入したと聞いた。

 ピザ、グラタンの表面だけを焼きたい場合、ガスでやると①焼きムラが出来る(バーナー劣化など:品質)、②装置周りが50℃を超える灼熱地獄になり煤塵で満たされる(作業環境)、③処理速度が2倍ぐらいかかる(経済性とスペース)、④プラスティックの皿を熱で痛めてしまう(不良品)・・という問題が有る。

 いずれも深刻な問題になるが、我々が開発した焼き目つけ装置は希望に近い焼き目が付けられる(マスキングと高度な電気制御)。処理速度が2倍になると計算してみればわかるが莫大な利益を生む。設置スペースを半分にする手も有る。

 ガス焼き工場は夏になると暑いので作業員が窓を開けて、ハエがどんどん中に入る。我々が設置した工場では冷房を入れたところも有った。しかも処理速度が速いので、一見高そうに思える電気だが逆に安い。品質良し、経済的、作業環境良し・・だった。

 全部が成功した訳ではなく、例えばロボットによる猟銃台座彫刻で精度目標は満たしたのに、「ブレは片方だけなら許容できるが、両方ブレるのは許容できない」と返品されたケースが有る。言われた通り製造して一部払われなかったケースも有った。

 まさか私も代金取立てで苦労するとは思わなかったが、1か月ぐらい通って頭を下げながら厳しい交渉をしたり、ある時は係長を通常業務から外し毎日顧客交渉に行ってもらった。

 しんどかった話はたくさん有り、例えば私は親会社に戻る前、部長だったが、実質的な人事権は無かった。部下を昇進させようと思っても、プロパーの人事部長から「上司(プロパー)に相談しましたか?」と聞かれる。上司とは意見が一致せず通らない。

 権限は無かったが責任は大変重かった。と言うのも電力系の会社だからミスが許されない。従って、営業、開発、製造、据え付け、メンテナンス、お金の取り立て、トラブル処理の実質的責任を全部取らなければならなかった。

 部下は全員プロパー、上司もプロパーとなると、日常的に情報はバイパスされている。しかも中立的なプロパーはいても味方はいないと言っても良かった。親会社の人間の情報は一晩にして全社に流れていた。取り分け私の情報は多かったし、良い情報とは思えない。

 上司は自分の思い通りに管理したいが、営業では顧客優先でタイムリーな対応を要する場合が多く、十分お応えできない。社長への報告も頻繁に有ったので時間が取れない。私は迷惑をかけないから現場判断は任せて欲しいと伝えていたが、大変ご不満が有ったようだ。

 普通、出向者は仕事の奥深くまでは入らない。私の場合は、売り上げと利益のために、遠慮できないから、ハラワタを掻き回していると言われた。

続く

 

 
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出向して新規事業を立ち上げるのはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った4

2015年05月15日 18時15分32秒 | ビジネス
 サムソン電子は、日本企業からのヘッドハンティングばかりが誇張されているが、実は進出する新たな国のニーズを汲み上げて製品開発するという日本企業とは反対の手法で、急激に拡大し世界一になった。

 一時は日本の電気系トップクラス10社を集めても、利益がサムソン電子1社の10分の1にも満たなかった。

 新人を新たに進出する国に行かせて、1年間遊ばせ、地域の状況を掴ませる。多分、日本企業の弱点を分析し、逆張りの思い切った戦略を採用したのだろう。日本企業は今でも作りたい製品を作る傾向が有る。

 これらサムソン電子の情報は2008年頃から入るようになったと思うが、私はこれに先立つ1991年には、既に顧客ニーズを徹底的に実現する方法を採用していた。だから、素人がまるで砂漠の真ん中で更に素人を集め、日本のトップクラス企業向けに機械開発し納品できた。

 社長から量産品はやるなと厳命されていた。もし、量産品をやっていたら、世の中変わっていたかもしれないし、もう少し楽をできたのではないか。隙間を狙った新規開発で上場企業に機械や生産ラインを収めた。類似の場合でも、大幅に仕様が異なった。

 営業件名は常に30以上あり、全く異なる開発テーマを多数追いかけていた。1件収めても「やれやれ」とはいかない。うまく行って当たり前、常に山ほど開発課題を抱えていた。量産品なら、確かに開発レベルは高いが、1点に全力集中できるし、走り出せば余裕が持てる。

 唯一、リピート受注のできる間伐材利用の柱材製造装置は、営業が下手な介入をしたので、面倒くさくなって他の製造部門にプレゼントしてしまった。リピート品でも美味しいですよ。開発は一度、改良で済むし、利益が確実に見え、計画が立てられる。

 私は顧客(企業)の悩みや夢を聞いて、解決や実現を図る。しかも、関係者全員が満足するようにソフトやハードや全てを仕上げた。もう一つ、心がけたのは、コアな製品を受注した場合、生産ライン全体、或いは工場全体を受注出来るよう提案する事だった。

今から振り返ると機械装置開発+エンジニアリングだった。大抵の場合、生産ラインの受注できるところは全部受注した。「当社が全部受注すれば、責任は全部当社が負いますし、何が有っても電話1本で済みますよ」とは私のうたい文句だった。

続く
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出向して新規事業を立ち上げるのはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った3

2015年05月07日 16時50分22秒 | ビジネス
 あなたが乗っている車のアルミホイールの軽量化については我々の技術が役に立っている可能性が有る。さる大手企業から、「アルミホイールを短時間に500℃まで均一加熱したいが、あらゆる方法を試みて失敗した。何か良い方法は無いか?」と相談が有った。

 500度に加熱した後、クエンティング(水につけて急冷)で強度を増し、軽量化を図るのだという。確かクラウン、セドリック、スカイラインなどのアルミホイールを製造していた。

 幸い、我々の加熱試験では期待される条件をほぼ満たすことが出来た。技術が格段に進歩した中でも熱の問題はまだ遅れている。

 私が出向したのはちょうどバブルがはじけた時だった。その後、どんどん状況が悪化した。パナソニックの子会社と打合せしていたところ、ある日、「親会社から蛇口を締められた」と伝えられ、商談はストップした。

 そんな中で自ら営業し受注したのが年間平均4,5億円ぐらい、これに間伐材からの柱切り出し装置が1億円ぐらい(気前良く他の製造部門に差し上げた)、全合計5.5億円ぐらいの受注となっていた。

 20人の部隊で、固定費が年間1億6千5百万円ぐらい。このうち1.3億円ぐらいが人件費だったかな。社長から呼ばれては、「余計な事をやり失敗するから赤字になる。何もしなければ赤字にならない」と叱られていた。

 何もしなければ2億円に近い赤字が出るが、その事が最後まで理解して頂けず、S常務の指導も有って、1か月に1回の社長報告が、どんどん増え、最後は週に1回の報告になった。

 収支は良くてトントン、最も大きな赤字は1億円ぐらい(柱装置の利益は入っていない)、それでも固定費の65百万円は払えているわけだ。S常務に赤字の責任について相談すると、「人間を減らせ」と言われ、お安いご用で適材適所化を図った。

 残念だったのは保険加入を2回提案し、認めて頂けなかった事。当時の東京海上火災から、「売り上げの1%を払って頂ければ信用調査からトラブルとなった場合の交渉や支払いまで全部実施するので安心できます」との提案。

 前にも書いた通り、トラブル時の交渉はお金が絡み大変難儀した。保険会社に入っていれば、信用調査で悩むことも、トラブル交渉で神経をする減らす事も無く、何より会社に迷惑をかける事も無かった。電力復帰後、代理店倒産で大きな責任を負うことになった。

続く
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出向して新規事業を立ち上げるのはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った2

2015年05月03日 11時30分57秒 | ビジネス
 我々が開発して収めた食品関係の生産ラインは餃子、焼きおむすび、笹かま、ピザ、グラタン、ハンバーグ、鰻かば焼き、かき揚げ天ぷら、カツオ叩きなどで、読んで頂いているあなたも一度は口に入れて食べたことが有るかもしれない。

 食品以外では、PPバンド製造用の電気加熱炉、高速道路標識用の柱塗装工場(ガス設備)、自動車メーカー向けのロボットなど幅広い。お客様のメーカーから表彰状を貰った事も有った。電気容量は大きな設備では1,000kW近くになった、

 今は当たり前になった大型の電気炊飯ラインは、さる代理店社長からの質問ががきっかけだった。大型電気炊飯設備が出来ないかと言われた。ガス炊飯ではその日の気温や湿度、コメの種類などにより職人が炊き分けるが、失敗で大変なロスが出る。

 炊飯工場では、朝、職人が工場へ来て、勘でガスバーナーの開度を調節する。数字も何も出ないから本当の手加減。失敗はかなり多く、例えば1ラインで1時間に2トンぐらい炊くから、5ラインとか10ラインで捨てる量は半端じゃない。

 私が即座に「世の中には立体倉庫と1窯用の電気炊飯器が有りますね。両方を組み合わせれば、既存の技術で開発できますね」と回答した。社長はすぐ、見積もりが欲しいと仰った。

 立体は平面の2ラインとし、ロボットが炊飯窯を持ち上げて、竈に入れ、炊き上がると持ち上げベルトに移載する方式とした。農協関連のエンドユーザーに収めたところ、2台のロボットが1分間に80mの速度で窯を持って移動し、迫力が有った。

 電気では全自動で、細かい火力調整が出来る。おまけに、ガス炊飯では排ガスにより夏場に50℃ぐらいにはなるが、電気では冷房を入れることが出来る。その後、特許を申請中だった代理店が倒産し、別の会社がパクッて特許申請してしまった。

 私が次から次と、世の中に存在しない装置や生産ラインを受注して開発・製造できたのは社長が支持して頂いた事によるが、取り分け、途中から担当して頂いたS常務の支援が大きかった。S常務は大学の先輩ながら当初は非常に厳しかった。

 色々な関わりから、味方となって頂き環境は激的に好転した。例えば、営業部の部長は電力OBなので力は無いし、暇なもので、私に関してとんでもない悪情報を作っては社長に告げ口して点数を稼ぐ。頭の良い人は最初の情報を信用するので、社長に呼ばれては叱られていた。

 こちらは日本中飛び回っていたし、帰社しても製造の課題が山積みで、余裕が無いから良いカモだった。状況が変わるきっかけはある顧客からのクレームだった。これも私が悪いといういう事になっていたが、S常務が事実を徹底的に調べた結果、私は白になった。

 私の電力時代の経験で、徹底的な究明で事実が明らかになった事は唯一この時ぐらいだったと思う。電力会社は都合の悪い事実より、都合の良い嘘を採用する傾向が有る。

 機械製造の素人が、更に素人を集めて、生産ラインなどの大掛かりな設備を営業し、開発し、収めることになり、受けるのはストレスなどと言う軽いものではなかった。寝ていても背骨に重圧を受けながら夢の中で仕事している。

 夜中に「わー」とか「うー」となうなっている。家内は驚くし、迷惑な話。子供には申し訳なかったと思う。

続く
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出向して新規事業を立ち上げるのはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った

2015年04月30日 11時11分07秒 | ビジネス
 一般の会社でも新規事業立ち上げ難しい。このため社長レースは3番手が良いなどと言われている。何故なら、1番手、2番手の本命は新規事業を命じられ、必ず失敗するからだ。

 ましてや、公務員体質の電力会社で実質的な新規事業立ち上げは不可能に近い。私がメーカー子会社の研究所に出向したのは45歳ごろだった。現状の2本柱では経営が安定しないから、3本目の柱を立てて欲しいとの要望だった。

 話も期待も大き過ぎるし、指示されたのは機械製造業で、私は半導体やソフトしか知らず、出来るはずもないから断った。失礼な話だが、電気利用商品の営業部門を立ち上げて、電力に戻ろうと考えていた。営業は失敗を重ねながら自己流で身につけていた。

 ところが、2回断ったところで、3回目はまずいぞと脅しが入った。やむを得ず引き受けることにしたものの、機械の事は全く分からない。さらにまずい事に子会社は電気制御関連だった。同じメーカーと名前がついても電気と機械ではまるで異なり基本もノウハウも無かった。

 難しい問題は山のようにあった。研究所のスタッフが集まり電気以外は分からない。それ以上にプロパーから見て親会社から来た人間は敵であり、協力が得られにくい。毎日、夕方になるとあんたにはついて行けないと突き上げられた。

 プロパーの部長、課長クラスからは何度も怒鳴り込まれましたね。ある部長が大声を出すと窓ガラスがびりびり震え、長時間怒鳴りっぱなし。研究部門の部長(電力出身)が上司だったがその上司は硬直し、会議中、ものが言えなくなった。

 味の素関連会社への営業に行く事になり、全く会話が通じないので、食品関連の鉄工所社長の同行を求めた。味の素の次長が質問する。私の左に座った鉄工所社長が答える。2回目になると、私も理解でき始めた。

 最初のハンバーグ連続焼きラインはお客様から技術指導を得ながら、スペックを固め何とか収めた。トンベルトで動かしつつ1時間に5電気で焼く本格的なもので、幸い成功した。ロボットによる木材研磨にも取り組んだ。

 研磨ロボット開発に取り組んでいるメーカーに声をかけ、共同開発を申し込んだがメリットが無いと断られた。その時、「当社は国内の3%エリアしか考えていない。貴社は残り97%を対象にできるのだからメリットが有る」と伝えた。

 先方の常務から面白い事を言う奴がいるとお呼びがかかった。研磨の話は進まなかったが、曲がった間伐材から柱を切り出す設備の相談が有り、アイデアが出された。私は簡単ですよと回答、貴社すると部下が「課長は出来もせんものを安請けした」とボイコット。

 ソフト開発の下請けを探していたところ、営業部の世話で社内の別部門で開発する事になり、その後の安定した受注製品になった。

 鰻かば焼きにも取り組んだ。毎日山の様な鰻を焼いた。2匹食べるともう入りませんね。当時の日本では赤外線がまるで魔法の杖の様に認識されていたが、誤解が有り、産業的には近赤外線が効果的であることを実験で掴んでいた。この近赤加熱は様々なヒットを生んだ。

 鰻かば焼き工場を受注し収めた段階で、会計の部長が社長に独立させたほうが良いと進言し組織として独立、私はリーダーとなった。その後、会計も分離され、まるで独立採算の様な管理体制となった。出向して1年半経過したところだった。

 私はかなりの自信家だったが機械製造業の立ち上げは相当きつかった。取締役以上は電力OBで世の中の事もビジネスも、それ以上に機械製造をご存知ない。プロパーの一部は敵愾心に満ちている。

 私は誰もが嫌がる営業と開発を引き受け、当然全体責任も負った。かつ、電力に戻りたかったから、自分がいなくなった後も成長を続ける組織を目指した。課題が重かった。製造業として最も大変だったのはトラブル処理だった。

 ちょっとした機械でも開発品は意図した通りには動かない。従って、生産ラインは設置後、1か月以上の調整期間を置く。その上、一流企業でも「契約に関係なく、満足できる商品が生産出来ない限り払わない」と言い切る。

 開発がらみの生産ラインはトラブルがあって当たり前。池袋のホテルで営業を終え、やれやれという時、突然電話でトラブルを知らされる。営業予定を全部キャンセル、朝4時起きで、羽田までタクシーを飛ばし、第一便で客先に直行しひたすら頭を下げるなんて事が有る。


続く
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日本人が世界最高の製造力に加えて営業力を身につけたら世界無敵!

2014年06月20日 18時06分41秒 | ビジネス

 日本では仕事といえば、製造というイメージが強い。これは、明治以降、富国強兵などの路線に伴う需要を満たすため製造を強化し、また、戦後、輸出で外貨を稼いできた歴史的背景も有る。日本は世界一の製造力を誇ってきた。

 労働人口も農業から製造業にシフトしてきた。バブル崩壊までは、作れば売れる成功方程式が存在し、ひたすら作り続けた。成長期の良き時代には、自分は良い製品を作り、良いものは売れる・・との認識が強かった。

 現在もメーカーの営業は、製造部門の出来の悪い奴は営業でもやらしておけといった、「でも」社員なわけである。ここらが日本企業や日本社会の認識不足であり、弱さになっている。

 高度成長時代の大手商社が世界を股にかけ日本商品を売ってくる構図を崩され、為替が円高になり安い中国製品などに押されるようになってきた。韓国のサムソン電子は日本のノウハウを吸い上げ、世界一の電気メーカーになったのだ。 

 日本のメーカーは作る側、つまり自分を中心に考えている。若い頃、三洋電機の課長とお会いした時、貴社の製品がエンドユーザーでどのように使われているかご存知ですか?と質問した。びっくりして「知りません」と返事が返ってきた。

 営業と製造はベクトルが逆である。営業は顧客が何を欲しているか顧客を中心に考える。サムソン電子が急成長した要因として海外顧客のニーズを掴んだことがあげられる。アフリカへ行って、日本仕様の複雑で高い携帯を売ろうとしてもニーズが無い。

 サムソン電子はアフリカに新人を送り込み、1年間遊ばせ、現地でどのような生活をし、どのようなニーズがあるかを調べさせた。そのニーズを吸い上げて、アフリカ向けの製品を作る。

 かくして、日本製品はサムソン電子やLGなどの製品に駆除されてしまった。円高が強力に影響したのも事実である。当初、アメリカやヨーロッパのユーザーはサムソンを日本製品と勘違いした事も追い風であった。

 シャープも営業を重視していたころは発展性が有った。いつの間にか日本の伝統的な製造主体のビジネス(巨大設備投資)に戻ってしまった。兎に角、日本人は自分で製造したがる。中国や韓国は売れるものを調達し、儲かると思うとノウハウを吸収して製造する。

 私は半導体と予測ソフトが専門だったが、出向して機械製造業を立ち上げ、自ら売りまくった。我流で、プロに立ち向かい、負けた経験が無い。それは、顧客のニーズを最優先で取り上げ、望むものを開発したからだ。

 もし、量産品を社長が許可してくれていたら、大工場の一つや二つ作ったかもしれない。しかし、量産品禁止だったので、食品工場の生産ラインなどを毎回開発、現地調整、トラブル対応などで、正直絶対に倒れると思っていた。

 日本が生き残る道は、やはり世界が求める商品開発であり、製造工場は国内に有り過ぎるほど有る。そのためには、優れた営業戦略や優れた営業マン育成だ。

 為替が円安になっている今、ちょっと余裕が出来たのだから、営業がどうあるべきか、どう育てるか分析し戦略を立て直す時だ。有能な営業とは、顧客ニーズをとらえ、開発、製造を動かす力である。

 すなわち、優れた営業マンとは、全社を顧客ニーズに合わせて強力に駆動させる経営トップでなくてはならない。メーカーの社長が営業を知らないなんて言うのはマンガみたいな話だ。

 ある意味で、営業世界と対極にあるのが官僚だろう。自分中心、頑固、わがまま、保守的、そして最も官僚を形成する特質とは「無責任」である。江戸時代の武士が官僚に移行したのだが、武士の構成要素の責任が完全に脱落している。

 官僚は知識で権力構造のトップに君臨し、心地良い、究極の世界を造りだした。自分だけ気持ちの良い官僚の世界。あれ?官僚は繁栄し、日本はいつの間にか水面下?

 嘘作文で予算取りし、結果について一切責任を負わない天国の世界だ。一般国民の目指すところ、潜在意識も実は共通するものがある。このベクトルは変更されなければならない、

 韓国のサムソンも中国の大発展も実は、日本の製造ノウハウ、日本の製造力や資金を利用したもので、日本を踏み台にしたものだ。企業の高度機密情報の漏えいを防ぎ、営業力というビジネスの駆動力を得て再び、飛躍する日本の製造力を取り戻さなければならない。

 日本の製造力は世界一だった。今でもその輝きは失われてはいないが、日本人に営業マインド、営業スキルが無い事を十分自覚し、日本企業が営業力を身につければ日本は再び世界一を目指せる。

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