東大法学部と言えば、全大学の偏差値トップを誇る官僚養成学部だ。誰が見ても単に頭が良いだけでなく、超エリートで将来を嘱望されている。親は鼻高々で、何かにつけて、さりげなく東大法学部に入ったことを漏らす。
官僚になれば、財界・財閥などから娘をよろしくと紹介が来るので、お見合いで結婚し(出世するには恋愛は許されていない)前途洋々なのだ。
しかし、本当に彼らは頭が良いのだろうか?実はどうしようもないバカども、というのが私の見解だ。頭が良いと世間が言い本人も自覚することと、私がバカだと決めつける事との差は何なのか?
東大の問題は、教科書に沿い大変オーソドックスで奇をてらうところが無い。つまり、教科書をそっくり頭に詰め込めば合格できる。一方で、国家公務員試験では富士山の高さまでが試験に出てくる。つまり彼らは一般常識はすべて頭に入っているのだ。これだけの情報を詰め込んでいることには敬服せざるを得ない。
私は、世の中で東大をはじめ、かれこれ優秀と言われる人々と接してきた。切れ者(まるで剃刀のよう)と言われるタイプが多い。多くの情報を短時間で記憶できるし、何でも知っており、スポーツでも、ゲームでも、何をやっても良くできる。参りましたと言う感じの人もいた。ところが、教科書、実績のないところではどうしようもない。全く歯が立たない。
急に無能になる。技術系はまじめだから、隠さず、それが見えてくる。つまり、結論が出せず苦悩する。それに対して、事務系は実にずるい。ごまかすか、巧妙に嘘を言い、他人や部下のせいにしてしまう。そのことが、財務省をはじめ官僚に色濃く見られる。官僚が新しい課題や難しい問題に遭遇した時の常套手段は、棚上げ、先送り、隠ぺいだ。
日本の財政は破綻しており、危機状況だ。ところが、官僚がやることは、増税であり、バラマキであり、既得権の確保である。本来は経済成長を図り税収の増額を図らなければならない。小学生でも分かることだが、彼らの能力ではそれができない。その結果、天文学的に借金が増え続ける。
私が日本の知識エリートに懐疑的なのは、そもそも、幼いころから無条件かつ機械的に情報を詰め込むその姿勢・行為であり、異常さを感じる。子供は本能が支配し、半分以上が野生動物のはずだ。社会生活を経験し、教育を受けて次第に動物が人間になってゆく。ところが、日本の知識エリートは人間のプロセスも踏まないうちにいきなり機械的なメモリーになる。
東大の試験はオーソドックスだが、自然感覚や論理的思考を問うているわけではない。これらが有れば、物事の良し悪しが分かるし、評価ができる。論理的思考を追求していくと、官僚や政府の仕組みや、日本社会構造に疑問を感じるのが普通だが、彼らは矛盾を当然のこととして受け入れてしまう。自分さえ良ければベストなのだ。
彼らは客観的な評価ができない。マシンだから自分の異常さにも気が付かない。これは厳然たる事実だが、百歩譲っても、客観的に評価する勇気が欠如している。親しい知人によると、官僚の中には若いころ日本の将来を語る者もいるが、上からの指導を受け、急に狭い視野のロボットになるという話であった。
東大法学部のさらにトップグループが旧大蔵省、現在の財務省を初めとした省庁や日銀などに入る。ところが、彼らが発案し、指導して日本が良くなったことなどない。むしろ悪化の一途をたどり、落下しつつある。
国債(借金)の額は問題になっているギリシャやイタリアの比ではない。これが東大生に分からない筈が無いと思うが。何も有効な手段を打てないと言うことは認識もないのか、無視しているのかいずれかだ。日本はどこまで落ちるかが分からない。
私は官僚が憲法に書かれている如く、本来の国民の下僕にならなければ、日本の発展や将来は無いと思う。
追記:ちょっと余計なことを書くと、我々の高校時代は理工系全盛で優秀な者は理工を目指した。ある時、旺文社の模擬テストで理系と文系の共通科目の英語で偏差値を比較した。何と同じ点で文系は理系より偏差値が10ポイントも高くなった。
つまり、東大法学部は大きなかさ上げで入学できた。10ポイント下げると神戸大学あたりになる。勿論神戸大学は優秀な大学であるが、理系でまともに戦ったらそのレベルであった。