戦後、日本は全員が等しく貧しかった。あの頃の子供は、金属くずを拾って売るなんて事は普通だった。八百屋では店主がいつも布で卵を磨き宝石のように輝いていた(1個30円)。眺めるだけ、食べた記憶が無い。
貧しく、何も無かったが、一方で子供たちは希望と夢を持っていた。戦争から復帰した兵士たちは必死で働いた。それはがむしゃらだった。官僚もあの頃は頑張ったんだね。日本中のベクトルが発展に向かって揃っていた。
このベクトルが揃わなくなったのは、官僚がCIAとの戦いに敗れ、既得権維持と引き換えにアメリカと手を結んだからだ。例えば、中国はバブルを利用し、巧みに制御してGDP世界第2位に躍り出たが、日本のバブルを止めたのは大蔵省だった。
具体的には1990年3月、大蔵省の一部局である銀行局が独断で、総量規制を通達し、バブルを崩壊させた。政府(海部内閣)との連絡も確認も、戦略も将来構想も何も無かった。ただCIA(アメリカ政府)の意向を受けていた事が強く疑われる。
ビル・クリントン大統領はCIAを経済政策に組み入れることを発表し、日本政府内にCIAのネットワークが張り巡らされた。実は、日本の戦後歴代首相は大平首相が断るまでCIAから金を受け取っていた。
日本の復興では「アメリカに追いつき追い越せ」という思いが有った事は確かだった。そこまでは良いとして、推進者たちの中には「戦争では負けたが、再び経済でアメリカと戦い屈服させたい」との思いも強かったようだ。
にわか成金たちがアメリカを買いあさる。エズラ・F・ヴォーゲルが書いた「ジャパン アズNO1」が広まるや日本中が勝った勝ったと沸き返った(1980年後半)。僕は単純には喜べなかった。何故なら、日本がいつか壁にぶち当たる事を予想していた(1980年12月)からだ。
ソ連と対峙していたアメリカにとって当時、最も懸念され頭の痛かったのはソ連ではなく、実は同盟国日本の事だった(当時、僕が感じていた印象:日本のマスコミも書籍も無関心だった。最近、ちょっと紹介する書籍が有った)。
そこからアメリカの巻き返しが始まり、二度と「経済でも日本がアメリカに挑戦できないよう」日本を叩き、かつ経済の仕組みを変え、日本をコントロールする戦略を推進させた。その重要な対象が官僚組織であったことは確かだ。
休憩!!
貧しく、何も無かったが、一方で子供たちは希望と夢を持っていた。戦争から復帰した兵士たちは必死で働いた。それはがむしゃらだった。官僚もあの頃は頑張ったんだね。日本中のベクトルが発展に向かって揃っていた。
このベクトルが揃わなくなったのは、官僚がCIAとの戦いに敗れ、既得権維持と引き換えにアメリカと手を結んだからだ。例えば、中国はバブルを利用し、巧みに制御してGDP世界第2位に躍り出たが、日本のバブルを止めたのは大蔵省だった。
具体的には1990年3月、大蔵省の一部局である銀行局が独断で、総量規制を通達し、バブルを崩壊させた。政府(海部内閣)との連絡も確認も、戦略も将来構想も何も無かった。ただCIA(アメリカ政府)の意向を受けていた事が強く疑われる。
ビル・クリントン大統領はCIAを経済政策に組み入れることを発表し、日本政府内にCIAのネットワークが張り巡らされた。実は、日本の戦後歴代首相は大平首相が断るまでCIAから金を受け取っていた。
日本の復興では「アメリカに追いつき追い越せ」という思いが有った事は確かだった。そこまでは良いとして、推進者たちの中には「戦争では負けたが、再び経済でアメリカと戦い屈服させたい」との思いも強かったようだ。
にわか成金たちがアメリカを買いあさる。エズラ・F・ヴォーゲルが書いた「ジャパン アズNO1」が広まるや日本中が勝った勝ったと沸き返った(1980年後半)。僕は単純には喜べなかった。何故なら、日本がいつか壁にぶち当たる事を予想していた(1980年12月)からだ。
ソ連と対峙していたアメリカにとって当時、最も懸念され頭の痛かったのはソ連ではなく、実は同盟国日本の事だった(当時、僕が感じていた印象:日本のマスコミも書籍も無関心だった。最近、ちょっと紹介する書籍が有った)。
そこからアメリカの巻き返しが始まり、二度と「経済でも日本がアメリカに挑戦できないよう」日本を叩き、かつ経済の仕組みを変え、日本をコントロールする戦略を推進させた。その重要な対象が官僚組織であったことは確かだ。
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