Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

浴室には誰もいない

2017-01-05 09:35:17 | 読書
コリン・ワトスン, 直良 和美 訳,創元推理文庫(2016/10).

これと,年末に読んだ「聖女の毒杯」を比べると,英国のミステリは大人向き,対して日本のは子供向き...と言いたくなる.書かれた時代が半世紀以上前だったので,昔のミステリは今に比べて大人向きだったという分析もありかな.
海外のミステリ厚い文庫本2冊もふつうだが,これは 230 ページほどの,僕にとってはちょうどいい長さ.

死体探しミステリで,殺人の現場は浴室らしい.しかし浴室には誰もいない. "Hopjoy was here" (原題) が結末,Hopjoy は被害者とおぼしき人物の名前である.

探偵役は田舎警察の警部で,彼が登場するシリーズの一冊.被害者は情報部員らしいと言うわけで,この度は情報部の大佐とその部下が警察とは独立に捜査する.日本では公安がこれに当たるのかもしれない (自衛隊に似たような組織があるのかも).情報部は警察を一段下に見下ろすが,やることはピントがずれていて,完全なボケ役である.警察は被害者の写真さえ手に入れることができないのだが,結局は勝利する.

書かれたのが 1962 年で,情報部員の杓子定規な反共ぶりがからかわれる.オチでもマルクスの警句を種に警部が情報部員をからかう...「ああ,カールではない.グルーチョのほうです.」

法月綸太郎の解説がよく書けている.さすがミステリ研出身だ.
氏は,作者のミステリ作法は「奇妙と言うより,もっとシュールでわけのわからない謎,うわべと中身のズレから生じる笑いと腹黒いサスペンス,いきなり真顔で突き放すような情け容赦のない結末」などに代表されるという.しかし昨今の本邦のいやミス (読んでいやな気持ちになるミステリ) にくらべるせいか,この作品のユーモアが健康的に思えた.
コメント
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