【余禄】:写真が趣味だった横田滋さんは…
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【余禄】:写真が趣味だった横田滋さんは…
写真が趣味だった横田滋(よこた・しげる)さんは、めぐみさんの服を見立てるのを楽しみにしていた。一緒に店に行き、女の子らしいかわいい服を選んで買ってあげた。むしろ地味好きだっためぐみさんも素直に着ていたという▲その滋さんがめぐみさんがいやがるのに撮った写真がある。風疹で中学の入学式を欠席しためぐみさんの制服姿を、桜の散らぬうちにと学校に連れて行って撮った写真だ。ふだんと違うものうげな表情なのは病み上がりのためだった▲めぐみさんはその11月に行方不明になる。失踪(しっそう)時と同じ制服姿がいいと警察に渡した写真が、本人も気に入らなかったこの時の写真だった。後にめぐみさんの運命に思いをめぐらすすべての人の胸を締めつけることになる写真である▲北朝鮮による拉致(らち)が判明するまでの19年間、失踪について自らを責める日が続いた滋さんと妻の早紀江(さきえ)さんである。そして拉致の非道を世に知らしめた決定的な転機が、滋さんが決断しためぐみさん事件の実名報道への同意であった▲世論を信じ、呼びかけ続ける。拉致被害者家族の代表として身命をなげうった夫妻の姿は世界が知る通りである。その間、めぐみさんの娘の存在も明らかになり、滋さんは肉親の情と拉致問題解決の筋道との相克(そうこく)をも一身に背負った▲少しでもめぐみのいる方向へ進むんだ――人生の半分をそう願い、歩み続けた滋さんである。自ら撮った幼い姿、北朝鮮から渡された大人になった姿、写真のめぐみさんが見守る病室からの旅立ちだった。
元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】 2020年06月07日 02:04:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。