《余録・12.19》:モータースポーツの黎明期だった…
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・12.19》:モータースポーツの黎明期だった…
モータースポーツの黎明(れいめい)期だった1964年。第2回日本グランプリでプリンス自動車のスカイラインGTが一時、ポルシェを抜いてトップに立ち、観衆を沸かせた。ホンダは最高峰のF1に初参戦した。「自動車王国」の基礎ができつつあった
▲日産がプリンスと合併したのは66年。完成車の輸入自由化に対応を迫られた。トヨタも他メーカーとの提携で体質強化に動き、日本市場に参入できた外国車は限定的だった
▲70年代は排ガス規制と2度の石油危機が自動車産業を揺るがせた。米国の厳しい規制を初めてクリアしたのがホンダ。小型、低燃費の日本車が世界市場を席巻し、80年に生産台数が世界一になった
▲それ以上の変革期だ。脱炭素化で電気自動車(EV)への移行が進み、人工知能(AI)利用の自動運転技術も飛躍的な発展を見せる。米テスラや中国の比亜迪(BYD)など新興メーカーのEVにシェアを奪われ、昨年の輸出台数は中国に抜かれた
▲ホンダと日産の経営統合協議は必然の帰結。日産傘下の三菱自動車を加えれば世界3位の規模という。デジタル化推進には巨額の開発資金がかかる。生き残るにはスケールメリットも必要になる
▲戦前、トヨタと同時に初の自動車製造認可を受けた日産。創業者の個性を受け継ぐホンダ。企業文化は異なるがどちらも技術力を売り物にしてきた。スカイライン、フェアレディZ、シビック、アコード。今も内外で人気の名車を超える新時代の車を生む創造的進化につながらないか。
元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】 2024年12月19日 02:03:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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