【独占インタビュー】:兵庫県知事・齋藤元彦「失職したあの日の朝、地元・須磨駅に立った私が考えていたこと」
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【独占インタビュー】:兵庫県知事・齋藤元彦「失職したあの日の朝、地元・須磨駅に立った私が考えていたこと」
この男は悪人か、それとも―。地元だけでなく、日本中が真っ二つに割れてしまった分断の選挙。事実と憶測がその境界を失い、いくつもの「物語」が流布する中で、現場では何が起きていたのか。
◆駐車場からの100メートル
メンタル的に一番きつかったのは、知事を失職した9月30日の朝、地元の須磨駅で駅立ちをした時でした。近くのコインパーキングに車を停めて、そこから100メートルほど歩いていく間、正直怖かった。
失職する前は、議会や会見で批判を受けることもありましたが、それは知事としての話。一般の県民の皆さんと直に接する機会は、本当にその日が最初だったので、どんな言葉をぶつけられるのだろうと不安でした。
でも、一歩を踏み出さないと何も進まない。第一声を発した瞬間、道ゆく人の空気が変わったのが分かり、後戻りはできないと覚悟を固めました。
〈日本中に衝撃をもたらした兵庫県知事選が終わり、1ヵ月が経つ。再選された齋藤元彦氏(47歳)には、選挙後もパワハラや公益通報対応、さらに公職選挙法違反疑惑をめぐって追及が続いている。
そうした中、「週刊現代」は選挙後初めて、齋藤氏に独占インタビューを行った。日本政治史の転換点とも言われるこの選挙の渦中で、齋藤氏は何を見、そして何を考えていたのか〉
「もう一度頑張りたい」と言うと、拍手してくださる方も、厳しく言う方もおられた。でも、この二歩目で何かをつかんだような気がします。地道に辻立ちをしていなければ、最終盤のような状況は生まれませんでしたから。
◆「うねり」を感じた瞬間
ただ、選挙そのものはやはり厳しい戦いでした。不信任決議案が全会一致で可決され、県民の皆さんに本当にご心配をおかけして、ゼロ以下からのスタートだった。だから、自分ができることを一つずつやろうと決めて、少しずつ応援の輪を広げることができました。大きなご支援をいただいた県民の皆さんには、本当に感謝を申し上げます。
選挙後、一部に「組織的な動員があったのではないか」とのお声もありましたが、中心となって手伝ってくれたのは、昔からの友人や中高の同級生十数人だけでした。組織の支援が一切ない、手作りの選挙です。資金は「選挙ドットコム」のクラウドファンディングで募り、途中からはボランティアのスタッフもだんだんと増えていきました。
「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首とは、個人的な交流は一切ありません。目の前のことで精一杯でしたし、直接話したのも、日本青年会議所主催の候補者討論会でご挨拶をした一度だけです。選挙戦中、街頭活動の場所と時間はSNSで事前告知していましたから、立花さんはそれを見ていたのでしょう。
◆「負け」は考えなかった
「負けたらどうするのか」ということは、不思議なんですが、全く頭に浮かびませんでした。17日間、最後までやるということしか考えられなかった。勝ち負けよりも、とにかくやり切る、それだけを強く思っていました。
県内各地を回るにつれ、初めて会う県民の方、特に若い方から「応援してます」と声をかけていただく機会が増えていきました。聞くと、ご家族にも応援を呼びかけている、SNSで発信しているという方が少なくない。能動的に支援してくださる方が県内外で増えていったことが支えになって、111万票という大きなうねりに繋がったと感じています。
〈ただし、齋藤氏については兵庫県知事に再選された後も、いわゆる「文書問題」に関して百条委員会などで追及が続いている。「パワハラ・おねだり」「公益通報対応」の問題については、どう答えたのか。後編記事【齋藤元彦が再選後初めて語った「県政改革の内幕」「告発文書問題」そして「百条委員会」のこと】で、ひきつづきお伝えする〉
■「週刊現代」2024年12月21日号より
元稿:講談社 主要出版物 現代ビジネス 社会 【疑惑・選挙・兵庫県知事選】 2024年12月17日 08:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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