「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

空襲と超軍国主義の校長

2006-04-09 07:39:51 | Weblog
昭和18年3月小学校を巣立った仲間8人の会が昨日あった。
卒業写真には58人の名前が載っているが、このうち消息の
判っている者15人,亡くなった方9人、残り34人の所在は
判らない。新聞その他の”人探し”欄に何度かお願いしたが
行方は杳としてわからない。

理由は18年5月23日の空襲と強制疎開で,町が破壊され灰塵に
帰してしまったからだ。現在、級友は地元に一人も住んでいない。

この仲間たちが集い、毎回話題にするのは空襲で逃げ惑った話。
ある者は消失した母校のプールに飛び込んで一命をとりとめ、
また別の友は幼い弟を連れてお寺の横の側溝で一夜を明かした。
またある者は猛火におびえた馬が大通りを狂って走っていたのを
見たーというような話だ。

もう一つの話は、超軍国主義の校長先生の話だ。神がかった校長
の朝会の訓話は長くてつまらなかった。修学旅行でせっかく
配給になったお菓子を旅先では食べさせず持ちかえらせたー等等。
戦後、この校長が革新政党から立候補して区議になった話もー
いつも決まって出てくる話だ。

僅か8人になってしまったが、竹馬の友の会は良いものだ。