日比谷通りを背にした公園の一角にホセ・リサールの
記念像がある。ホセ・リサールの名は、フィリッピン
人なら、誰でも知っている国民的な英雄である。
スペイン植民地政府の暴虐を批判したため反逆罪で
1896年、36歳の若さで公開処刑されている。
記念像のあるあたりに昔「東京ホテル」があった。日比谷
公園が出来る以前で、近衛師団の練兵場があったころの
話である。この「東京ホテル」にホセ・リサールが1888年
2月から4月まで滞在していた。当時の彼の日記が後年
マニラで発見されたが、ホセはこよなく日本を愛していた。
その理由の一つは滞在中”おせいさん”という日本女性と
知り合い、彼女の案内で各地を見学できたこともある。
ホセにとってはまさに”黄金に輝く”一か月だった。
日記の中の一節「あの目黒の寺のひと時のような神々しい
午後を、私はまたと経験することがあるだろうか」。
ホセは当時28歳”おせいさん”の歳は不明だが、多分
若い女性だろう。明治はじめのこの時期、日比谷から目黒の
お寺まで、どのように連れ立って行ったのかー想像する
だけでほほえましい。
きょう28日は目黒不動の縁日、ホセが”おせいさん”と
参拝した目黒のお寺は目黒不動尊ではなかったのかと、
勝手にこれまた想像し往時を偲んでいる。
記念像がある。ホセ・リサールの名は、フィリッピン
人なら、誰でも知っている国民的な英雄である。
スペイン植民地政府の暴虐を批判したため反逆罪で
1896年、36歳の若さで公開処刑されている。
記念像のあるあたりに昔「東京ホテル」があった。日比谷
公園が出来る以前で、近衛師団の練兵場があったころの
話である。この「東京ホテル」にホセ・リサールが1888年
2月から4月まで滞在していた。当時の彼の日記が後年
マニラで発見されたが、ホセはこよなく日本を愛していた。
その理由の一つは滞在中”おせいさん”という日本女性と
知り合い、彼女の案内で各地を見学できたこともある。
ホセにとってはまさに”黄金に輝く”一か月だった。
日記の中の一節「あの目黒の寺のひと時のような神々しい
午後を、私はまたと経験することがあるだろうか」。
ホセは当時28歳”おせいさん”の歳は不明だが、多分
若い女性だろう。明治はじめのこの時期、日比谷から目黒の
お寺まで、どのように連れ立って行ったのかー想像する
だけでほほえましい。
きょう28日は目黒不動の縁日、ホセが”おせいさん”と
参拝した目黒のお寺は目黒不動尊ではなかったのかと、
勝手にこれまた想像し往時を偲んでいる。