30数年前勤めたことがある郡山の会社のOB会に出席した。
折から開成山公園の桜は満開、週末のお花見を楽しもうと
早くも公園のあちこちに青ビニールが敷かれ、場所の陣取
が始まっていた。
開成山の周辺は、明治16年オランダ人のお雇い技師の
指導で猪苗代湖から水を引き、安積疎水を完成させるまでは
荒地の原野であった。当時の農民の貧しさについては、
プロレタリア作家、宮本百合子の"貧しき人々の群れ”の
中によく描かれている。貧しさの度合いは、今いう所得
格差なんていうものではなかった。
もともと、この公園は安積疎水の水を貯水するために掘った
三つの池の周りにつくられたもので、同じ郡山ゆかりの作家、
久米正雄は、この三つの池を号にして「三汀」と称していた。
いまや郡山は福島県では最大の都市、かっての"貧しい人々”
が生活していた面影はない。"豊かな人々の群れ”で週末は
大賑わいを見せることでしょう。”豊かな人々”は多分、
プロレタリアの言葉を知らないのではないだろうか。
折から開成山公園の桜は満開、週末のお花見を楽しもうと
早くも公園のあちこちに青ビニールが敷かれ、場所の陣取
が始まっていた。
開成山の周辺は、明治16年オランダ人のお雇い技師の
指導で猪苗代湖から水を引き、安積疎水を完成させるまでは
荒地の原野であった。当時の農民の貧しさについては、
プロレタリア作家、宮本百合子の"貧しき人々の群れ”の
中によく描かれている。貧しさの度合いは、今いう所得
格差なんていうものではなかった。
もともと、この公園は安積疎水の水を貯水するために掘った
三つの池の周りにつくられたもので、同じ郡山ゆかりの作家、
久米正雄は、この三つの池を号にして「三汀」と称していた。
いまや郡山は福島県では最大の都市、かっての"貧しい人々”
が生活していた面影はない。"豊かな人々の群れ”で週末は
大賑わいを見せることでしょう。”豊かな人々”は多分、
プロレタリアの言葉を知らないのではないだろうか。