「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

姉の”戦死”

2006-05-02 05:57:52 | Weblog
きょうは一人しかいなかった姉の祥月命日である。昭和19年
5月2日、わずか21歳の若さでこの世を去った。姉は正月急に
発熱,医師の診断で肺結核と判った。前から、その予告は
あったと思うのだが、戦時中のこと医者にかかること自体、
非国民扱いされていた時代である。

戦局は前年の暮れごろから、各地で連合軍の反撃が始まり、
”玉砕”が伝えられた。銃後からは若い男性の姿が消えて
いった。それにつれて保険会社に勤めていた姉の仕事量も
増え残業の日々であった。一方、食糧は配給制になり、国
民は慢性的な栄養不足であった。

当時結核は”死に至る病”といわれ、特効薬はなかった。
栄養のあるものを食べるのが唯一の”治療”といわれて
いたが、卵も牛乳も高価でとても庶民の口には入らなかった。
高熱を冷やす氷さえ家庭にはなく、町の氷屋へ一貫目づつ
買いにいっていた。

今なら姉は死ななかった。数百万の兵士が戦場で死んで
いったが、同様に無辜の民間人が戦争の犠牲になって
尊い命を失った。姉も”戦死”だと思っている。