東京から千葉に向かうJR総武本線で平井鉄橋を渡るたびに、昔、この鉄橋脇の水泳
道場で泳いだ当時を想い出す。戦争が始まった翌年の昭和17年、僕はこの道場で
泳ぎの基礎を教わった。道場は荒川放水路の土手を降り、川に張り出したヨシズばりであった。
戦争中は国民皆泳の時代。今のようにタイムを競うのではなくて、いかにして長く泳げるかに
重点が置かれた。放水路越えが五級、船堀橋までの遠泳が四級という基準であった。
最近新聞に載った「ミツカン水の文化センター」の調査によると、日本人の子供の六割近くが
プール以外で泳いだことがないという。一方、別項目で”日本の水辺は損なわれているか”
という質問に対し、東京では51・2%の人が”イエス”と答えている。このあたりに、子供が海や
川で泳がなくなった原因があるようだ。
荒川放水路の水泳道場で泳いだころ、川はすでにかなり汚染されていた。引潮の
時には悪臭がして正直言って気持ちが悪かった。しかし多摩川取水所の防潮堰
付近はまだ綺麗であった。本当は水泳禁止地域だったのだろうが、堰の上から飛び
込んだ記憶がある。堰から上流のかっての読売巨人軍のグランド付近では、
素裸やふんどし姿の子供たちが自由に泳いでいた。
お台場をはじめ人工浜が造られているが、やはり自然がよい。葦をかきわけて川下り
したり、砂浜でのスイカ割りなど次の世代の子供たちに伝えてやりたい。
道場で泳いだ当時を想い出す。戦争が始まった翌年の昭和17年、僕はこの道場で
泳ぎの基礎を教わった。道場は荒川放水路の土手を降り、川に張り出したヨシズばりであった。
戦争中は国民皆泳の時代。今のようにタイムを競うのではなくて、いかにして長く泳げるかに
重点が置かれた。放水路越えが五級、船堀橋までの遠泳が四級という基準であった。
最近新聞に載った「ミツカン水の文化センター」の調査によると、日本人の子供の六割近くが
プール以外で泳いだことがないという。一方、別項目で”日本の水辺は損なわれているか”
という質問に対し、東京では51・2%の人が”イエス”と答えている。このあたりに、子供が海や
川で泳がなくなった原因があるようだ。
荒川放水路の水泳道場で泳いだころ、川はすでにかなり汚染されていた。引潮の
時には悪臭がして正直言って気持ちが悪かった。しかし多摩川取水所の防潮堰
付近はまだ綺麗であった。本当は水泳禁止地域だったのだろうが、堰の上から飛び
込んだ記憶がある。堰から上流のかっての読売巨人軍のグランド付近では、
素裸やふんどし姿の子供たちが自由に泳いでいた。
お台場をはじめ人工浜が造られているが、やはり自然がよい。葦をかきわけて川下り
したり、砂浜でのスイカ割りなど次の世代の子供たちに伝えてやりたい。