東京で一番住みたい町は自由が丘だそうだ。その町周辺から最近
めっきり蝉の声が聞けなくなった。そして、かっては夏の風物詩
だった網を手にした麦わら帽子の少年たちの姿も消えた。いつ頃
からの現象だろうかー。
昭和の10年代、皇后陛下の実家のあった池田山は、僕らの蝉、
トンボ取りの宝庫であった。家のあった目黒川添いでも油蝉やムギ
ワラ,シオカラ・トンボはいたが、稀少価値のミンミン蝉,オーヒー
ツク、オニヤンマ,ギン、チャンを求めて遠征したものだ。近くの
駄菓子屋でモチと竿を買い、竿の先にモチを塗りつけ、屋敷町を
”渉猟”した。
池田山にはまだ”原っぱ”もあって、殿様バッタ(雌雄の色の区別で
僕らは”源氏””平家”と呼んでいた)やショウリョウ・バッタ(
チキチキ・バッタ)カマキリもいた。野生のブドウの木にはカナブンが
飛来し、時にはタマムシが取れることもあった。トカゲのしっぽ切りは
悪童たちの日常の遊びであった。
かっては子供の”遊び仲間”だった蝉もトンボもバッタもいつか東京
から姿を消そうとしている。わずか半世紀ちょっとの間にである。まだ
緑が残る地方ではどうなのであろうかー。開発による自然破壊の結果で
ある。人間の有史にこのような現象はあったことはない。エコロジー
全体に影響がなければよいのだがー。
めっきり蝉の声が聞けなくなった。そして、かっては夏の風物詩
だった網を手にした麦わら帽子の少年たちの姿も消えた。いつ頃
からの現象だろうかー。
昭和の10年代、皇后陛下の実家のあった池田山は、僕らの蝉、
トンボ取りの宝庫であった。家のあった目黒川添いでも油蝉やムギ
ワラ,シオカラ・トンボはいたが、稀少価値のミンミン蝉,オーヒー
ツク、オニヤンマ,ギン、チャンを求めて遠征したものだ。近くの
駄菓子屋でモチと竿を買い、竿の先にモチを塗りつけ、屋敷町を
”渉猟”した。
池田山にはまだ”原っぱ”もあって、殿様バッタ(雌雄の色の区別で
僕らは”源氏””平家”と呼んでいた)やショウリョウ・バッタ(
チキチキ・バッタ)カマキリもいた。野生のブドウの木にはカナブンが
飛来し、時にはタマムシが取れることもあった。トカゲのしっぽ切りは
悪童たちの日常の遊びであった。
かっては子供の”遊び仲間”だった蝉もトンボもバッタもいつか東京
から姿を消そうとしている。わずか半世紀ちょっとの間にである。まだ
緑が残る地方ではどうなのであろうかー。開発による自然破壊の結果で
ある。人間の有史にこのような現象はあったことはない。エコロジー
全体に影響がなければよいのだがー。