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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

庶民の敗戦日記(2)

2006-08-13 06:07:58 | Weblog
亡父の敗戦当日の日記には”記憶せよ!この日よ!”と赤い字で
特筆され始まっている。

8月15日(水)空襲警報解除後、まず氷川神社に月参,帰って神仏に
月礼祈願。朝食。午前7時20分の放送にて本日正午畏くも天皇陛下
御親ら勅語御放送ある旨の発表あり恐く(きょうく)に堪えず。
午前9時半出勤正午より勅語拝聴式あり一同最敬礼裡に朗々たる玉
音に接し粛然襟を正し嗚咽各所に起こる感無量なり3時半帰宅夕食
8時就寝。

16日(金)気重き日、前途に不安を覚える。出勤後品川区役所へ家屋
強制疎開補償問題で行く。鈴木内閣総辞職東久邇内閣組閣。

17日ー18日(金ー土)息子動員解除20日まで休(17日)午前10:45-
11;00警戒警報。午後4時渋谷ミュヘーンで生ビール(18日)。

19日(日)戦争終了後最初の公休日。外見的にはまだ世相に変化は
ないが自分の気分は相当変わったものがある。すでに防空頭巾と巻き
ゲートルは廃止した。防空態勢から再起建設への第一歩のつもりである。
よく気をつけると街頭人の服装も国防色が次第に減りつつある。ただ
困るのは都民のつまらぬデマ流布である。今日は床屋も湯屋も休み。

20日ー22日(月ー水)妻、元住吉へ買出し、息子登校来週から授業
再開(20日)退職申し出 ラジオ気象通報開始(22日)。

23日ー25日(木ー土)浪人生活なんとなく力抜ける(23日)停電ラジオ
聞けず,蚊に攻められ寝られず(24日)敵機進駐を前に低空哨戒飛行。

28日(火)苦心惨憺の折衝のすえ強制疎開の補償金、半年ぶりに受取る。
9,020円也。夕食に臨時配給の酒、嬉しいことばかりなり。

31日(金)防空壕の中のものを取り出し,壕の埋立、久しぶりに庭が
すっきりする。息子学校農園行き。

(注1) 戦前まで毎月1日、15日(戦争中は8日=大詔奉戴日)に神仏に
   詣でる習慣があった。
(注2) 亡父の日記によれば、8月15日午前5時40分警報発令同8時50分
    解除、同9時半発令同正午解除とある。多分、天皇の放送を
    めぐる混乱を避けるための予防措置ではないだろうか。