「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      元気だった東京五輪の頃

2007-10-08 04:54:01 | Weblog
また三連休である。毎日が"日曜日"の老人にとっては、三連休といっても
格別嬉しくはない。むしろブログの材料探しに困るぐらいだ。きょう三連休
最後の日は「体育の日」だ。10月8日が何故「体育の日」なのかー。高校生
の孫も、その母親も東京五輪の時には、まだこの世にいなかった。そこで
多言だが説明。そもそも「体育の日」は昭和39年10月10日、東京五輪が開
催されたのを記念して制定されたのだが、例の"ハッピーマンデー”制度に
よって今年は第2日曜日の10月8日なのだ。

10月10日は”晴れの特異日”といわれ、気象庁の統計では、この日は秋雨
前線が去って東京地方はいつも晴れになる確率が高い。そこで五輪の開催
日に決まったわけだが、昭和39年10月10日(土)も前日は豪雨だったのが、
朝には見事に晴れ上がった。

そのころ僕は新聞社に勤務していた。自称"英語つかい”だから当然五輪要
員だと思っていたら”留守部隊”に配属になった。がっかりする反面、楽がで
きると喜んだ。ところがである。期間中に世界を揺るがすビッグニュースが二
つも飛び込んできた。一つはフルシチョフ・ソ連(当時)首相の辞任、他の一
つは中国の初の核実験であった。五輪ニュースは脇にされ、一面トップの制
作にてんてこ舞いさせられた。

あの頃は日本も自分も若かった。坂本九の「明日があるさ」や「幸せなら手を
たたこう」、岸洋子の「夜明けの歌」が流行していた。貧乏だったが、元気だ
った。仕事でも麻雀でも徹夜しても平気だったのだが。