「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            竹馬の友の70年 

2007-10-24 05:17:12 | Weblog
きょう信州安曇野の温泉で、二人の旧友と久しぶりに楽しい時を過す。三人は
70年前、櫻満開の小学校の門をくぐって以来の仲だ。まさに竹馬の友だ。

安曇野には定年退職後、奥さんの故郷でリンゴつくりをしながらセカンドライフ
を楽しんでいるI君がいる。彼の家近く温泉で紅葉を愛でながら美酒を飲もうと
いう趣向である。東京からは僕が、名古屋からはK君がかけつけて昔話に花を
咲かせる。歳をとると、日常、あまり楽しみごとがないものだが、この会だけは
みな指折り数えて待っていた。

僕らが小学校に入学した昭和12年には7月に日支事変が発生、12月には南京
攻略戦が起き”勝ってくるぞと勇ましく”の「露営の歌」が流行した年であった。
しかし、子供だった僕らの耳にはまだ、軍靴の音は、それほど聞こえてこず、通
学路にある”芸者街”の路地裏からは三味の音が流れてきていた。

三人は一年から卒業するまで同じクラス、家も近く文字通り、竹馬を作り乗った
仲間である。卒業後昭和20年4月の空襲で三人とも別れ離れになった。僕は空
襲直前、強制疎開で家をこわされ、I,K両君は焼夷弾で家を焼かれた。

戦後62年、三人はそれぞれの人生を送ってきた。年に一回、櫻の咲くころ同期会
を開いているが、空襲で消息不明者が多く、参加者は十名足らずだ。母校は空襲
で校舎が焼け、数年前、、小中一貫校の誕生で名前まで消えた。街には高層ビル
が林立、凧揚げをした原っぱなどなくなってしまった。いつのまにか、三人とも人生
の「紅葉」を迎えた。