秋の長雨である。10月の東京はこんなに雨が多かったのだろうかー。古い
日記を調べると、戦争に負けた年も雨が多かった。中学3年生だった僕らは
第一京浜国道脇の焼跡整理に従事していた。雨に濡れながら、焼けトタン
などを拾い出し、道端に積み上げる作業だった。
敗戦からまだ2か月、東京の街はいたるところ瓦礫の山だった。作業現場の
旧品川区役所周辺は、国道沿いは焼野原、遠くまで一望できた。これを整理
するのにも若い男性は、まだ戦場から戻らず、結局、僕ら中学生がやらねば
ならなかったのだ。敗戦で学窓に戻れたのも束の間、僕らは再び、社会奉仕
へ狩り出された。
冷たい秋雨の中、きびしい作業だった。国道をジープで行く進駐軍が同情し
て”ラッキー・ストライク”の煙草を投げてくれた。子供心にも敗戦の惨めさを
身体で味あったものだ。しかし、戦争中から戦後のこのような体験は、その
後の自分の人間形成に役立ったような気がする。
明治憲法下では「納税、兵役、教育」が国民の三大義務であった。僕ら子供
もこれを徹底的に教えこまれた。戦後、この義務感は薄れ、逆に変な権利の
主張だけが強くなった。安倍前内閣の教育再生会議で、青少年を一定期間、
社会奉仕させたらどうかという案があった。僕は自分の体験から、これに賛
成である。自然災害時の復興事業などには積極的に活用したらどうだろうか。
日記を調べると、戦争に負けた年も雨が多かった。中学3年生だった僕らは
第一京浜国道脇の焼跡整理に従事していた。雨に濡れながら、焼けトタン
などを拾い出し、道端に積み上げる作業だった。
敗戦からまだ2か月、東京の街はいたるところ瓦礫の山だった。作業現場の
旧品川区役所周辺は、国道沿いは焼野原、遠くまで一望できた。これを整理
するのにも若い男性は、まだ戦場から戻らず、結局、僕ら中学生がやらねば
ならなかったのだ。敗戦で学窓に戻れたのも束の間、僕らは再び、社会奉仕
へ狩り出された。
冷たい秋雨の中、きびしい作業だった。国道をジープで行く進駐軍が同情し
て”ラッキー・ストライク”の煙草を投げてくれた。子供心にも敗戦の惨めさを
身体で味あったものだ。しかし、戦争中から戦後のこのような体験は、その
後の自分の人間形成に役立ったような気がする。
明治憲法下では「納税、兵役、教育」が国民の三大義務であった。僕ら子供
もこれを徹底的に教えこまれた。戦後、この義務感は薄れ、逆に変な権利の
主張だけが強くなった。安倍前内閣の教育再生会議で、青少年を一定期間、
社会奉仕させたらどうかという案があった。僕は自分の体験から、これに賛
成である。自然災害時の復興事業などには積極的に活用したらどうだろうか。