「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            「蟹工船」の時代

2008-07-04 05:22:43 | Weblog
小林多喜二の「蟹工船」が若者中心に時ならぬブームで、3か月に36万部も売れ
る騒ぎだという。この現象を識者が色々分析し、現代のワーキング・プアーに訴
えるものがあるからだろうと、言っている。僕もあえてそれを否定しない。が、ブー
ムが「蟹工船」だけで、他のプロレタリア文学に波及していない。「蟹工船」というタ
イトルが、今のグルメ時代にマッチしたのにすぎない、という説も聞く。これも一理
あるように僕には思われる。

敗戦後の焼跡時代、若者の間でプロレタリア文学がもてはやされた。大學に入学し
たばかりの僕も人並みに小林多喜二や宮本百合子の作品を夢中になって読んだ。
当時、東京の新宿や渋谷の駅前広場では、日本共産党が”革命近し”と火炎ビン
闘争を展開していた。

あれから半世紀、高度成長でいつか日本の社会から”貧しさ”が消え、プロレタリア
文学など読む若者もいなくなった。第一次、第二次安保闘争の時代でも若者はあま
り「蟹工船」や「貧しき人々の群れ」などには関心がなかった。

「蟹工船」が世に出た昭和の初期の日本は本当に貧しく、社会の格差はひどかった。
戦後もだいぶ経った昭和41年「よいとまけの唄」(作詞・作曲 美輪明宏)が流行した。
”父ちゃんのためならエンヤコラ!”と女土方が建築現場で、綱を引っ張って力仕事
をした時の唄だ。美輪明宏が少年時代を回想して当時の貧しさを歌ったものである。

日本人は豊かさにひたりすぎて、貧しかったあの時代を忘れかけていた。その意味で
は「蟹工船」ブームは、昔を知るよい機会である。