「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

躾(しつけ)かお仕置か 大和君の生還

2016-06-04 05:24:20 | 2012・1・1
北海道七飯町の林道で悪戯したお仕置きに両親から置き去りにされた小学校2年生の田野岡大和君(7)が、なんと6日ぶりに隣町の自衛隊駒ケ岳演習所中の無人小屋で無事発見された。不明になってから長時間たち、合同捜索本部も解散する矢先のことだった。まさに奇跡ともいうべき嬉しい話だ。

大和君は元気な活発な坊やのようである。新聞に載っていた写真を見ると、どれもV字サインを示しニコニコ顔をしている。その通り無事生還できた。彼が両親から叱られて、独り林道の中に置き去りにされた原因は、大和君が石コロを車や人がいそうな森の中に向かって投げたからだという。都会では石コロなど最近はなくなっている。大和君が面白がって悪戯する気持ちは解る。一方、両親が言うことを聞かない大和君に対する躾として、お仕置きにしたのも僕には理解できる。ただ、やり方が度を過ぎた。

道徳教育の教科化が進められている。修身教育で育った僕は反対ではない。しかし、修身の時間に”石を投げてはいけない”とは教わらなかった。こういったことは、子供の遊びを通じて親や社会から自然に教わり身に着けてゆくものだ。僕個人の体験で恐縮だが、ちょうど大和君と同年齢の頃,近所の川を挟んだ隣校との石合戦で、石が右目に当たり失明してしまった。

最近は家庭でも社会でもあまり、子供の躾について無関心になってきた。家の近くを走るバスの中で子供たちが悪ふざけしていても乗客は知らぬ顔している。学校の道徳教育だけでは解決されない問題だ。多分、大和君は二度と山の中で石投げ遊びはしないだろうが、その代償としては、あまりにも怖い体験をしてしまった。