「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

三度訪れた牧水の戸畑への旅愁

2016-06-05 05:36:42 | 2012・1・1
九州から東海にかけて梅雨に入ったと気象庁から発表になった。毎年、僕はこの時季になると10数年前、JICA(国際協力機構)の仕事でインドネシア人研修員と一緒に3年続けて3週間ほど生活した北九州戸畑市の洞海湾に面した日本水産能開センターの研修を想い出す。

戸畑は何故か郷愁を誘う町だ。洞海湾という入り組んだ水路からくるものだろう。その点、僕が訪れたドバイ(アラブ首長国)の町とよく似ている。ただ違うのは雨だ。砂漠のドバイは降雨はないが、戸畑は滞在時が6月の梅雨時とあってか雨が多く、それも首都圏育ちの僕にはびっくりするほど”男性的な”激しい雨だ。この中で夕方になると、7月の祇園大山花笠に備えてお囃子(はやし)のお稽古の太鼓、鉦、横笛が遠くから風に乗って聞こえてくる。

この戸畑の町を歌人の牧水が明治から大正にかけて三回訪れている。戸畑にはその文学碑が二つあるが、研修が休みの日、僕は町中を歩いていて、その一つに出くわした。住宅街の一角のしもた屋の玄関横に碑はあった。碑面には”われ三たびここに来たりて、家のあるじ寂び静かなるべし”と書いてある。牧水は明治から大正にかけて3回、戸畑を訪れ同人の歌人たちと酒を組み交わしている。

たまたま、亡父は大正10年、短期間だが仕事で静岡県の沼津に滞在、東京への送別会で牧水から自筆の扇子を頂戴している。先年、その扇子は沼津の牧水記念館に寄贈したが、その牧水が当時、まだそれほど大きくなかった戸畑の町を三回訪れたのは、なにか酒友だけでなく、魅かれるものが戸畑にはあるのであろう。