先日、インドネシア関係の集まりに招かれ参加したが、出席した6人のうち3人までが今年卒寿(90歳)を迎えた人生の先輩たちだった。3人とも戦争中、海軍の”少年”軍属として、2人はセレベス(スラウェシ)島のマカッサル、1人はバリ島のシンガラジャの海軍民政部に勤務していた。恐らく、南方に勤務した従軍世代の中では一番最後であろう。
今年、卒寿を迎えた世代は大正15年生まれである。大正最後の世代だと同時に徴兵された最後の世代でもある。わが国では明治以降徴兵制度があり、満20歳になると、男性は徴兵検査を受け、合格すると徴兵されたが、戦争が激化した昭和19年からは徴兵年齢は19歳に引き下げられた。このため、3人とも戦地で検査を受け、うち一人は終戦の数日前に、星一つの二等兵として入隊している。
戦争中は職業軍人を育てる学校、陸軍で言えば幼年学校、士官学校、飛行兵学校、海軍では兵学校、経理学校など各種の学校があったが、一方、軍人ではなく、大東亜共栄圏確立後の軍政要員を育てる施設や制度もあった。3人の方は昭和18年、旧制中学校(5年)を卒業して海軍の試験に応募して合格、民政部要員として戦地に派遣された。まだ18歳の”少年”軍属で、資格は「理事生」という最下級であったが、話を伺うと、最前線の軍属としてまったく大人たちと同じように活躍されていた。
戦後70年経ち、実際に海外の戦地で勤務した世代が少なくなり、その貴重な体験も風化し始めてきた。先日の集まりでも、当時の貴重な体験をなんとか後世に継承する方法はないかと話し合った。最後の徴兵制度の最後の体験者も90歳である。
今年、卒寿を迎えた世代は大正15年生まれである。大正最後の世代だと同時に徴兵された最後の世代でもある。わが国では明治以降徴兵制度があり、満20歳になると、男性は徴兵検査を受け、合格すると徴兵されたが、戦争が激化した昭和19年からは徴兵年齢は19歳に引き下げられた。このため、3人とも戦地で検査を受け、うち一人は終戦の数日前に、星一つの二等兵として入隊している。
戦争中は職業軍人を育てる学校、陸軍で言えば幼年学校、士官学校、飛行兵学校、海軍では兵学校、経理学校など各種の学校があったが、一方、軍人ではなく、大東亜共栄圏確立後の軍政要員を育てる施設や制度もあった。3人の方は昭和18年、旧制中学校(5年)を卒業して海軍の試験に応募して合格、民政部要員として戦地に派遣された。まだ18歳の”少年”軍属で、資格は「理事生」という最下級であったが、話を伺うと、最前線の軍属としてまったく大人たちと同じように活躍されていた。
戦後70年経ち、実際に海外の戦地で勤務した世代が少なくなり、その貴重な体験も風化し始めてきた。先日の集まりでも、当時の貴重な体験をなんとか後世に継承する方法はないかと話し合った。最後の徴兵制度の最後の体験者も90歳である。