「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

軍歌演習で歌った 「安里屋ユンタ」

2016-06-24 04:56:20 | 2012・1・1
沖縄県の竹富島の古謡に「安里屋ユンタ」がある。琉球時代、仕事で竹富へ訪れた那覇の役人が島の少女と恋に落ちる内容だったと思うが、何故か、僕は戦争中、この歌を歌った記憶があり、今でもメロデイを口ずさめる。何故なのか、先日来、寝ながら考えてみたら、71年前、沖縄戦が終わりに近くなった昭和20年6月、勤労動員されていた千葉県利根川運河の浚渫工事現場での「軍歌演習」ではなかったかのような気がしてきた。

僕らはまだ中学3年生だったが、東京の親元を離れ、運河の江戸川口の「暁2803」船舶部隊の築城班に所属して、敵の本土上陸に備えて川底の泥をモッコで担いで運び出す工事に従事していた。軍隊の内務班と同じ日常で、夕食後は運河の土手の上で、星空の下、「軍歌演習」をした。戦争末期、”いざこいニミッツ、マッカサー出てくりゃ地獄へ逆落とし”(比島決戦の歌 西条八十作詞、小関裕而作曲)といった勇ましい軍歌が多かったが「新雪」とか「誰か故郷を想わざる」に混じって「安里屋ユンタ」もあった。動員の監督官だった沖縄帰りの若い兵隊が僕らに教えてくれたものだ。

20年ほど前、JICA(国際協力機構)の研修の仕事で石垣島に長期滞在して、改めて「安里屋ユンタ」の歌詞をみたら、その囃子言葉“マタハリ―ヌ チンダラ カヌシャマヨ”がマレー語(インドネシア語)の”Matahari cinta kamu sama"(太陽は皆同じように貴方を愛します)に酷似してるのに驚いた。久米島の奇祭、パンドウのお化けの恰好がスマトラの”Hantu"(お化け)とそっくりなのも面白い。元気なうちに、もう一度竹富島に行きたいと思っているのだが。

軍歌演習で歌った 「安里屋ユンタ」

2016-06-24 04:56:20 | 2012・1・1
沖縄県の竹富島の古謡に「安里屋ユンタ」がある。琉球時代、仕事で竹富へ訪れた那覇の役人が島の少女と恋に落ちる内容だったと思うが、何故か、僕は戦争中、この歌を歌った記憶があり、今でもメロデイを口ずさめる。沖縄での組織的な戦闘が終わって71年、昨日、安倍総理も列席して