首都圏は昨日、所によっては初霜を記録する今年一番の寒さであった。二階のベランダから見おろすわが家の庭の山茶花の花がいつのまにか咲き始めてていた。(写真)色彩感の薄い、この季節ひときわ目を楽しませてくれる。
山茶花といえば、僕ら昭和1ケタ世代にとって童謡唱歌「たき火」(昭和16年 作詩 巽聖歌 作曲 渡辺茂)が懐かしい.”山茶花 山茶花咲いた道””垣根の垣根の曲がり角””しもやけお手々がかゆい”-この歌の所どころのフレーズには、当時まだ残っていた武蔵野の面影の東京が感ぜられる。
当時、僕は省線(JR)五反田駅近くの目黒川沿いに住んでいたが、高層建物は駅前の三階建の「白木屋」(東急)しかなく、家から学校へ行く通学路は舗装されていなかった。僕らはサクサクとわざわざ靴で霜を踏みながら通学した。家々に備えつけてあった「防火用水」には薄氷が張っていた。山手線の踏切をわたって土手を降りると、学校の正面横には山茶花の赤い花が咲いていた。戦争が始まる前の昭和のひとときがあった。今は母校もないし、霜を見ることもなくなった。
山茶花といえば、僕ら昭和1ケタ世代にとって童謡唱歌「たき火」(昭和16年 作詩 巽聖歌 作曲 渡辺茂)が懐かしい.”山茶花 山茶花咲いた道””垣根の垣根の曲がり角””しもやけお手々がかゆい”-この歌の所どころのフレーズには、当時まだ残っていた武蔵野の面影の東京が感ぜられる。
当時、僕は省線(JR)五反田駅近くの目黒川沿いに住んでいたが、高層建物は駅前の三階建の「白木屋」(東急)しかなく、家から学校へ行く通学路は舗装されていなかった。僕らはサクサクとわざわざ靴で霜を踏みながら通学した。家々に備えつけてあった「防火用水」には薄氷が張っていた。山手線の踏切をわたって土手を降りると、学校の正面横には山茶花の赤い花が咲いていた。戦争が始まる前の昭和のひとときがあった。今は母校もないし、霜を見ることもなくなった。