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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「歴史の目撃者」論 朝日新聞の中国文革時の報道

2021-12-05 10:10:05 | 2012・1・1
朝日新聞のワシントン特派員など海外勤務を経て1980年代から長い間、編集主幹だった松山幸雄氏11月30日亡くられた。購読紙の産経新聞には逝去の報はなかったが、今朝の新聞のオピニオン欄に酒井信彦氏が「新聞に喝」というエッセーの中で、松山氏のご逝去を初めて知った.。松山氏とは1953年、学校を出てすぐの初任地、産経長野支局勤務の際、駆け出し記者同士のライバルだった。

酒井氏はこのエッセーの中で、松山氏が書いた「歴史の目撃者」を取り上げ氏が中國文化革命の際、中国が朝日新聞を除き日本の在北京特派員を国外追放した当時の報道は明文化した支持や通達によるものではなく、支局閉鎖や特派員追放を避けるための空気が編集局を包んでいたという松山氏の記事を紹介している。

酒井氏は松山氏の歴史の目撃者論に関連して安倍内閣の森友学園の忖度にふれ中国の文革時の朝日の報道姿勢について忖度ではないかという。問題は隠蔽された真実の解明する説明責任だという。酒井氏は松山氏は亡くなったが、当時を知る関係者はまだ存命しているという。考えて見ると、老生は中国問題の専門家ではないが、東京の外信部で毎日のように北京の柴田穂特派員から反政府の壁新聞が送られてきた。柴田記者は日経に次いで国外追放にあった。老生も当時の空気を理解できる一人となった。