昭和16年12月8日、80年前わが国は米英両国に宣戦を布告した。当時小学校5年生だった老生はこの朝登校前、近所のトラック置き場で焚火に当りながらラジオから流れる臨時ニュースを聞き,子供ながらに大変なことになったと覚えている。亡父の残した日記帳には「対英米宣戦布告 大詔渙発」と大書し、ついでわが軍がハワイ、グアム,ダバオなどを空襲、マレーに上陸したと書き、末尾に夕刻「警戒警報」発令と書いている。
老生と同じ戦前生れの世代は大詔渙発という言葉に抵抗ないが、大方の今の日本人には馴染みがうすい。蛇足かもしれないが、大詔とは天皇陛下が広く国民にお言葉を公示すること。一方、渙発とは水が四方に流れる様子をいう。宣戦布告の大詔は天祐を保有しで始まるもので、老生らは毎月8日、学校で行われる大詔奉戴日に暗唱した。
80年も前で記憶が薄れてきたが、銃後の青少年だった老生らの世代は、教育勅語、青少年に賜りたる勅語、歴代天皇のお名前など暗記させられることが多かった。ただ陛下の生のお声、玉音は終戦の大詔だけだったが、大詔と言わなかった。