「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

待機していても入所できなくなった特養老人ホーム

2016-06-21 06:05:04 | 2012・1・1
東京23区の特別養護老人ホームに入居中の80歳の女性の月の使用料が昨年8月の介護保険料改定によって、月8万円だったのが一挙に17万円に値上げになったケースが朝日デジタルで紹介されていた。改定の骨子を読んでみたが、この方の場合は色々の悪条件が重なった特例だが、改定によって入居者の負担が増えているのは事実のようだ。

この改定によるものかどうかわからないが、先日会った友人は要介護Ⅰの認定が取り消され、それに関連しているのか年間1000円支払えば都内どこでも利用できたバスカードまで使えなくなったっとこぼしていた。介護の認定は2年ごとに行われているが、友人の場合、期間内に一度もサービスを受けたことがなかった。僕ら老夫婦は二人とも要介護Ⅰの認定を受けているが、やはりサービスはゼロである。今のところ、二人ともサービスの必要はないが、もしかすると、年末の更新時には、二人とも認定されないかもしれない。

幸い、僕ら夫婦徒も元気で福祉の世話になっていないが、いつも日常的には”老後”について心配している。麻生大臣には叱られるが、その心配は多分、僕らだけではないだろう。現実問題として、公的な老人施設、特養に入居を希望し待機している高齢者が全国に40万人から50万人いる。しかし、入居使用料が月17万円もかかったら、入居者は限られ、せっかく待機していても入居できない。

政府は老人介護として在宅介護を勧めている。多分、予算的に介護施設の建設が間に合わず、介護士の不足がその原因であろう。しかし、昔と違って”核家族”が固定しており、在宅介護など、一握りの恵まれた家庭しかできない。それでいて、政府は”いつまで生きているのか”である。

公示前の選挙運動 ”違法ではないが適切ではない”

2016-06-20 05:25:32 | 2012・1・1

新聞の折込チラシに混じって、購読していない自民党の機関紙「自由民主」の号外なのだろうか、参院選に立候補する、人物の大きな顔写真が安倍晋三.自民党総裁.内閣総理大臣の”期待します”という談話と共に掲載されている。裏面には、参院選の選挙方法の仕方が解説されているが、明らかに、この候補者の公示前の事前運動だ。

舛添都知事の一連の疑惑について、”第三の目”の弁護士は”違法性はないが、適切ではない”とおかしな調査報告をした。知事のしていたこと政治資金規正法に違反していないが、適切ではないというのである。選挙法を読んだことはないが、素人の有権者から見れば、「自由民主」の号外は公示前の事前運動としか思えない。しかし、堂々と無料で配布するところ見ると法には触れていないのだろう。

陸上競技や水泳では、スタートのさい、出発合図前に他選手より前にとびだすことをフライングといい失格となる。街中の選挙公示版は完成したが、まだ写真は張られていない(写真)。立候補者の選挙公報もまだ宅配されてこない。素人の考えでは「自由民主」は明らかにフライングに見えるのだが、そして、さらに思いをいたせば、当選後も”違法ではないが、適切ではない”行為をする人物に思えてならず、僕は一票を投じない。逆効果である。

”年寄りはいつまで生きるのか”麻生大臣の暴言

2016-06-19 05:42:44 | 2012・1・1
麻生副総理兼財務大臣は、どうも高齢者医療福祉介護といった問題について偏見の持ち主だ。今度選挙があったら、老人はこんな男に一票を投じてはならない。数年前だったが、彼は老人終末延命治療について、政府が大金を投ずるべきではない、と取りようによっては”年寄りは早く死ね”ともとれる発言をしていたが、こんどは先日小樽の集会で”90歳になっても老後を心配している老人がいる。一体いつまで生きるつもりなのか”と暴言していた。失言とは思えない。麻生氏の頭の中には老人に対する偏見、侮蔑があるに違いない。

高齢者の延命治療については、たしかに本人の意思に反して長期に渡って延命治療に当たるのは、麻生氏倫理観に立てば、国の税金のムダ使いである。僕がもし植物人間になれば、延命治療はして貰いたくない。しかし、大臣という立場の人ががこういった発言をしてはならない。今度の麻生発言の趣旨は、国内の1800兆円の個人金融資金に関連する話の中で、老人の”箪笥預金”をもっと使って欲しいという意味での発言だったようである。しかし、国内には麻生氏みたいな大金持だけがいるわけではない。

麻生大臣は75歳、後期高齢者だが、お元気で年金生活者でないからであろう、あまりにも高齢者社会の現実にについて無知である。”90歳になっても老後を心配している”と侮蔑発言をしているが、日本人の健康寿命が延びて70代、80代のでは昔のように老後をあまり心配せずに暮らせる老人が増えている。麻生大臣が侮蔑している老人は90歳になって老後が心配になってきた、政府にとっては、推奨老人ではないだろうか。

財務大臣という立場から、数字だけで色々発言する気持ちは理解できないでもないが、これが最近の日本社会の一部にみられる老人蔑視の風潮の火に油を注ぐことにならなければよいが。

白金東京都庭園美術館の今と昔

2016-06-18 05:44:35 | 2012・1・1

真夏のような昨日、フィレンツエ在住の長かった友人の案内で白金の東京都庭園美術館で開催中のイタリア.ルネッサン期の「メディチ家至宝絵画」展を見てきた。芸術には門外漢の僕だが、しばし世間の喧噪から離れて、美の世界にしたることができた。

庭園美術館のあるあたりは、戦前僕が子供だった頃は”白金火薬庫”と呼ばれていた。明治時代に軍の火薬庫があった関係からだが、その後、大正の初めに火薬庫は撤去され、皇室の御料地を経て朝香宮のお住まいになっていた。昭和10年代、五反田に住んでいた僕は、夏休みには友達と一緒にセミ取りに、この辺まで遠征したが、まだ武蔵野の面影が残り古木が鬱蒼と茂っていた。

戦後になって朝香宮家邸は、吉田茂総理時代に外務大臣公邸になり外国からの公賓の迎賓館になった。昭和30年代の終り頃だったと思うが、僕は来日したイスラエルのゴルダ.メイア首相(女性)の晩餐会の取材で初めて訪れたことがある。若気の至りで、メイア首相に対して場にふさわしくない質問したことがあり、今でも汗顔の至りである。

二度目にここを訪れたのは昭和50年頃で、旧友の結婚式の披露パーティであった。当時、外務大臣公邸は民間に払い下げられ、西武グループが運営に当たっていた。その時、式をあげた旧友はすでになく、時の流れを感じる。

平日なのに庭園美術館は、かなり入館者が多かった。入館料は一人1400円(高齢者は半額)だったが、公私混同の”舛添騒動”の後だけに、なんとはなく高いように感じたから不思議だ。舛添さんとは世間知らずの罪な人である。、

曾野綾子さんの舛添都知事弁護論

2016-06-17 05:27:36 | 2012・1・1
舛添東京都知事の私的流用問題について作家の曾野綾子さんが産経新聞のコラム「透明な歳月の光」(首都圏版6月15日)の中で知事の問題の”公私混同”や政治資金の流用疑惑について知事を弁護、それよりは都議会を空転させたほうがお金のムダだと書いている。曾野さんによれば”知事を政治的、社会的に葬ることで、個人的な妬みの溜飲を下げたい人たちを見るのはあまり楽しくない”のだそうだ。

”舛添騒動”は知事の辞任に当たっての最後の発言”反省と心残りの念はつきないが、すべて自分の不徳の致すところ”で幕を閉じた。これで曾野さんが憂えていた都議会の空転によるお金のムダは避けられたが、都知事の再選という、やらずもがなの大きなツケを残してしまった。一説には再選費用は50億円だという。”不徳の致す”によるツケにしては大きすぎる。

おりしも東京の居住区から「特別区民税.都民税」の通知が来た。公的年金と僅かな不動産に対する課税である。しかし、”貧者の一灯”といえども赤税であるのには変わりがない。その赤税が、意味のない個人用のシナ服の購入にあてられては、たまったものではない。シナ服が買えないという僕の個人的な妬みではない。

やりきれない気持ちで、この”舛添騒動”に何か功績はないかと探してみたら、普段日常的に何をしているか判らない都会議員の存在ぐらいだ。この騒ぎで多少、有権者との距離が近くなったかもしれない。夏の盛りの選挙だが、今度は候補をよく見極めた上で一票を投じることにしよう。これも”舛添騒動”の功績の一つかもしれない。

ガンとの”共存”16年

2016-06-16 06:35:35 | 2012・1・1
昨日、国立病院へ膀胱ガンと大腸ガン、二つの手術後の事後チェックに出かけたが、幸い再発も転移もなかった。膀胱ガンの4度目最後の再手術は平成23年6月だから、この3年間、無事に推移している。一方、大腸ガンは二度目の手術が今年1月だから、まだ半年しかたっていないが、とにかく無事だった。この気持ちは、まるで入学試験に合格した時のように嬉しいものだ。

考えてみると、僕のガンとの”共存”はすでに16年になる。膀胱ガンが初めて発見されたのは平成12年6月、血尿が出て近くの医者にみて貰ったら、前立腺肥大からくるものだという診断だった。しかし、排尿時、猛烈な痛みを伴うので、国立病院で精密検査をしたら膀胱ガンであることが判った。早速、患部の摘出手術が行われ、術後も年に数回、チェックしてもらい、5年間無事推移してOKとなった。ところが、10年たった平成22年、そのガンが再発してしまった。医者は否定しているが、僕は当時服用していた糖尿病薬アクトスが原因だと思っている。アクトスは欧米では発売が禁止されている。

大腸ガンは2年前の区のメディカル.チェックで発見された。国立病院の診断では、初期のステージⅡだったが、腹腔手術が行われた。しかし、術後1年後の診断で、患部の近くに再発が見られ今年1月、今度は開腹手術で摘出された。ガンは手術後5年間は事後チェックが義務づけられているそうだが、どうやら、僕の場合は、人生最後の日までガンとの共存が続きそうである。この共存で得た教訓は、ガンは早期発見にこしたことはない事だ。その意味で新聞に出ていた、簡単な尿検査だけでガンが発見できる装置の発見は素晴らしい。早期実施が待たれる。

日本兵の”幽霊”話で倒産したインドネシアのホテル

2016-06-15 05:33:22 | 2012・1・1
インドネシアのソロ(スラカルタ)で仕事をしている日本人の友人から、旧市街にある日本軍政時代からの古いホテルが倒産したというメールを貰った。メールによると、ホテルは日本時代憲兵隊支部の建物に使用されており、戦後すぐの時代にここで、独立蜂起したインドネシアの若者たちがが、日本軍の兵器を寄越せと押し寄せ、小競り合いがあった場所だ。今でもホテル前には記念碑が残っている。

敗戦から間もない昭和20年10月、日本の第16軍中部防衛隊管下の中部ジャワでは、若者たちを中心に各地で日本軍の兵器を寄こせという暴動がおこり、スマランでは同地在住の日本人が女子刑務所に入れられ、100人を超す犠牲者が出た。マゲランでは兵器を渡さなかった憲兵10人が虐殺された。ソロに近いジョクジャカルタでは、駐屯部隊兵士もろとも在留邦人400人が長期にわたって刑務所に収容され多数の死者が出ている。

70年も前の昔の事である。日イ双方ともこのような不幸な事件があったことは風化しはじめ、その結果このような幽霊話まで出てくる。10年ほど前、僕はシンガポールに近い、インドネシア領ビンタン島のパンカルピナンを旅行中、洋上レストランが日本軍の幽霊が出るという噂から倒産したたという海中の杭の跡を見た。ソロもパンカルピナンも地上戦はなく戦死者は一人も出ていない。逆にソロは、藤山一郎が戦後日本で歌って大ヒットした「ブンガワンソロ」の歌の故郷で、むしろ平和なイメージが強い。

海外激戦地の英霊の遺骨の収集が本格化するが、同時にまだ各地には防空壕跡、座礁したままのダイハツなどの戦争遺跡などについても相手国との話し合いで処理する必要があるのではないか。さもないと、”記憶遺産”として未来永劫にユネスコに登録されてしまうかもしれない。

森では熊 町ではネズミ

2016-06-14 16:36:11 | 2012・1・1

猫の額もないわが家の二階のベランダに置いた鉢植えのカーネーションの花(写真)がほころんだ途端、何者にかに食い荒らされてしまった。老妻はカラスの仕業と推理したが、どうやら階下の庭から樋を伝わり、上ってきた野ネズミの悪さみたいだ。

今年は森の食糧不足からか、各地で山菜取りの老人が熊に襲われ被害を受けているが、都会でも同じ現象なのか、最近はあまり姿を見せなかった野ネズミが跳梁しているみたいだ。この野ネズミとドブネズミが同じ種類かどうかは知らないが、僕が小学生だった昭和10年代には、ドブネズミが東京の町はウヨウヨしていた。各家庭にはネズミ取り器が用意されており、これにかかったネズミを交番に届けると、たしか1銭貰ったものだ。

ドブネズミも多かったが、一方、町には野犬も野猫も放し飼いにされていたが、あまり問題にはされなかったようだ。まだ東京の町には馬車が走っていており、子供たちは学校に言われてこれを拾って歩いた。熊や野ネズミの横行がよいのかどうか。そういえば、昔東京の町にはうろうろしていた雑種の野良犬は姿を消してしまった。

外国人介護士とイタリアの老人介護

2016-06-13 05:28:32 | 2012・1・1
産経新聞の首都圏版(6月12日国際面)のコラム「イタリア便り」”みとるのは誰?"という記事の中で、イタリアの老人介護の一端が紹介されていた。筆者の坂本鉄男さんは、イタリア在住が長く、僕と同年齢の80歳を過ぎた方である。それだけに高齢者の目からイタリアでの老人介護の実態を観察されているが、イタリアでは、老人介護の担い手はほとんど外国人である。日本も外国人介護士の導入に対して、あまり資格や条件をつけない方が、結果として、医療費軽減に役立つのではないかと提案している。

わが国での海外からの介護士はEPA(経済協力協定)基づき、インドネシア、フィリッピン、ベトナム三カ国から受け入れているが、日本語の研修や国家試験の合格など条件が厳しく、1年間の研修期間を終えただけて帰国したり、”失踪”したりする者が多いという。最近は「外国人技能実習」制度の枠内で、介護士を導入する動きもあるそうだが数は限られている。

団塊世代が皆75歳以上になる2025年には、厚労省の推計では、介護職員は全国で39万が不足するという。一方、現在でも特別介護老人ホーム入居希望の老人は50万人いるともいわれる。わが家の合計年齢168歳の夫婦は、二人とも介護1の認定は受けているが幸い介護保険のお世話にはなっていない。しかし、年齢からみて、いつ病気になり、寝たきりになるとも限らない。政府は老後の在宅看護を勧めており、僕もそれを望んでる。国情にもよるが、将来を見据えて、外国人介護士の導入に対して、もう少しフレキシブルの考え方があってももよいのではないだろうか。

”ムラサキ匂いし”東京 舛添知事のセコさに腹が立つ

2016-06-12 05:06:59 | 2012・1・1
戦前、東京で教育を受けた世代にとっては“ムラサキ匂いし”で始まる東京市民歌(高田耕甫作詞 山田耕作作曲 1926年)は懐かしい。その三番の歌詞「大東京こそわが住むところ 千代田の森の皇居はわれらの誇り 力あわせていざわが友よ 我等の都に輝きあらん」は当時の東京市民の気持ちを現している。僕らは10月10日の「東京市民の日」に学校で合唱したものだ。

東京市と府が廃止され、東京都が発足したのは昭和18年7月だが、昭和1ケタ世代には、いまだに「東京市」への郷愁と誇りがある。江戸を開いた太田道灌時代は”ムラサキ”(6月から7月にかけて武蔵野に咲く白い花)や”ススキ”の穂の原野だったのが、”今やネオン輝く都会”(東京音頭)になった誇りである。学校では”ニューヨーク、ロンドン、東京”が教え込まれた。とくに、僕らの時代は中止された昭和15年東京五輪の前だけにそうだった。

”江戸っ子は五月の鯉の吹き流し”だという。鯉のぼりと同じように腹には贓物がない。口は悪いが他人に恨みは持たないない、という意味である。東京都議会で舛添え知事の”公私混同”疑惑や政治資金の不正使用に対する追及が続いている。知事に対する個人的な恨みから出たものではないが、知事はあまりにも”鈍感”である。僕は”芝で生まれて神田で育った”生粋の江子ではないが、東京市民歌を学校で歌い、盆踊りで東京音頭を踊った世代で東京に誇りを持っている。”我等の都に輝きあらん”と願った世代である。それだけに東京のトップである舛添知事の自分本位のセコさに腹がたち“ムラサキ匂いし”江戸がいとおしくてならない。