自分自身というものを考えてみる。
ここでいう自分自身とは、自分の意識のことだ。
それを主体と定義すれば、それ以外は客体ということになる。
見えるもの、聞こえるもの、臭うもの、感じるもの、要は、意識がコントロールする五感で感じるものすべて、言い換えれば、世の中すべてが客体だ。
自分の意識が及ばないところの客体は存在しない。
たとえば、どこかの山の中で木が倒れても、それを認識することはできない。
ということは、そんな現象は起こっていないのと同じだ。
どこかの山奥で木が倒れたという情報も、それを自分の意識が認識しない限り、情報として存在しない。
情報として認識した時点で、意識がそれを作り出したということだ。
自分の意識が存在しなかった生まれる前の過去は存在しない。
その過去と思っているものも、意識が作り出した幻影だ。
本来の過去は、自分が生まれてから、自分の意識が認識したものだけだ。
それを経験といっていいかもしれない。
それさえも、意識が作り出した幻影かもしれない。
意識の入れ物の肉体自体も、意識が作り出した客体だ。
極論すれば、世の中すべてのものは、自分の意識が作り出した幻影にすぎない。
人生は意識が作り出した大いなる幻想かもしれない。
ここでいう自分自身とは、自分の意識のことだ。
それを主体と定義すれば、それ以外は客体ということになる。
見えるもの、聞こえるもの、臭うもの、感じるもの、要は、意識がコントロールする五感で感じるものすべて、言い換えれば、世の中すべてが客体だ。
自分の意識が及ばないところの客体は存在しない。
たとえば、どこかの山の中で木が倒れても、それを認識することはできない。
ということは、そんな現象は起こっていないのと同じだ。
どこかの山奥で木が倒れたという情報も、それを自分の意識が認識しない限り、情報として存在しない。
情報として認識した時点で、意識がそれを作り出したということだ。
自分の意識が存在しなかった生まれる前の過去は存在しない。
その過去と思っているものも、意識が作り出した幻影だ。
本来の過去は、自分が生まれてから、自分の意識が認識したものだけだ。
それを経験といっていいかもしれない。
それさえも、意識が作り出した幻影かもしれない。
意識の入れ物の肉体自体も、意識が作り出した客体だ。
極論すれば、世の中すべてのものは、自分の意識が作り出した幻影にすぎない。
人生は意識が作り出した大いなる幻想かもしれない。
狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。