ら抜き言葉とは、説明するまでもなく、皆さん周知していると思われる。
見れる(見られる)、来れる(来られる)、食べれる(食べられる)などの類いだ。
特に若者の話し言葉では多用される。
我々の世代の人間だと、多少、違和感をもよおすが、別に咎め立てしたり指摘するほどでもない。
歌は世につれ、ではないが、江戸時代の言葉を今も使っている人はいないように、言葉も時代の流れに応じて変化するものだ。
ら抜き言葉もその変化の一環だ。
「ら」を抜いたところで意味は普通に通じる。
しかし、それを許さないというか、本人の承諾を得ず、訂正するのがテレビだ。
テレビ業界では、未だに、ら抜き言葉は許されていないようだ。
インタビューなどで、若者が、ら抜き言葉で話しているのに、テロップでは「ら」が追加されている。
あれはいただけない。
私から見れば、それは個人の人格否定だ。
こいつは馬鹿だから、ら抜き言葉を使っているんだ、本当はこう言うんだよ、といかにも上から目線に感じるのは私だけか。
そんなもの、余計なお世話だろう。
ちゃんと本人が喋った通りに文字に起こせよ。
著作権や肖像権ではないが、喋り方権の侵害だ。
いかにも、ら抜き言葉を喋りそうなギャルタレントが、テレビでは滅多に喋らないのは、撮り直したり、編集でカットしているからなのかと勘繰りたくもなる。
見れる(見られる)、来れる(来られる)、食べれる(食べられる)などの類いだ。
特に若者の話し言葉では多用される。
我々の世代の人間だと、多少、違和感をもよおすが、別に咎め立てしたり指摘するほどでもない。
歌は世につれ、ではないが、江戸時代の言葉を今も使っている人はいないように、言葉も時代の流れに応じて変化するものだ。
ら抜き言葉もその変化の一環だ。
「ら」を抜いたところで意味は普通に通じる。
しかし、それを許さないというか、本人の承諾を得ず、訂正するのがテレビだ。
テレビ業界では、未だに、ら抜き言葉は許されていないようだ。
インタビューなどで、若者が、ら抜き言葉で話しているのに、テロップでは「ら」が追加されている。
あれはいただけない。
私から見れば、それは個人の人格否定だ。
こいつは馬鹿だから、ら抜き言葉を使っているんだ、本当はこう言うんだよ、といかにも上から目線に感じるのは私だけか。
そんなもの、余計なお世話だろう。
ちゃんと本人が喋った通りに文字に起こせよ。
著作権や肖像権ではないが、喋り方権の侵害だ。
いかにも、ら抜き言葉を喋りそうなギャルタレントが、テレビでは滅多に喋らないのは、撮り直したり、編集でカットしているからなのかと勘繰りたくもなる。
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