去年9月28日に禁煙を始めて、11月5日の飲み会で解禁した。
禁断症状はなかったが、酒席ではついつい煙草に手が伸びる。
いわば酒のつまみのようなものだ。
それ以降、また喫煙を再開したが、以前に比べると、本数は激減した。
それまでは、手持無沙汰の時に、身体が求めてもいないのに吸っていた。
いわば無意識のうちに、惰性で吸っていたようなものだ。
それを旨いと感じたり、気分が落ち着いたりするわけでもなかった。
今は、身体が煙草を求めている時にしか吸わないようにしている。
そしてそんなケースは、思った以上に少ないのだ。
これは煙草に限らず、酒においても言えることだ。
自宅で酒を飲みたいと思うことはほとんどないし、飲み会ではそれが目的なので、飲まざるを得ない。
ほんとうに飲みたいと思うのは、夏場のウォーキング途上だ。
そんな時は、ファミレスやファーストフード店で隠れビールをしている。
しかし、それも酒飲みや依存症の、頻度や飲み方ではない。
適量以下だ。
禁煙や禁酒が本当に必要なのは、依存症の人間だけだ。
そしてそれを克服するのは、ほとんどの場合困難だ。
一般人の吸い過ぎ、飲み過ぎレベルは、ほんとうに吸いたい時、飲みたい時、要は身体が求める時に、吸ったり、飲んだりすればいいだけだ。
煙草や酒に手が伸びそうになった時には、ほんとうに今吸いたいのか、飲みたいのか、と自問することだ。
それくらいなら、意識すれば可能なはずだ。
禁断症状はなかったが、酒席ではついつい煙草に手が伸びる。
いわば酒のつまみのようなものだ。
それ以降、また喫煙を再開したが、以前に比べると、本数は激減した。
それまでは、手持無沙汰の時に、身体が求めてもいないのに吸っていた。
いわば無意識のうちに、惰性で吸っていたようなものだ。
それを旨いと感じたり、気分が落ち着いたりするわけでもなかった。
今は、身体が煙草を求めている時にしか吸わないようにしている。
そしてそんなケースは、思った以上に少ないのだ。
これは煙草に限らず、酒においても言えることだ。
自宅で酒を飲みたいと思うことはほとんどないし、飲み会ではそれが目的なので、飲まざるを得ない。
ほんとうに飲みたいと思うのは、夏場のウォーキング途上だ。
そんな時は、ファミレスやファーストフード店で隠れビールをしている。
しかし、それも酒飲みや依存症の、頻度や飲み方ではない。
適量以下だ。
禁煙や禁酒が本当に必要なのは、依存症の人間だけだ。
そしてそれを克服するのは、ほとんどの場合困難だ。
一般人の吸い過ぎ、飲み過ぎレベルは、ほんとうに吸いたい時、飲みたい時、要は身体が求める時に、吸ったり、飲んだりすればいいだけだ。
煙草や酒に手が伸びそうになった時には、ほんとうに今吸いたいのか、飲みたいのか、と自問することだ。
それくらいなら、意識すれば可能なはずだ。
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