★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

孤独もなかなかいいもんだよ

2022年01月26日 12時46分15秒 | 徒然(つれづれ)
 友達がいない、あるいは少ないというだけで、世間は、社交性が欠如している、人付き合いが悪い、孤独な奴だ、と半ば変人扱いだ。
 孤独を愛するということは、マイナーなこと、あるいは人より劣っていることなのだろうか。

 性格的に、人との付き合いが苦手、あるいは意識的に避ける人間もいるはずだ。
 それを引きこもりなどと蔑視したり、極端な話、性格破綻者呼ばわりするのは、ちょっと違うだろう。

 私は定年退職後、自ら望んで引きこもり生活を送っている。
 満喫しているというほうが当たっているかもしれない。
 変に気を使わなくてもいいし、人から指図や強制されることもない、至って平穏な毎日だ。

 人と会わなくても、話をしなくても、なんのストレスを感じることもないし、寂しいなどと思ったこともない。
 サラリーマン時代と比べると、それこそ雲泥の差だ。

 それなりに、小さな楽しみは無数にあるし、精神衛生上もこれに優ることはない。
 人は、健康でありさえすれば、ひとりでも十分に生きていけるものなのだ。

 健康の反対のことは極力考えないことだ。
 明日は明日の風が吹くさ。
 

狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友よ

2022年01月26日 12時06分32秒 | 徒然(つれづれ)
 中途採用で入社した会社で35年勤めて、2018年末で定年退職した。
 その間、いろんな部署を経験し、いろんな人間との交流があった。
 一緒に仕事をし、いろんな話もし、飲みにも行った。

 しかし、退職してみれば、そんな人間との交流は、ほんの一部を除き、ほとんど皆無だ。
 先方からアプローチもないし、こちらから連絡することもない。

 考えてみれば、彼らのプライベートはほとんど知らない。
 会社を介しての、仕事だけでの付き合いだったということだ。

 退職に限らず、それ以前に、部署が変われば、自然と疎遠になっていった。
 去る者日々に疎し、というやつだろう。

 いわゆる友達付き合いというのは、在職期間が長いサラリーマン時代の付き合いより、学生時代のそれのほうが長く続いている。
 それは、なぜだろう。
 私だけなのだろうか。

 考えられるのは、生活環境の違いかもしれない。
 学生時代、特に大学時代は、青春真っ只中の多感な時期で、親の庇護の下から離れて、独り暮らしを始め、なんの束縛やしがらみもなく、付き合いも損得抜きの純粋なものだった。

 サラリーマン時代になると、家庭を持ち、経済的な責任が発生し、会社や仕事という、ある意味、束縛があり、付き合いもうわべだけのものになったのかもしれない。
 会社や家庭というものが、付き合いの障壁になっていたのは否めないだろう。

 そんな中で、在職中に友と呼べる付き合いを得た人間も、少なからずいることだろう。
 その貴重な付き合いは、残り少ない人生において、大事にされんことを願う。
 

狙いは読後感。読めばわかる、あるいは読んでもわからないかもしれないが、なんとなく心の片隅に残る奇妙な違和感。ありきたりで普通を装った妙な安心感。 そんな小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする