昔は日本の歌の歌詞は1音1文字だったが、今や1音に何文字ものせる字あまり歌詞が主流だ。
元を辿れば1970年代の吉田拓郎に行き着く。
当時としては、それまでの歌のイメージをガラリと変える画期的な手法だった。
もちろん、それは一時の流行りで、主流になるとは思わなかったが、その考えは違っていた。
一時、ユーミンに代表されるニューミュージックが、その流れを元に戻すかに見えたが、サザンで再び字あまりソングは定着した。
現在のJポップはほとんどが字あまりソングのオンパレードだ。
今日びの若者はそれを苦もなく歌いこなすが、前期高齢者には至難の業だ。
歌詞カードやテロップがないと歌詞が把握できない。
我々、高齢者が昔懐かしの昭和歌謡や演歌に惹かれるのも、それが理由のひとつかもしれない。
歌はメロディも重要だが、歌詞あってこその歌なのだ。
歌詞に込められた思いは、字あまりソングではなかなか伝わりにくいものだ。
英語と違い、日本語の文章は、肯定、否定を最後に持ってくるので、字あまりの歌詞を最後まで聴かないと、意味が通じない。
1音1文字の昭和歌謡や演歌は、シンプルな歌詞で容易に最後を想像できる。
その多くを語らないシンプルさの中に、思いの丈を込める技を、昔の作詞家は持っていたのだ。
元を辿れば1970年代の吉田拓郎に行き着く。
当時としては、それまでの歌のイメージをガラリと変える画期的な手法だった。
もちろん、それは一時の流行りで、主流になるとは思わなかったが、その考えは違っていた。
一時、ユーミンに代表されるニューミュージックが、その流れを元に戻すかに見えたが、サザンで再び字あまりソングは定着した。
現在のJポップはほとんどが字あまりソングのオンパレードだ。
今日びの若者はそれを苦もなく歌いこなすが、前期高齢者には至難の業だ。
歌詞カードやテロップがないと歌詞が把握できない。
我々、高齢者が昔懐かしの昭和歌謡や演歌に惹かれるのも、それが理由のひとつかもしれない。
歌はメロディも重要だが、歌詞あってこその歌なのだ。
歌詞に込められた思いは、字あまりソングではなかなか伝わりにくいものだ。
英語と違い、日本語の文章は、肯定、否定を最後に持ってくるので、字あまりの歌詞を最後まで聴かないと、意味が通じない。
1音1文字の昭和歌謡や演歌は、シンプルな歌詞で容易に最後を想像できる。
その多くを語らないシンプルさの中に、思いの丈を込める技を、昔の作詞家は持っていたのだ。
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