いろんな情報
本当に様々な情報が飛びかう時代になりました。
WEBが発達して、誰でも気軽に発信できるようになってきたせいもあるんだろうけれど。なにより私自身が、WEBでもそれ以外でもいろんなことに対するアンテナが育ってきて、いろんなことを調べてしまうこともあるんだけれども。いろんなことを知るようになってきて。もちろん悪いことではないんだけれども。
歴史的背景、様々な利権などが絡み付いている情報操作や、誰かが儲かるための不思議な決まりの数々。
いろんなことを学びながら、でも信じすぎずに。静かに自分のできることを探さなければと思い…。
自らが受けてきた教育それ自体、正しいとされている常識的なあたりまえ。そういうものが、何かの歴史的背景や意図を持って作られているかもしれないことを考えること。それってなかなか難しい。
でもね。
事実、我が家のように医師と様々な場面で向き合い議論したことがあると気づいてしまう。医師も立場や感情で動く人間だなぁと言うことに。
「医師の診断や治療方針はあたりまえ」と思っていた昔の私からすると、ショックだった。
子供を育てていくにあたり、いろんなことを一つ一つ、真剣に考える。情報を持ちつつも、周りの皆と違うことをするという決断はしなかったものもある。考えた挙句、最善を尽くしたもの。思い切ってやめたものもある。
一つ一つが親としての判断になるんだろう。親としての責任になるんだろう。
我が子のために、何ができるか。
今の混沌とした世の中において、どうしたら我が子達がいろんな意味でバランスよく生きていけるか。よく考える。
いろんなことを自分で調べ、考える力。いろんな嘘やごまかし、詐欺や罠を見極める力。時には思い切って、誰かを信じて見ながらも、盲信せずにマイペースを保つ力。
そうした力をもたせようと思うと、何か必要か。そう考えてしまう。
私なりの答えは。自己受容なんだろうな。
自分を根っこのところで信じる気持ち。
それがやはり、一番の基礎のような気がしていて、もちろんそれだけではないんだけれども。
我が子が自己受容できるように考えながら子育てをするというのは、簡単そうに見えて結構気を使うなと思っていて。
ともすると、我が子相手ゆえに間違えてしまう。情が勝ってしまう。だから、我が子はいろんな人に影響を受けられる環境に置いておきたい。
そうした中で、今がある。
ふと改めて振り返る。
今、私は大丈夫だろうか。
そんなことをふと、夜更けに一人考える。
結論など出ないけれど。
自分自身も未熟なのに、人に教え育てなければならない子育ては修行にも似た。
何かのたびに、「これでいいのかな?」と自問自答してしまう。
そのおかげさまで、私は昔よりしっかりしてきたのかもしれないな。
情報の選択の難しさと見る目を養う難しさ。
痛感します。