Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

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子育て四訓

2015-07-05 00:36:29 | お気に入りの歌・詩
子育て四訓
一、乳児はしっかり肌を離すな
一、幼児は肌を離せ手を離すな
一、少年は手を離せ目を離すな
一、青年は目を離せ心を離すな

子育てをしていると、いろんなことを考える。あまりにもいろんな育児書があり、いろんなことをいうひとがいて…。
ふっとわからなくなる瞬間がある、

そんな時
思い出す言葉達。子育て四訓。

子どもの成長段階に比例して、少しずつ距離を離してゆく。
そんな親としてのスタンス、あるべき姿を分かりやすく教えてくれる訓示。

この「子育て四訓」は、山口県下に住むとある教育者の方(氏名は不明だそう)が、長年の教育経験を踏まえて「日本時事評論」にまとめたものだそう。

短いけれどわかりやすくて深い。
言うは易し行うは難しだなぁとも思う。
今の娘は、「手を離し目を離してはいけない」段階なのだと改めて自分に問い直す。

お姉ちゃんに対して、余計に手を出し過ぎていないか。口を出し過ぎていないか。しっかり見守れているか。
妹さんに対して、きちんと手をつなげているか、肌を離せているか。
考えるきっかけをくれる。
そんな言葉達。
忘れないようにしたい。

誰かが書いていたけれど、この教訓を逆にしてみるとわかりやすい悪い例になるんだそうだ。そうした見方もしていかなければ。
自らが、いつのまにかそうなっていないか気をつけなければね。



以下、日本時事評論よりの抜粋です。


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■「乳児はしっかり肌を離すな」

胎児期には、文字通り母子はヘソの緒で繋がり、羊水の中で守られている。
それが、出生によって赤ちゃんは外界にさらされ、不安になる。
その心の安定を保つためにも、しっかりと肌と肌を触れ合わせることが大切だ。
サルの子育てで言えば「抱いてちょうだい」の時期である。

とりわけ、人間は、他のほ乳類と違って、生まれて一年間はほとんど受け身の状態である。
二足歩行ができるまでは、〝母親の胸は子宮の延長〟であり、しっかりと抱かれることによって、赤ちゃんは「守られている」「かわいがられている」と無意識のうちに感じ信頼し安心するのである。

それが、愛情や信頼、情緒的安定、他人を思いやる心など、人間形成の基盤になる。
であればこそ、乳児期の親子の接触は、社会的にも支援・応援していく必要がある。
とりわけ、母乳育児の奨励支援は、親子のよりよき関係づくりには極めて重要と言える。

■「幼児は肌を離せ手を離すな」

幼児は乳離れをするが、一気に離すのではなく、常に親がそばにいることで、「心配しなくても良いよ」という安心感を与えることが大切だ。
サルの子育てで言えば「下ろしてちょうだい」の時期だ。
ちょっと周囲への関心やいろんなものに目が向いていき、自立させるための第一段階だ。
自立に目覚める幼児期は、完全な保護から社会に向いて一歩踏み出す時期といえる。

最近では、「子供の自立」と称して、実際には、親が子育てを放棄する口実に使われていることが多い。
子供を施設に預けっぱなしにするなど、自分で産んだ子供との絆を切りたがる傾向さえ見受けられる。
あるテレビのインタビューで、「子供へ愛着がわかない内に預けた方が良い」と零歳児保育に預ける理由を語っていた母親がいたが何をか言わんやである。

昨今、子育ては苦痛なもの、苦しみを伴うものという感覚を植え付けすぎ、安易に生きることが奨励されすぎてはいないだろうか。
本当の生きる喜びとは、親子の絆を大切にし、温かい家庭をつくり、その延長として健全な社会を形成していく、そうした家庭の社会的な意義についても力説すべきである。

■「少年は手を離せ目を離すな」

少年は、友達との付き合いによって社会性が育つ時なので、ここではしっかり手を離して、活動範囲を広げてやらないといけない。
ただし、いろんな危険があるので、目を離してはいけない。
猿の子育てでいえば「一人にしてちょうだい」という時期であり、親猿はこの時期、遠くから小猿を見守り、子供が何かで声を上げるとすっ飛んでいく。
人間も、学ぶところが多いのではないだろうか。

この時期、子供が親に反抗したり、非行や問題行動に走ったり、いろんなことで苦しい思いをするかもしれない。
しかし、それは成長の過程である。
親として逃げずに、子供に向き合って、共に成長することを心掛けるべきだ。
子供の荒れの背景には、親や友人に「こちらを向いて欲しい」というメッセージであることが多いのである。

■「青年は目を離せ心を離すな」

青年期にまでなると、完全に自立していくために、自分なりの生き甲斐、進路を歩んでいく時であるが、気持ちの上では、心を離してはいけないということである。
いずれにしても、子育ての最終的な責任は親にあるという基本を忘れてはならないのである。

  ◇  ◇  ◇

「大人も子供も同等だ」「子供の人権を尊重すべき」といった主張があるが、本来、大人と子供は異質なものである。
子供が自覚しないままとっている行動の意味を、親が理解して対処しなければならないという場面は、子育て中には多々あるものである。
それを「平等だ」と突き放してしまったところに、子供たちが荒れたり切れたりする要因があるように思えてならない。

もちろん子育ては「四訓」の言葉だけで、言い尽くせるものではない。
しかし、自分の子育てを振り返る、あるいは自信を持つヒントにしてほしい。

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日本時事評論 第1609号(H18.6.2)より転載しました


コメント
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