Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

カリブの白い薔薇

2014年11月25日 23時01分15秒 | 洋画2005年

 ◇カリブの白い薔薇(2005年 スペイン、キューバ 94分)

 原題 Una Rosa de Francia

 staff 監督/マヌエル・グティエレス・アラゴン 原案/ホセ・マヌエル・ピエト 脚本/マヌエル・グティエレス・アラゴン、セネル・パス 撮影/アルフレッド・マヨ 音楽/シャビ・カペラス

 cast アナ・デ・アルマス アレックス・ゴンサレス ホルヘ・ペルゴリア ブロセリアンダ・エルナンデス ロクサーナ・モンテネグロ ヨライシ・ゴメス

 

 ◇20世紀の半ば、キューバ

 時代は、実をいうとはっきりしない。

 たぶん、どうでもいいのかもしれないんだけど、とにかく、密輸船に乗り込んでる連中がアメリカの巡視船に向かって「ヤンキーは朝鮮から出ていきやがれ!」というんだから、おそらく、朝鮮戦争の真っただ中なんじゃないかって気がするんだけど、どうもカリブ海の雰囲気を観てると、もう少しばかり前の時代なんじゃないかって。まあ、そういうくらい呑気な風情をかもしてて、時代考証ものんびりしたもんじゃないのかな~て感じの映画なんだけど、いかにもラテン系な感じでいいじゃんね。

 で、カリブ海といえば、中南米からアメリカへ密入国したいと望んでる連中がわんさかいるわけで、この物語の主人公である新米船員もやっぱりそんな望みを抱えてる。けど、アメリカの巡視船がそんなことは許してはくれないし、密入国者を乗せた船はかたっぱしから砲撃される。そんな中、この新米が船長を助けることで物語は展開する。船長は助けてくれたお礼にと娼婦の館へ連れていってくれるわけだ。この娼館は船長も経営に絡んでるらしく、マダムとは好い仲だったりもする。そこで、新米は16歳の美女とアナ・デ・アルマスと出会うわけだね。

 カリブの青い海に、銃撃と流血、そして娼館とくれば、もはや待っているのは恋と逃避行しかない。

 アナ・デ・アルマスは船長も大切にしていて、高く売れるんだから誰も処女を犯したら許さないとかいってるんだけど、ほんとは自分がかなり入れ込んでるわけで、そんなアナと恋仲になった新米を許しておけるはずもない。新米が船の中にアナを隠して出航し、アメリカ領の島へ向かったことを知ったらもうふたりを殺すしかないってことで、無人島での銃撃戦が展開し、ほんのちょっとだけ迫真性が漂ったかとおもえば、すぐにふたりの逃避行が成功するっていう簡単さはさすがラテン映画としかいいようがない。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 ひたすら、アナ・デ・アルマスの官能的な可愛らしさを愛でられればそれでいいんだとおもわれ。

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プルートで朝食を

2014年10月14日 02時59分02秒 | 洋画2005年

 ☆プルートで朝食を(2005年 イギリス 127分)

 原題 Breakfast On Pluto

 staff 原作/パトリック・マッケーブ『Breakfast On Pluto』

    監督/ニール・ジョーダン 脚本/ニール・ジョーダン、パトリック・マッケーブ

    製作/アラン・モロニー、ニール・ジョーダン、スティーヴン・ウーリー

    撮影/デクラン・クイン 美術/トム・コンロイ

    衣装デザイナー/エミア・ニ・ヴォールドニー ヘアドレッサー/ロレイン・グリン

    メイクアップ/リン・ジョンストン オリジナル・ピアノ曲/アンナ・ジョーダン

 cast キリアン・マーフィー リーアム・ニーソン スティーヴン・レイ エヴァ・バーシッスル

 

 ☆1960年代後半、アイルランド南部タイリーリン

 プルートは、ローマ神話に出てくる冥府の王のことだけど、

 ここでいうプルートは冥王星のことでもあるんだよね、たぶん。

 ま、冥府にしろ、冥王星にしろ、

 そこで朝食をとるってのは、つまり、凍りついてしまったところで暮らすってことで、

 凍りついてしまったところっていうのは、寒々しい心の暮らしの中でってことだ。

 凍りついた寒い心というのは、キリアン・マーフィー演じるキトゥンの出自による。

 そもそも神父のリーアム・ニーソンが家政婦を孕ませて産ませただけでなく、

 さらに教会の前に捨てられていたのをニーソン直々に里親に出されたんだから、

 性格がぎこちなくなるのはなんとなく納得もいこうってものだ。

 要するに母親から捨てられ、さらに父親からも捨てられたんだから。

 結局、性同一性障害が高じて女装趣味に走っていき、

 どういうわけか北アイルランド闘争にまで巻き込まれていったりしながら、

 母親探しの旅を続けていくわけなんだけど、

 かれらを見下ろす小鳥の会話で始まりそして終わるという、

 ある種の寓話に近い感じになってる。

 その寓話の舞台が、冥王星あるいは冥府という寒々しい心にあるんだね。

 ところで、冥王星っていうのは、もともとぼくたちは惑星として習った。

 水金地火木土天海冥ってのは、日本人ならたいがい知ってる。

 ところが、2006年夏、

 冥王星は太陽系第9惑星の地位から準惑星に格下げされちゃった。

 さらに、

 冥王星の最大の衛星カロンがあまりにもでかすぎて、

 二重惑星ともいわれるようになっちゃった。

 もう踏んだり蹴ったりの冥王星で、

 これって、

 男と女で成り立ってる世界から弾き出されそうになってるキトゥンそのものじゃないか。

 映画ができてから正式に格下げされたんだけど、

 もともと太陽系惑星にしては小さく、はたして惑星かっていう論争はあった。

 それが、

 2003年に冥王星よりも大きな2003 UB313っていう太陽系外縁天体が発見されたことで、

 ほぼ決定的に惑星ではないっていう終止符を打たれたも同然になっちゃった。

 なんだかね、そういう時代につけられた題名なんだよね。

 プルートってかわいそうだわ。

 でも、そんな星の下に生まれながらも、

 キリアン・マーフィー演じるキトゥンは、

 リーアム・ニーソンのことも許しちゃったりするし、したたかに強く生きていく。

 いや、設定されてた心は寒いけど、観客の心は温まる作品だったかなと。

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リターン・トゥー・マイ・ラヴ

2014年10月10日 19時08分49秒 | 洋画2005年

 ◇リターン・トゥー・マイ・ラヴ(2005年 アメリカ 91分)

 原題 Lonesome Jim

 staff 監督/スティーヴ・ブシェミ 脚本/ジェームズ・C・ストラウス

    撮影/フィル・パーメット 美術/チャック・ヴォールター

    衣装デザイン/ヴィクトリア・ファレル 音楽/エヴァン・ルーリー

 cast ケイシー・アフレック リヴ・タイラー ケヴィン・コリガン メアリー・ケイ・プレイス

 

 ◇インディアナ州クロムウェル

 脚本を書いたジェームズ・C・ストラウスの回想記だそうな。

 だからすべて自分の生まれ育ったところが舞台で、

 実家も工場もそのままだっていうんだから、

 もはや、大学生の自主制作映画に近い。

 けど、これがおもったよりも上手に出来てて、

 少数のスタッフとデジタルカメラを抱えて撮ったとはおもえないような出来栄えだ。

 スティーヴ・ブシェミって人は、俳優も監督も製作もこなす才人で、

 人生の夢が破れて故郷に戻ったものの定職にもつかずにぶらぶらして、

 偶然にひっかけたバツイチ看護婦をホテルに誘ったものの、

 三こすり半であっけなくイッちゃうような情けなさを絵に描いたようなダメ男が、

 ほんのちょっとだけ生きてゆくことに希望を見出すっていういじましいを映画を、

 よくもまあ、こんなに愛情こめて描けるもんだっていうくらい、上手だ。

 ただまあ、似たような境遇の兄貴に対して、 

「俺だったら自殺しているね」

 といって自殺未遂させちゃうのが看護婦との再会につながるなんていう展開は、

 なかなか考えないし、考えたところでまじかよともおもうんだけど、

 人生ってやつは、ときおり、こういうおもいがけない展開が待ってるもんだ。

 そこんところが、

 スティーヴ・ブシェミとジェームズ・C・ストラウスにはよくわかってるらしい。

 けど、猫っ可愛がりに甘やかす母親に育てられた息子なんてもんは、

 所詮、こんなもんで、甘っちょろくて、弱くて、情けなくて、だらしなくて、くだらない。

 ぼくがそうだから、よくわかる。

 こんな野郎は、ちょっとばかしやる気になっても、結局、またくじける。

 けど、そういう人生もままあるもんで、それでも人間は生きていかないといけない。

 看護婦がリヴ・タイラーなんてのは出来すぎ中の出来すぎで、

 こんなことはありえないんだけど、そこは映画だから許そう。

 ただ、そういう負け犬野郎のほんのちょっとした幸せへの行動は、なんだったんだろう?

 ケイシー・アフレックはくそぼろの脱水症状で実家へ逃げ帰ってきて、

 いったんは、リヴ・タイラー母子にも別れを告げ、母親へも置き手紙し、

 ニューオーリンズで頑張ろうとバスに乗り込むものの、

 結局は情にほだされてバスを降り、リヴ・タイラーの助手席に乗り込んじゃうんだけど、

 これは、

「逃げ出そうとした故郷で、やっぱり、リヴ・タイラーを幸せにしようと決めたんだ」

 とかいうことと受け取っていいんだろうか?

「リヴ・タイラーのヒモになっちゃうかもしれないけど、それでもいっか」

 なんて考えがこののちよぎってこないといいきれるんだろうか?

 ダメなやつってのは、そんな不安があるんだよね。

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カポーティ

2014年07月09日 18時36分06秒 | 洋画2005年

 ◎カポーティ(2005年 アメリカ 114分)

 原題 Capote

 staff 原作/ジェラルド・クラーク『Capote』

     監督/ベネット・ミラー 脚本/ダン・ファターマン

     製作総指揮/ダン・ファターマン、フィリップ・シーモア・ホフマン、

              ケリー・ロック、ダニー・ロセット

     撮影/アダム・キンメル 美術/ジェス・ゴンコール

     衣装/カシア・ワリッカ=メイモン 音楽/マイケル・ダナ

 cast フィリップ・シーモア・ホフマン キャサリン・キーナー クリフトン・コリンズ・ジュニア

 

 ◎1965年『冷血』発表

 都会的な文化人なんだろうけれども、

 なんともいけすかない野郎を印象させる見事な演技だ。

 とおもってたら、フィリップ・シーモア・ホフマン、製作総指揮も兼ねてるのね。

 カポーティが世の中に認められたのは、1959年、

『ティファニーで朝食』を発表したときだった。

 で、作家としての地位を固めようと選んだのが、

 カンザス州の田舎町で農家の一家4人が惨殺された事件だ。

 ザ・ニューヨーカー誌に連載予定で事件の調査に入り、

 やがて犯人2人が逮捕され、死刑宣告を受けるんだけど、

 この内のペリー・スミス(クリフトン・コリンズJr.)に接触したことが、

 カポーティの失敗といえば失敗だったんだろう。

 犯人との交流が深くなればなるほど、

 事件の全容を白日のもとに晒すことに良心の呵責を感じるようになり、

 やがて、それでも連載を進めて書籍にしてしまったことから、

 ふたりの友情は粉微塵になる。

 こうした過程を丹念に描いているのが、この映画だ。

 フィリップ・シーモア・ホフマンは、

 そういうカポーティ自身をしっかりと取材し、

 まるでカポーティがそこにいるかのように演技してる。

 いや、まじ、見事だった。

 重苦しい映画ではあったけどね。

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プライドと偏見

2014年05月29日 22時48分08秒 | 洋画2005年

 ◇プライドと偏見(Pride & Prejudice 2005年 イギリス)

 18世紀のイギリスにかぎらず、

 多かれ少なかれ、女性が嫁ぎ先を漠然と夢見るとき、

 玉の輿に乗りたいとおもうのは、世の常なんじゃないか?

 ぼくが女の子だったら、もちろん、そうおもう。

 好きだったら貧乏だっていいじゃんか~といえるのは若いときだけで、

 年食って、人生いろいろと辛いことを味わったりして、

 ああ、貧乏は嫌や~とかおもったりすると、

 地位と名誉と財産と才能に恵まれてる人間を、

 ものすごく羨ましくおもったりするもんだ。

 でも、人間ってやつはほんとにめんどくさい生き物で、

 自尊心が高く、つまり高慢だったり、

 ついつい他人を色眼鏡で見、つまり偏見を持ったりして、

 人間関係がぎくしゃくしちゃったりする。

 そういうのは良くないよっていってるのがこの映画だ。

 ただ、

 地位だの名誉だの財産だのといったつまらんものは置いといて、

 物事にしても人間にしても素直に見ようよっていわれてるんだけど、

 そのあたりはちょっぴり理想主義的な匂いもしないではない。

 だって、

 肩書とか資産とかとは別に、

 キーラ・ナイトレイもマシュー・マクディファンも、

 もうひとつ、なかなか手に入れられないものを持ってるんだもん。

 綺麗だとか、恰好いいとかいう、外見だ。

 ま、要するに、

 美男と美女だから成り立つ世界っていう側面を持ちながら、

 素直に恋愛すれば、いつかかならず幸せになれるものさっていわれてるような、

 家柄も地位も肩書も名誉も資産も財力も、

 ちょっとばかし遠いところにあるぼくは、

 それでも蚤のようなプライドを持ちながら、

 そんなふうに偏見の眼差しで、この作品を見ちゃうんだよね。

 だから、最初にも書いたように、

 玉の輿っていいよな~とか、

 恵まれてる人間だったらよかったな~とか、

 ついついおもったりしちゃうんだ。

 でもさ、

 ときどき、そんな自分を反省しつつ、こうもおもったりする。

 自慢ばかりする高慢な人っていない?

 こんなものを食べた、こんなものを買った、こんなところに行ったとかって、

 そんなの聞きたくないし、

 あんたのほんとのところを話してくれればいいんだよっていいたくなるし、

 それって、今の自分がどれだけ心が淋しいのかの裏返しでしょ?

 とかともいいたくなっちゃう。

 プライドも偏見もいかにさもしいものかが、

 この21世紀の日本でもわかるよね、いやまじで。

 いやほんと、

 ぼくも含めて、人間ってやつは、高慢と偏見と理想の狭間を、

 行ったり来たりする生き物なんだよ。

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デス・パズル

2014年04月14日 13時57分37秒 | 洋画2005年

 ◇デス・パズル(Class of '76 2005年 イギリス 140分)

 擦られ過ぎた観のある解離性同一性障害。

 でも、そこにいたる前半部分は、

 なんとも味のあるゆらゆらとしたゆるやかな恐怖がたゆたってて、

 嫌いじゃない。

 29年前の小学校のとあるクラスに、32人の同級生がいた。

 ところが、そのクラスには33人目の同級生がいる。

 犯人はそいつだ。

 てなことになれば、もうそれだけでオチは見えちゃうんだけど、

 でも、この映画ではそれが大事なわけじゃなく、

 その事実の前後にあるもの悲しい絆とあらたな悲しみが主題だ。

 ハリウッドのケレン味たっぷりなものを期待したら、

 そりゃもう期待外れに終わっちゃうんだけど、

 イギリスのテレビ映画だってことを加味して観れば、

 なかなか上質な出来なんじゃないかって感じはした。

 物静かで決して前に出ることもなければ、

 対人関係もうまく行かないけれど、

 ひとつひとつの物事にちゃんと向き合い、

 それどころかのめり込んでしまい、

 他者の悲しみを自分の悲しみのように受け入れてしまう男、

 なんていう設定は、ロバート・カーライルにはもってこいなんだけど、

 どうしたところで地味になる。

 この地味さをこらえるか、あるいは味わえれば、

 作品を包み込んでる淡々とした心の戦慄が感じられるんじゃないかな。

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あなたになら言える秘密のこと

2013年12月19日 13時02分20秒 | 洋画2005年

 ☆あなたになら言える秘密のこと(2005年 スペイン 114分)

 原題 La Vida Secreta De Las Palabras

 英題 The Secret Life of Words

 staff 監督・脚本/イザベル・コイシェ 撮影/ジャン=クロード・ラリュー

     美術/ピエール=フランソワ・リンボッシュ 衣装デザイン/タチアナ・ヘルナンデス

     挿入歌/アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ『Hope There's Someone』

 cast サラ・ポーリー ティム・ロビンス ハヴィエル・カマラ エディ・マーサン

 

 ◎私はもう遠くにいて、多分戻ってこない

 ボスニア紛争にかぎらず、

 世界のどこのどんな戦争でも、それが終わって何年も経っていくと、

 どんどんその記憶は薄れ始め、やがてとっても遠いものになっちゃう。

 でも、戦争の直接間接を問わず、犠牲を強いられた身にとってみれば、

 死ぬまで忘れることのできない凄惨な記憶として残り続ける。

 民族浄化作戦が、そのひとつだ。

 人類の歴史上、民族浄化というのは、絶対に許しちゃいけないものだろう。

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナはその陰惨な歴史を背負ってしまった。

 映画の中で、その体験は「秘密」として語られる。

 たとえば、

 相手の兵士に銃をつきつけられ母親が、

 自分の娘の性器に銃口を挿入するよう強制され、

 さらに発砲しろと命ぜられる。

 これで孫の顔を見ることはできなくなるなという兵士の言葉は、

 人間が絶対に口にしてはいけないことだし、

 さらに片方の耳が暴力によって聞こえなくされてしまったヒロイン、

 サラ・ポーリー演じるところの元看護婦は、

 何十人にも兵士に日々繰り返しレイプされ続け、

 そのたびに胸をナイフで切られ、そこに塩を塗りつけられる暴行を受け続けた。

 この秘密をいえるまでになる過程が、映画の前半だ。

 サラ・ポーリーは、

 海底油田の掘削所における火事で被害を受けた職員の手当をし、

 その怪我人ティム・ロビンスとその同僚たちと一か月過ごすことで、

 徐々に心を開き、ティム・ロビンスだけに秘密を打ち明けるんだけど、

 ふたりの間に恋が生まれているから、余計に痛々しい。

 むろん、ティム・ロビンスは、

 陸に上がったあと、なにもいわずに去ってしまったサラ・ポーリーを見つけようとし、

 やがて彼女のもとまで辿りつくことにはなるんだけれど、

 その前に、

 ボスニア紛争で心に拭い切れない傷を負わされた女性たちのカウンセラーを訪ね、

 彼女たちの証言したテープをつきつけられる。

 つまりは、こういう意味だ。

「ここに、彼女がいる。このテープを見る勇気と責任が、あなたにあるか。

 彼女の心の傷は生涯消えない。その傷をともに背負っていけるのか」

 大変なことだ。

 一緒に暮らせば、その過去は現在の現実となって、ふたりに生涯ついてまわる。

 ティム・ロビンスの決断は、重い。

 映画の中で、少女のモノローグがある。

 それはおそらくボスニア時代の彼女にちがいない。

 悲劇を体験した少女の時はそこで止まり、

 看護婦であった自分、工場で働いていた自分、

 さらに油田掘削所に派遣された当初の自分は、みんな、少女だ。

 少女であった自分が、何年経っても自分のすぐ横にいて、囁き続けてきた。

 けれど、ティム・ロビンスとたぶん結婚して暮らすにようになったんだろう。

 だから、モノローグはこういうんだ。

「私はもう遠くにいて、多分戻ってこない」

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SAYURI

2013年07月02日 20時24分05秒 | 洋画2005年

 ◇SAYURI(2005年 アメリカ 146分)

 原題 Memoirs of a Geisha

 staff 原作/アーサー・ゴールデン『Memoirs of a Geisha』

     監督/ロブ・マーシャル 脚本/ロビン・スウィコード ダグ・ライト

     製作/ルーシー・フィッシャー ダグラス・ウィック スティーヴン・スピルバーグ

     撮影/ディオン・ビーブ 美術/ジョン・マイヤー

     衣裳デザイン/コリーン・エイトウッド 音楽/ジョン・ウィリアムス

 cast チャン・ツィイー ミシェル・ヨー コン・リー 渡辺謙 役所広司 桃井かおり

 

 ◇独立した物語と捉えたい

 小さい頃、うちにはたまに芸者さんが遊びに来てた。

 花柳界の人はやっぱり素人さんとは違ってて、

 それがたとえでっぷりと太った芸者さんだったりしても、

 所作や喋り方が小粋で、いうにいわれぬ迫力があった。

 祖母や母親から、

「あの人は、こんなふうに苦労もしてね」

 と聞かされたことがあったりして、

「へえ、そうなんだあ」

 と納得したりもしたけど、

 ぼくに声をかけて、笑い話とかしてるときは、まるで苦労してるようには見えず、

 おおきくなってから、あの人たちは気丈な人達だったんだなとおもったもんだ。

 でも、

 その明治や大正生まれの芸者さんたちは、もうみんな過去の人になっちゃった。

 で、この映画だ。

 個人的には、きわめて面白かった。

 ただ、原作がそれなりに物議をかもしたことがあって、

 それと、キャスティングについてもそれなりに物議がかもされたりして、

 なんといったらいいのか、神経質に見てしまいがちな作品ではあるんだけど、

 映像化された作品そのものは、

 日本という国が欧米に勘違いされて解釈されていた時代とはやや違って、

 ぼくは、納得した。

 もちろん、

 舞台はあくまでも戦前の京都だし、

 たしかに置屋や舞妓や芸者の世界を扱っているから、

 ほんとのところどうだったんだろうってことは、

 ぼくみたいなすっとこどっこいの知るはずのないところなんだけど、

 でも、映画という監督の芸術的な領域を尊重する銀幕世界においては、

 それなりのリアリティと、非常に美しい映像と、納得のゆく展開で構成されてた。

 リドリー・スコットが日本でロケーションした『ブラック・レイン』もそうだったけど、

「どうしてハリウッドが日本で撮影すると、こんなに凄い映像になるんだろう?」

 と、素朴におもった。

 上手な映画だったし、

 チャン・ツィイー、ミシェル・ヨー、コン・リーの三人は、

 日本人の役を彼女らなりにしっかりとこなしてた。

 美術も、音楽も、これまた然りだ。

 ただし、戦後の日本は、戦前の日本とかなり違っていて、

 ことに花街の状況は一変してしまっているはずで、

 当然、芸者さんや舞妓さんの立場もかなり変化しているわけだから、

 そういうところは、心して見ないといけないよね。

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フライトプラン

2013年05月17日 23時57分15秒 | 洋画2005年

 ◇フライトプラン(2005年 アメリカ 98分)

 原題  Flightplan

 staff 監督/ロベルト・シュヴェンケ 脚本/ピーター・A・ダウリング ビリー・レイ

     撮影/フロリアン・バルハウス 音楽/ジェームズ・ホーナー

     美術/ケヴィン・イシオカ セバスチャン・T・クラウィンケル

 cast ジョディ・フォスター ショーン・ビーン ピーター・サースガード エリカ・クリステンセン

 

 ◇手を変え品を変え

「バルカン超特急」は、当時、最新の移動手段だった。

 かつ動く密室として、コンパートメントは最適だった。

 これに対抗しうるものがあるとすれば、客船か旅客機しかない。

 ジョディ・フォスターがどうしてこの映画への出演を承諾したのかよくわからないけど、

 ただ、かなり昂ぶった演技になってることはまちがいない。

 夫の突然の死によって精神的にぼろぼろになっていたところへ、

 まちがいなく同乗したはずの6歳の娘が機内から忽然と姿を消し、

 まわりの乗客はおろか、客室乗務員も同乗していたことを否定し、

 娘の荷物、パスポートからチケットまでなにもかも消え失せ、

 さらには乗員名簿にも名前がないどころか、

 六日前に死亡したなどと告げられては、

 自分はもしかしたら気が狂ってしまったんじゃないかと怯え悶えるのもわかる。

 ジョディ・フォスターにしてみれば、ここが見せ所だとおもったんだろう。

 けど、子供がいきなり消え失せ、その存在までなかば否定され、

 さらに母親に対しては精神疾患の疑いまでかけられるという興味深い展開は、

 実をいえば、この作品が最初じゃない。 

 たしかに動いてゆく密室の中で人間が消え失せ、

 その知り合いを探し回るものが幻を観ているようにおもわれる展開は、

「バルカン超特急」だけど、そこに子供の影はない。

 別の作品なら、ある。

「バニー・レークは行方不明」という作品で、こちらは子供が消え失せる。

 しかも、主人公のキャロル・リンレイが、ブロンドの髪をひっつめにし、

 なんとも神経質そうに動き回るんだけど、

 これがまた「フライトプラン」のジョディ・フォスターとよく似ている。

 で、ほんとのところをいうと、

 この映画は「バルカン超特急」と「バニー・レークは行方不明」の、

 どちらも下敷きにして製作されたことになってるらしい。

「なるほど、だから動く密室の中で子供が消え失せるのか」

 って感じだけど、これ、大変だよね。

 企画が決まった時点であらすじができているのはいいけど、

 それは同時に、決して外れることが許されない大筋なわけで、

 この条件をクリアでき、

 しかも現代の動く密室、巨大旅客機を舞台にしなくちゃいけないなんて、

 まあ、さぞかし、脚本家も苦労させられただろう。

 この映画が、容疑者の置かれ方や身代金についての安易なやりとり、

 さらに同乗している他の乗客たちのあまりにも無関心な態度、

 くわえて客室乗務員たちの乗客に対する責任と配慮の無さなどについて、

 あれこれと批評が出てくるのは、そうした成立過程のせいかもしれないね。

 だから、前半こそ、

 ジョディ・フォスターの計算されつくしたような知的な演技に引っ張られるものの、

 後半は、徐々に辻褄合わせが見え隠れしてくるのは仕方のないことかも。

 ちなみに、

 破損した旅客機の修理費は、誰が払うんだろね?

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サハラ 死の砂漠を脱出せよ

2012年11月06日 01時15分01秒 | 洋画2005年

 ◇サハラ 死の砂漠を脱出せよ(2005年 アメリカ 124分)

 原題 Sahara

 監督 ブレック・アイズナー

 出演 マシュー・マコノヒー、スティーヴ・ザーン、ペネロペ・クルス

 

 ◇南北戦争末期、リッチモンド発

 莫大な金貨を積んだ南北戦争の甲鉄艦テキサスの行方を探るという歴史的な主題に、疫病を蔓延させるのは何者かという現実的な主題が並行しているため、それなりの人間関係と説明を要する分、面倒なことになってる。ただ、宝探しのアクション物に徹しても薄っぺらくなるし、現代の物語がなくなっちゃうもんね。だから、歴史の謎を追いかけていく物語はあんがい作りにくいんだよね。

 でもまあそれはそれとして、主人公の男コンビがやけに能天気すぎるのがちょっとばかし辟易するな。

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イーオン・フラックス

2009年06月02日 14時15分10秒 | 洋画2005年

 ◇イーオン・フラックス(2005年 アメリカ 93分)

 原題/Æon Flux

 監督/カリン・クサマ 音楽/グレーム・レヴェル

 出演/シャーリーズ・セロン アメリア・ワーナー ソフィー・オコネドー

 

 ◇シャーリーズ・セロンのためにある作品

 いやもちろん『モンスター』とかあるんだけど、やっぱり彼女はどこまでも美しくあってほしい。

 まあ、彼女の場合、なんとなく自分の美しさを仇におもってるような印象があったりして、その美貌を誇るような作品には出ないようにしているように見えたりもするんだけど、この作品だけは違うんだよね。どこまでも綺麗だ。

 ただまあ、原作はどうなってるのか知らないんだけど、2011年に致死性のウイルスが突如発生、人類の99%が死滅、ワクチンで生き残った500万人の地球の話で、妹が自然妊娠故に殺害されたり、主人公が君主&不妊研究者の妻で自然妊娠遺伝子を抱えていた事でDNA破壊を命ぜられながらもクローン化したために前世の記憶が蘇えちゃったから暗殺できないとかいった筋立てはなんとも解り辛い。

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バットマン ビギンズ

2009年01月12日 11時16分17秒 | 洋画2005年

 ◎バットマン ビギンズ(2005年 アメリカ 141分)

 原題/Batman Begins

 監督/クリストファー・ノーラン

 脚本/クリストファー・ノーラン デイヴィッド・S・ゴイヤー

 原案/デイヴィッド・S・ゴイヤー 撮影/ウォーリー・フィスター

 美術/ネイサン・クローリー 衣装デザイン/リンディ・へミング

 音楽/ハンス・ジマー ジェームズ・ニュートン・ハワード

 出演/マイケル・ケイン リーアム・ニーソン モーガン・フリーマン ゲイリー・オールドマン

 

 ◎ブルース・ウェインは、いかにしてバットマンとなったか

 5作目にしてようやく出来てきたか~って感じだけど、まあ、どんなものを撮っても、クリストファー・ノーランはクリストファー・ノーランだった。

 バットマンのフアンのひとりとしては、かれの出自と蝙蝠の仮面を被るまでの軌跡を知りたいとおもうのは、いわば当然のことなんだけど、同時にそれをしてしまうと、監督にとっての物語として存在してしまうことになることは、ほぼ、まちがいない。

 もちろん、この物語の元になっているのは、アメリカン・コミックの『バットマン・イヤーワン』なんだそうだけど、でも、クリストファー・ノーランの脳髄に描かれたものであることはまちがいない。

 それが定着してしまうのは功罪なかばするような気もするんだけど、とはいえ、おもしろかった。

 クリストファー・ノーランの趣味というか、常に変わらないモチーフというか、縦の構図はここでもちゃんと活かされてて、この縦穴はいわば人生のどん底に落とされた者にしかわからない、どうしようもない絶望感がひしひしと漂ってる。

 そこから這い上がろうとするクリスチャン・ベイルを、叱咤するケイティ・ホームズとの対比もまたいいしね。

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宇宙戦争

2007年03月09日 02時15分13秒 | 洋画2005年

 ◇宇宙戦争(2005年 アメリカ 114分)

 原題/War of the Worlds

 監督/スティーヴン・スピルバーグ 音楽/ジョン・ウィリアムス ナレーション/モーガン・フリーマン

 出演/トム・クルーズ ダコタ・ファニング ミランダ・オットー リサ・アン・ウォルター

 

 ◇H・G・ウェルズ『宇宙戦争』

 旧作とどっこいどっこいかとおもってたんだけど、やっぱり、特殊効果の凄さは差がありすぎではある。

 ちなみに、トライポッドの咆哮は『未知との遭遇』の宇宙船の出す音声なんだね。お、こういう使い回しはなんか意味があるのかな?ともおもっちゃうんだけど、考え過ぎかしら。

 ただまあ、映像の物凄さがないと、こいつはまいったな~という筋立てなのは、原作をいじらなかったんだろうから仕方のないことなんだけど、せっかく「大阪では何体か倒しているらしい」っていう魅力的な台詞があるんだから、ぜひとも、日本を舞台にした『宇宙戦争』を作るべきだったとおもうんだな。

 そしたら、原作とはまるで違う内容をおりこむこともできたんじゃないのかしら?

 主題になってるのは、ちょっとばかり心の離れてしまった家族が、とんでもない危機をそれぞれが通過することによって、お互いの大切さを再認識するっていうものなんだから、なにもアメリカが舞台じゃなくても、充分、日本でも通用するよね。

 だからさ、大阪でトライポッドを倒そうよ!

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Mr. & Mrs.スミス

2007年01月20日 12時39分24秒 | 洋画2005年

 △Mr. & Mrs.スミス(2005年 アメリカ 120分)

 原題/Mr. & Mrs.Smith

 監督/ダグ・リーマン 音楽/ジョン・パウエル

 出演/ブラッド・ピット アンジェリーナ・ジョリー ケリー・ワシントン アダム・ブロディ

 

 △ふたりの記念映画?

 どうやら、この映画がきっかけになって、ブラッド・ピットは奥さんのジェニファー・アニストンと別れ、アンジェリーナ・ジョリーと結婚したらしい。

 てことは、ど派手なカーチェイスも銃撃戦も、ふたりの結婚予定披露宴みたいなもので、それが地球的規模になって、みんなでお祝い鑑賞したって感じなのかしら?

 にしても、ありきたりな筋立てとありきたりでない主演の二人の他には、主要な脇役をまったくといっていいほど必要としない設定には、若干、疲れちゃったような気がするんだけど、ぼくだけだろうか?

 緊迫感よりもユーモア感とおしゃれ感に包まれた微笑ましいアクションと、なんだかダンスを踊ってるような感じの軽やかな銃撃戦は、ちょいと照れる。

 けどまあ、ハリウッドのスターも辛いところで、やっぱり人気商売だから、こういう感じの映画に出て、とにかくカッコよく、オシャレで、オモシロオカシイことをしてないと、ファンは喜んでくれないのかもしれないね。

 ふたりがシリアスなものに出たがるのは、なんとなくわかるわ。

 そんなことを考えながら観てると、ふたりの婚前披露宴とはおもいながらも、ちょっぴり痛々しかったりするんだよね。

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