◇レイニーデイ・イン・ニューヨーク(A Rainy Day in New York)
中身と関係のないミートゥ・スキャンダルで、アメリカでは上映中止になったとかいう、妙ないわくつきの作品になっちゃったね。そんなことも関係してるのかどうか、ウディ・アレンにしては評価が低い。まあ、実際のところ、あんまりおもしろくなかったかも。
結局、カルトな映画監督、プロデューサー、人気俳優の3人からいっぺんに言い寄られるエル・ファニングとティモシー・シャラメの恋のなりゆきの物語なんだけど、出だしのやりとりは軽妙だ。でも、エル・ファニングの超ミニがやけに目につく。こういうところが、ウディ・アレンの余計なことまで連想させちゃうのかなあ。くわえて、エル・ファニングは記者志望の大学生なんだけど、男に言い寄られると子宮が身もだえし始めるとかで、
「性的に葛藤するときは連続しゃっくりよ」
っていう台詞が伏線になって、そのとおりの展開になる。ひゃっく!
で、この台詞に対して、
「ほくはどもる」
やけにかっこつけたリーヴ・シュレイバーが、インタビューのときにいうんだな。
「監督を降りたい」
「率直な意見をいわせてもらうと、一般受けしないわ。独創的すぎるの。売るための譲歩を一切しなかった。自由な魂の芸術家なのよ。ゴッホやロコスやヴァージニア・ウルフと同じ。全員、自殺してるけど」
洒脱な返しだね。
ティモシー・シャラメの娼婦ケリー・ロールバッハとするホテルのバーの会話も好い。
「時は過ぎるわ」
「エコノミー・クラスでね」
「どういう意味?」
「快適な旅路じゃない」
洒落れてるとおもうんだけど、そうでもないのかな。
でも、お母さんに反抗してたのが、お母さんがもともと娼婦でお父さんの部屋をノックして買われたことが交際のはじまりだったってことを知るにおよんで、そういう母親の生き方に共鳴しちゃうっていう感覚って、どうよ?
批評家はあんがい正しいのかもしれん。