◇胸騒ぎのシチリア(A Bigger Splash)
ルカ・グァダニーノがティルダ・スウィントンを起用して映画を撮りたいっていう気持ちだけは伝わってくるんだけど、目頭と瞼の線と目尻を結んだだけのアイラインはいくらなんでもどうかとおもうぞ。それにしても、声帯を傷めたからその治療にバカンスに来てるってのはどうよ、声出しちゃうだろうに。入院してろっておもわないかな。
◇胸騒ぎのシチリア(A Bigger Splash)
ルカ・グァダニーノがティルダ・スウィントンを起用して映画を撮りたいっていう気持ちだけは伝わってくるんだけど、目頭と瞼の線と目尻を結んだだけのアイラインはいくらなんでもどうかとおもうぞ。それにしても、声帯を傷めたからその治療にバカンスに来てるってのはどうよ、声出しちゃうだろうに。入院してろっておもわないかな。
☆ある天文学者の恋文(Correspondence)
なんてまあ、男ってのは身勝手なんだろうね。いや、自己陶酔っていうか、とにかく、ジョゼッペ・トルナトーレって監督は、どうも映画は夢想なんだっておもってる感じがある。わかるんだけどさ。でも、天文学者がいて、それもジェレミー・アイアンズなんていうふしだらさを絵に描いた中年の星なんだから、死んだってまだまだ不倫は続けるっていう鞏固な意志の持ち主で、案の定、教え子に手を出してもう身も心も蕩かしちゃってる。それがオルガ・キュリレンコなんだから、こりゃもう世界中の男を敵に回したようなもんだ。で、死んでもなお、オルガ・キュリレンコはジェレミー・アイアンズの影だけを求めて、エンニオ・モリコーネのチョー甘ったるい音楽をまとわりつかせながら、湖畔の別荘に誘われていっちゃうって物語だ。もちろん、うまい。公園で甘えてくる犬にも、窓に貼り付く枯れ葉にも、列車の窓に寄ってくる鷹にも演技させてる。めっぽう、うまいさ。それに、いや、わかる。わかるよ。自分が死んだら星になって、それも超新星になって、大爆発したその光は星が無くなっちゃっても地球に注ぎ続けるんだよ、ほら、君のことをおもってる僕みたいだろ?っていう物語で、ジョゼッペ・トルナトーレはもうこの自己陶酔に嵌まり切って、背徳大好きの女の子だったらきっといつまでも自分のことだけをおもって思い出と涙の中で生涯をおくってくれるんだろうって、そういう期待と確信にあふれてこの映画を撮ったんだろうけど、いやいやいや、現実はもっと渇いてるんだよ。
◎ヒトラー暗殺、13分の誤算(Elser)
クリスティアン・フリーデルはおもいつめた家具職人の役がよく似合ってる。こういう純朴ながらも切羽詰まった連中がヒトラーの暗殺に手をつっこみ、そういう悲劇が何十回も繰り返されたんだろうけど、その中でもこの実話がとりあげられたのは、ぎりぎりのところまで成功していたのに天候が霧というだけで失敗に終わってしまったことと、クリスティアン・フリーデル演じるゲオルク・エルザーがダッハウ強制収容所で終戦直前まで生きていたってことみたいだけど、なるほど。
ちなみに恋に落ちる人妻カタリーナ・シュトラーは薄幸そうながらも知的っていう印象でよろしい。
◎ヒトラーの忘れもの(Under sandet)
物語は単調なんだけど、ナチスドイツの残した浜辺の地雷を捕虜にした少年兵たちに除去させるというのは、その復讐心はわかるにしてもやはり非人道的だ。というより戦争捕虜に強制労働をさせるのは明らかなジュネーブ条約に違反している。かれらが担当した地域の地雷は45000個におよび、それをたった14人の初年兵のような若者に撤去させるのは不可能に近く、最終的には4名にまで減っていくんだから、これは明らかな処刑といっていい。で、そうした若年兵の捕虜を統括するデンマーク軍の軍曹ローランド・ムーラーの視点で描かれるわけだけれども、けっこう、感動作になってる。ただ、これをデンマークが製作しているのがいいね。贖罪ってわけでもないだろうけど、好ましい。
◇ヴィジット(The Visit)
M・ナイト・シャラマンは新作を撮るたびに確実につまらなくなってるんじゃな
おばあちゃんディアナ・デュナガンの、
けど、このあたり
あとはひたすらつまんないな~っていう時間が過ぎていく。痴呆が始まって『暗闇さん』
ただ、
◎アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男(Der Staat gegen Fritz Bauer)
おもしろかった。
ドイツがナチスを題材にした映画を撮るのは、どうしてなんだろう?
いや、ドイツにかぎらず、ヨーロッパでもアメリカでもナチスやヒットラーを主題に持ってくる映画は少なくない。この理由は贖罪だの犠牲だの糾弾だの反省だの憎悪だのとほんとうにいろいろあるけれども、ヒットラーやゲッペルスのほかにもここで追い詰められていくアドルフ・アイヒマンもそのひとりだ。
けど、この映画はアイヒマンが潜伏しているアルゼンチン・ブエノスアイレスにはさほどの尺を取っていない。
ほとんどがフランクフルト、そしてイスラエルの砂漠地帯だ。それも検事長のフリッツ・バウアーの懊悩と捜査に費やされる。だから、バウアーを演じたブルクハルト・クラウスナーとその部下カール・アンガーマンを演じたロナルト・ツェアフェルトのやりとりを見ていくことになるんだけど、このふたりはゲイという共通項を持っている。
バウアーは終戦まで亡命していた先で同性への淫行で捕まっているし、アンガーマンもまた西ドイツの中枢で生き残っているナチスの残党によって同性愛の暴落という脅迫に見舞われる。なるほど、戦後まもない頃っていうのは、ゲイであることに負い目を持ち、脅迫の種になり、出世や生活にも重く圧し掛かってきてたのねと、あらためておもわされたわ。
◎ブレイン・ゲーム(Solace)
アンソニー・ホプキンスが一枚看板で製作総指揮にクレジットされてる。ちから入ってるな。
最初は、なんか、FBI捜査官のジェフリー・ディーン・モーガンがやけに好い人間で、部下アビー・コーニッシュも含めて最強のチームだとかいいだして、これじゃいくらアンソニー・ホプキンスが予知能力とテレパシーに長けた超能力者っていう設定でも『羊たちの沈黙』には到底かなわないな~っておもってたら、アメリカの藤枝梅安こと連続慈悲殺人犯の超能力者コリン・ファレルが登場してきたことで、だんだん面白くなってきた。
なるほど、不治の病で死ななければならない運命に追い込まれて、死にたいくらいの痛みと苦しみを味わってしまうことになる市民を超能力で見つけてしまったコリン・ファレルとしては病気を発するより前に延髄を突き刺すことで一瞬の苦しみすらなく他界させてやるのは慈悲でしかないと断言するのはわからないでもないし、娘オータム・ダイアルが白血病で苦しんで死んだことがジャニン・ターナーと別居する原因になったわけだし、なるほど、これはなかなかむつかしい物語だな。
▽ワイルドカード(Wild Card)
単なるラスベガスの用心棒の話で、とんだワイルドカードをひいちまったぜ、ていうだけの殴り合い足抜け映画だったわ。くそ、とんだワイルドカード映画をみちまったぜ。これがかつてのバート・レイノルズとカレン・ヤングの出てた映画のリメイクだってんだから、ますますびっくりだ。
ジェイソン・ステイサム、こんな映画に出てて大丈夫か?
◇ボーダーライン(Sicario)
そうか、真上からの俯瞰は衛星監視カメラの象徴なのか。監視カメラが銀行もそうだが象徴的に使われとるわけね。佳境の国境トンネル破壊の戦いでのサーマルカメラや暗視スコープもそうだし。
でも、そんなことより、ドゥニ・ヴィルヌーヴの残忍性は見られるんだけど、なんだかまとまりがなくて、期待はずれな感はいなめない。これが『灼熱の魂』や『プリズナーズ』を撮った監督なんだろうかって感じだ。せっかくのエミリー・ブラントもなんだかな~。
◎マッドマックス 怒りのデス・ロード
ちから、入ったわ~。
前半というより前編、フェード・アウトするまで「砦」から「緑の地」を求めて逃げるってだけの話で、この追撃戦の迫力といってらない。
独裁者ヒュー・キース・バーンの愛人5人をつれて脱走するのがかつてさらわれてきたシャーリーズ・セロンなんだけど、いや、ほんと、彼女は凄いね。色気からいえば、女優というよりモデルの愛人5人の方が遙かにあるんだけど、いや、演技はもちろん、貫禄といい、知的さといい、申し分ないところへ、なんといっても運動神経の凄さといったらない。ただ、なんといっても凄いなっておもうところは、登場したときの隈塗りもさることながら、丸坊主にして左手はターミネーターみたいな義手にしてて、義手が外れたら片腕でも戦うっていう根性だ。邦画で、彼女に匹敵するのは誰なんだろう?
ジョージ・ミラーはもはや『マッドマックス』のシリーズを撮るために監督稼業を続けてるような感じだけど、まあどうだろう、2作目あたりから英雄譚に傾斜していくんだよね。でも、それは『サンダードーム』で完結したんじゃないかっておもってたら、なんとまあ、ここではマックスは脇役だな。トム・ハーディは上手に役をこなしてて、佳境、環境汚染で失われた「緑の地」から「砦」へ引き返し、奴隷の解放と理想の国づくりに入るのは、シャーリーズ・セロンなんだよね。物語としてはそうなっていくよりほかになくて、マックスは単なる通りすがりの用心棒でしかないわけで、だから、最後も「あばよ」って感じで去らないといけない。マックスの内面はもう語られちゃってるから、こうなるよりほかになんだろうなあ。
☆エクス・マキナ
どきどきするわ~。
退屈さはまるでなく、緊張感が継続してる。
アリシア・ヴィキャンデル演じる機械仕掛けの
台詞はいっさいなかったけど、存在感がたっぷりあったのはソノヤ・ミズノで、スタイルもいいし、エキゾチックだし、いやまじ、ええ感じに控え目な演技だった。
アレックス・ガーランド、なかなかの演出じゃん。
◇サークル
◇ランオールナイト
走り出すまでが、だらだらと長い。
リーアム・ニーソンは、ほんと、元殺し屋っていう設定が多いなあ。
とはいえ、自分を軽蔑する息子が殺しを目撃したために犯人に命を狙われ、それを助けるために殺した犯人が自分の親友にして元ボスにしてたったひとりの理解者エド・ハリスの息子だったもんだから、警察もふくめて町中すべてに親御ともども狙われるという設定は初めてだったわ。
それにしても小さくなったな、ニック・ノルティ。エド・ハリスも皺が深くなったし、老いるというのはこういうことか。ニーソンだけが小さくならないのか、それともまだ若いのかはわからないけど。
ま、それはさておき、ジャウム・コレット=セラだ。リーアム・ニーソンのサスペンスは演出しやすいのか、それとも肌が合ってるのか、飛行機だの、列車だの、小さな町だのと限定された空間で凝縮された時間を設定した活劇が好きなのかしら?
☆ミルカ(2015年 インド 189分)
原題/Bhaag Milkha Bhaag
監督/ラケーシュ・オーム プラカーシュ・メーラ 音楽/シャンカル=イフサーン=ロイ
出演/ソーナム・カプール ディヴィヤ・ダッタ ヒカル・イトウ ファルハーン・アクタル
☆ミルカ・シンの娘ソニア・サンワルカの自伝『The Race of My Life』より
撮影技術の高さにびっくりした。
最初のコーチがミルカの過去を列車内で語るとき、カメラが外に向けられ、出て進行方向にパンすると、なんとまあ、列車の上に登って座り込んでいる過去の難民となったミルカたちがフレームインしてくる。さらにバストショットの姉とはぐれた少年ミルカのCGの向かって右半分は当時の報道フィルムが合成されてデリーまで続いていく。しかも、そのフィルムの最後のカットにデリーに辿り着いたミルカが現れ、そのカットが画面全体に拡大され、ごうつく爺の慰み物にされている姉と巡り会う挿話になっていく。
なんだが、凄い。
ただ、歌がな~、ちょいと長い。
まあインド映画だから仕方ないんだろうけど、挿入歌がなかったら2時間で収まったんじゃないかしら。