Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

地下室のメロディー

2018年01月29日 01時07分08秒 | 洋画1961~1970年

 ◇地下室のメロディー(1963年 フランス 118分)

 原題/Mélodie en sous-sol

 監督/アンリ・ヴェルヌイユ 音楽/ミシェル・マーニュ

 出演/アラン・ドロン ジャン・ギャバン ヴィヴィアーヌ・ロマンス カルラ・マルリエ

 

 ◇カジノ『パーム・ビーチ』のプール

 そうだな~。まあ、凝った映画だし、スタイリッシュな画面だし、しゃれた音楽だとおもうんだけどね。

 ただ、映画のほぼ半分くらいまで、ジャン・ギャバンに命令されたアラン・ドロンの下準備つまりカンヌでカジノのあるホテル『パーム・ビーチ』の踊り子ヴィヴィアーヌ・ロマンスをひっかけるまでの、なんともたらたらした、はすっぱな二枚目のお遊びが続いててちょっと飽きる。エレベーターの上に乗り込んでカジノの売上金を狙うという話がようやく出る頃には、かなり疲れてる。

 ちなみに、アラン・ドロンの右の頬にある向こう傷がカッコイイのか、それとも余計なものなのかわからないんだけど、そういえば、この頃、向こう傷をつけた役って見なくなったなあ。

 ただ、アラン・ドロンの昔の映画を観るといつもおもうことなんだけど、運動神経がものすごく好いんじゃないかって。それと、うでぢからがすんごくあるんじゃないかって。だって、ホテルの屋上の壁際をすいすいすらすらとよじ登っていくだけでなく、エレベーターの中に宙づりになってもいかにもたいしさことなさそうに片手で身体をささえて降りていくなんてことはなかなかできない。すごいちからだ。色男なのにな~。

 でも、まわりに警察がいっぱいになって、ちょっとの間だけプールの底に沈めておくしかないかってそっと底へ沈めた、警察が血眼になって追いかけてる特徴的なバックから札束がなんとも虚しく浮かび上がってくるまでの緊張感はもの凄い。

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狼の挽歌

2016年03月23日 19時50分39秒 | 洋画1961~1970年

 ☆狼の挽歌(1970年 イタリア 100分)

 原題 Città violenta

 英題 Violent City

 米題 The Family

 監督 セルジオ・ソリーマ

 

 ☆う~ん、マンダム

 たぶん、この映画を劇場で観たのは一回だけだとおもう。けど、かなり頻繁に観てきた。もちろん、エンニオ・モリコーネのサントラ盤も買い、厭きるくらい聴いた。でも、あらためておもうんだけど、いったいなにがここまで、この映画はぼくらを惹きつけるんだろう?やっぱり、ブロンソンの魅力なんだろうか?当時、といってもテレビでこの映画を観て大興奮したぼくは、ブロンソンに嫉妬していた。だって、ジル・アイアランドを奥さんにしてんだよ。やきもちくらい焼くさ。

 そんなことはどうでもいいんだけど、簡単に言っちゃえば、やっぱりフォード・マスタングのどえらく強烈なカーチェイスと、ガラス張りエレベーターの狙撃に尽きる。かっこよかったな~。たしかに歳月を経て観直すとそれなりに単調だし、迫力に欠けるところも見られるものの、でも、やっぱりこのときのブロンソンは渋くて、男臭い。それが、かっこいいんだ。

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華氏451

2015年08月09日 03時48分18秒 | 洋画1961~1970年

 ◇華氏451(1966年 イギリス 112分)

 原題 Fahrenheit 451

 監督 フランソワ・トリュフォー

 

 ◇華氏451度≒摂氏233度

 ほんとに本っていうか紙が燃える温度なんだろうかっておもうんだけど、それより低いと自然発火しないんだろうか?

 まあなんていうか、戦後たった20年しか経ってない時期だから、どうしてもナチスの印象が感じられる。もちろん全体主義への反発なんだけど、それが結局、この時代は戦時中の地下組織をおもわせるような、ヒッピーの集団のような、要するにその時期における反体制集団なわけで、その連中がなんとも稗田阿礼みたいに本を暗記していくんだけど、いやまあなんというのか朗読をテープに録音しとけばいいじゃんとかおもって観てた。

 ていうか、この映画はほんと中学時代によくテレビでやってた。当時の方がすんなり受け入れられた気もするね。ただ、録音しとけよとか撮影しとけよとかはおもわなかった気がするけどね。でも、今だったらどうなんだろうね。本というのは木を伐採しないと作れないわけで、環境問題とかそういう観点からすれば本なんてものは無くなったところで大丈夫とかっておもわないかしら?

 ま、でも、ここでいう本っていうのは人類の叡智のことなんだけどね。

 

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宇宙大怪獣ドゴラ

2014年12月02日 15時36分09秒 | 洋画1961~1970年

 ◇宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)

 

 ◇特撮とボク、その66

 設定も斬新だし、さすが昭和最後の単独怪獣映画作品なだけのことはあるし、ジバチの血清がすべてを解決に導くってのもいい感じなんだけど、このせっかく作ったアメーバ怪獣がどうも主役になりきれてないのはつらいところだ。ダイヤ強盗の話が、要らん。

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俺たちに明日はない

2014年11月03日 11時37分15秒 | 洋画1961~1970年

 ◎俺たちに明日はない(1967年 アメリカ 112分)

 原題 Bonnie and Clyde

 staff 監督/アーサー・ペン 製作/ウォーレン・ビューティ

     脚本/デヴィッド・ニューマン、ロバート・ベントン

     撮影/バーネット・ガフィ 音楽/チャールズ・ストラウス

 cast ウォーレン・ビューティ フェイ・ダナウェイ ジーン・ハックマン ジーン・ワイルダー

 

 ◎1930年代、テキサス

 クライド・バロウとボニー・パーカーの実話。

 その頃、4月になるとまもなく、早稲田松竹ではかならずこの作品が上映された。

 ここでいう「その頃」っていうのは、ぼくが大学に入った頃という意味だ。

 当時の大学生は、70年安保の時代よりもひと世代下で、

 学生運動なんてとうの昔に下火に入ってて、みんながみんな、しらけてた。

 けど、なんとなく心のどこにまだ滾るものがあったみたいで、

 貧乏で惨めな学生と、そろそろ贅沢を知り始めておしゃれに遊ぼうっていう学生と、

 ほぼ二極化し始めた頃なんじゃないかっておもえる。

 ぼくは、もちろん、前者だ。

 いまだに贅沢もおしゃれも知らない。

 ま、それはいいとして、この作品はたぶん前者の連中が、

 とぼとぼと名画座に通い、膝を抱えるようにして観たものだとおもうんだよね。

 だって、ぼくがそうだったから。

 で、内容についていまさら書いたところで仕方ないから書かないけど、

 当時も今も、鑑賞後には決まってこんなふうにおもう。

 アメリカのニューシネマってやつはこういう映画なのか~と。

 それにくわえて、

 なんでこれだけ凄まじい銃撃戦をしてても品が無くならないんだろうと小首をかしげる。

 当時の映画はいまの映画よりも常に引き気味でキャメラを回し、

 リアルさを優先して、どことなくドキュメンタリータッチを匂わせる。

 この作品も例外じゃないけど、

 なんといってもフェイ・ダナウェイの女優根性にぼくはしびれる。

 ラストカット、彼女はギアに足首を固定して、

 87発という凄まじい乱射を浴びて、

 座席からなかば転げ落ちかけたまま死ぬ。

 それまでのインポテンツのビューティとの濡れ場もさることながら、

 さすがに胆が据わってる。

 こういう場面の積み重ねが、当時の学生連中を刺激したんだろね。

 もしかしたら、今も。

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マーニー

2014年10月02日 00時58分24秒 | 洋画1961~1970年

 ◇マーニー(1964年 アメリカ 130分)

 原題 Marnie

 staff 原作/ウィンストン・グレアム『マーニー』

    製作・監督/アルフレッド・ヒッチコック 脚色/ジェイ・プレッソン・アレン

    撮影/ロバート・バークス 音楽/バーナード・ハーマン

 cast ティッピ・ヘドレン ショーン・コネリー ダイアン・ベイカー ブルース・ダーン

 

 ◇赤い恐怖

 ヒッチコックはこの映画を「男の女の映画です」と予告編でいってる。

 たしかにそうで、黄色の基調の男は、緑色の基調の女を獲ろうとしている。

 つまり、セックスの映画だ。もちろん、過激なセックス場面があるわけではないし、濡れ場めいたものはキスしかない。けど、性を象徴するものはいっぱい画面に登場するし、ティッピ・ヘドレンがほとんど無意識の内に欲求不満に陥っていて、どうにもこうにもやるせないほどセックスに飢えていながらも、

「そんな汚らわしいことには興味がないの」

 という高慢ちきな態度に出る一方、淫らな印象をふりまいているという撮り方は、いやまったくヒッチコックが常軌を逸してるとしかおもえないほどだ。

 どうやらヒッチコックはこの撮影中ていうか前作の撮影中からティッピ・ヘドレンにいいより、きつい肘鉄をこうむっているらしく、

「だったら、淑女ぶった仮面をはいで淫らな本性をさらけだしてやる」

 とばかりに、撮影で復讐しているとも受け止められるような画面をつくりだしてる。

 まあ、うがった見方をすればそうなるんだろうけど、幼い頃に母親が売春をして苦しい家計を支えていたんだけれども、その母親の客を殺してしまったことで、セックスに対して尋常でないトラウマを抱いてしまいながらも、体内に流れているセックスへの興味と妄想から逃れられず、赤いものや稲光にどうしようもなく戦慄し、金銭を盗み出すことで快感を解消してしまうことから盗癖が治せずにいるという、きわめて興味深い女を設定し、彼女の過去を探り、本質をとらえようとする狩人然とした相手を設定し、このふたりをぶつけることで作品を作り上げようとしてるのはまちがいない。

 ヒッチコックの心模様はともかく、なんとも性的な映画ではあった。

 なにしろ、男根の象徴といえる馬にまたがって疾走するところは、エクスタシーの表情をとらえるためだけに撮影したんじゃないかってくらいで、画面の裏に隠されている性のほとばしりがこれほど感じられる作品もめずらしい。

 つまりは、おとなの映画ってことよね。

(以下、二度目)

 それにしても、ティッピ・ヘドレンのコートの緑色は品がいい。渋い緑だ。『めまい』の車の色もいいけど、さらにいい。それにひきかえ、ショーン・コネリーの義妹ダイアン・ベーカーのワンピースの緑はてらてら光って品がない。このあたり、ヒッチコックの色に対するこだわりはすごいっておもうわ。なんつっても綺麗だしね。

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ティファニーで朝食を

2014年07月07日 01時39分14秒 | 洋画1961~1970年

 ◇ティファニーで朝食を(1961年 アメリカ 115分)

 原題 Breakfast at Tiffany's

 staff 原作/トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』

     監督/ブレイク・エドワーズ 脚色/ジョージ・アクセルロッド

     撮影/フランツ・プラナー 美術/ローランド・アンダーソン、ハル・ペレイラ

     衣装/ユベール・ド・ジバンシィ、イデス・ヘッド、ポーリーン・トリジェール

     音楽/ヘンリー・マンシーニ 歌/ジョニー・マーサー『ムーン・リバー』

 cast オードリー・ヘプバーン ジョージ・ペパード パトリシア・ニール

 

 ◇ユニオシ

 物語の中で、奇妙な日系人が登場する。

 ミッキー・ルーニー演じるユニオシという、

 どんな漢字をあてればいいのかわからない名前なんだけど、

 このとんでもない日系人の描かれ方は、

 ハリウッド映画史上、もっとも残酷で、もっとも恥ずべき場面といわれる。

 にもかかわらず、この映画を酷評する日本人に、

 ぼくは出会ったことがない。

 ほんと、日本人は怒らない。

 寛容すぎるほどに寛容なのか、

 それとも、アメリカに対しては無意味なほどに謙虚なのか、

 あるいは、ここで描かれている日系人と自分たちとは関係がないのか、

 ぼくにはよくわからないんだけど、

 でも、ぼくもどうやら寛容であるらしく、

「まったく、日本文化を知らない連中が勝手なことやっとるわ」

 としかおもわない。

 どうやら、ぼくもまた、鈍感らしい。

 実はこの原作は、ぼくの本棚に入ってる。

 活字の苦手なぼくがこの原作を手にしたのは大学生のときで、

 もちろん、映画を観てから買い求めたもので、

 カポーティがどんな小説を書いているのかはうすうす知っていたものの、

 いやまあ、とにかくぼくには難しかった。

 映画が「ティファニーで朝食を取れるような身分になりたい」小娘が、

 ティファニーのウィンドーの前でサンドイッチを頬張り、

 やがて映画の語り部になってる作家と恋に落ちることに焦点をしぼってるのは、

 なるほど、正解なんだろう。

 でもさ~、

 ほんと、この映画に憧れてる日本人のいったいどれだけの人間が、

 ユニオシについて覚えてるんだろね?

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戦争と平和

2014年06月08日 19時48分13秒 | 洋画1961~1970年

 ◇戦争と平和(1967年 ソ連)

 とにかく、長かった。

 453分!

 どうにかしてよっていうくらい、長い。

 セルゲーイ・ボンダルチュークって人は、

 いったい、どこまでわがままが許されたんだろう?

 よくはわからないんだけど、

 この作品はもはやトルストイ作の歴史劇であるというよりも、

 セルゲーイの人間像みたいなものがそっくり語られてるような印象だ。

 いいかえれば、ふたりの共同作業のような作品だろう。

 この映画を初めて観たのはたぶんテレビで、

 おそらくは徹底的にカットされたものだったんだろうけど、

 それでも、中学生だったぼくは、

 リュドミラ・サベーリエワのこの世のものとはおもえない美しさに、

 いやもう圧倒された。

 その後『ひまわり』でまた彼女の美しさを観ることができたけど、

 結局のところ、この映画は、

 リュドミラ・サベーリエワに始まり、リュドミラ・サベーリエワに終わる。

 第一部と第二部はたしかに大河物として十分な世界なんだけど、

 第三部と第四部はだんだんと観念的になり、

 ロシア帝国に対する懐疑と批判が色濃くなってくるようで、

 どうも物質世界から精神世界へ移行していってる観がないでもない。

 まあ、時代が産み出したんだろうけど、

 それでも史上最大の映画であることはまちがいないわけで、

 よくもまあ撮ったもんだよね。

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明日に向って撃て!

2014年06月05日 14時19分19秒 | 洋画1961~1970年

 ◎明日に向って撃て!(Butch Cassidy and the Sundance Kid 1969年 アメリカ)

 いまさらながら、タイトルの語尾に「!」がついているのを初めて知った。

 さらに『明日に向かって撃て』だとおもってたのに、送り仮名まで違ってた。

 っていうか、意識したことがなかった。

 そういう時代だったんだね。

 ぼくは残念ながらこの映画を封切では観てなくて、

 大学に入ってから早稲田松竹で初めて観た。

 その頃、ロバート・レッドフォードは人気絶頂で、

 名画座はどこもかしこもレッドフォードだったような気がする。

 若造だったぼくも、ごたぶんにもれず、

 やっぱりポール・ニューマンの渋さよりも、

 レッドフォードがご贔屓だった。

 キャサリン・ロスは徹底的に可愛かったし、

 レイモンド・バカラックの『雨にぬれても』はよく口ずさんだ。

 ま、そんな思い出話はともかく、

 へえ~とおもったのは、ストップモーションの引きだ。

 記憶だとストップモーションの絵はそのまま固定されてた。

 ところが、そうじゃなくて、

 絵が止まってから、ぐんとズームダウンされる。

「え?」

 とおもった。

 当時、こんなショットができたんだ~と。

 いや~ときどき観返すのはいいもんだね。

 おもいもよらない発見がいくつかあるんだな、これが。

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ボッカチオ'70

2014年05月18日 00時00分21秒 | 洋画1961~1970年

 ◇ボッカチオ'70(Boccaccio '70 1962年 イタリア)

 とはいえ、ボッカチオの詩が原作になってるわけじゃなくて、

 1970年におけるボッカチオ的な体裁をとった愛と官能のアンソロジーだ。

 まあ、

 マリオ・モニチェリ、フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカ、

 なんていう連中がアンソロジーを編むなんてことは奇蹟に近いわけで、

 よくもまあ成立したな~って感じではある。

 実際は、モニチェリの知名度が低かったために他の3名のアンソロジーにされ、

 1998年まで、ぼくらは完全版を観ることはできなかった。

 ただ、

 当時はかなりセンセーショナルだったかもしれないんだけど、

 ぼくはフェリーニの撮った、

 アニタ・エクバーグ主演の『アントニオ博士の誘惑』がいいなあ。

 いやもうエクバーグのあまりにも豊満すぎる肉体は、

 男が翻弄されるにはもってこいで、

 日本人だったら、こんな経験したら、たじろいじゃうだろな~。

 あとの3作はちょっと物足りなさがあるんだよね。

 たしかにロミー・シュナイダーは硬質な中に官能が匂うし、

 ソフィア・ローレンの官能的な体には萌えあがるものもあるけど、

 物語がどうも古色蒼然とした観が出てきちゃってる。

 そこへいくと、

 フェリーニはさすがに時を超えて新鮮味があって、

 人生を官能的に茶化したようなすっとぼけ方が、

 ここでも魅力になってる気がするんだよね。

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ダンケルク

2014年05月11日 18時47分49秒 | 洋画1961~1970年

 ◇ダンケルク(WEEK-END A ZUYDCOOTE 1964年 フランス、イタリア)

 1940年6月初旬の土曜日、

 ダンケルクの近くのズイドコートの情景を描くっていうただそれだけの話ながら、

 もちろん、

 その当時ダンケルクは大変なありさまで、

 そこで兵役についているちょっぴり斜にかまえたベルモンドにしてみれば、

 絶望と不安の中でなかば開き直るしかない。

 で、やっぱりフランス映画らしく、

 戦争のまっただなかでも女性とは出会う。

 犯されそうになるところを助けて、

 自由にしてくれとせがまれてもそれをしてやれず、

 悶々とする中、仲間の兵士たちが死んでいくのを見つめながら、

 でもやっぱりふたりで添い遂げるのがいいとおもいなおし、

 結婚の約束をしてふたりでここから立ち去ろうと支度をし始めたのもつかの間、

 自分は爆撃に想像して死に、

 遅れてやってきた彼女は茫然としてゆくあてもなくさまようという、

 なにもダンケルクが舞台でなくてもいいじゃんか~とかいわれそうな、

 それでいてダンケルクだからこそ物語になるんじゃんか~と反論されそうな、

 なんともフランス映画らしい戦争映画だった、

 としかいえない。

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冬のライオン

2014年05月06日 19時15分41秒 | 洋画1961~1970年

 ◇冬のライオン(The Lion in Winter 1968年 イギリス)

 1183年、フランス、シオン城。

 まあここでイギリス王ヘンリーを中心にして、

 幽閉した妃エレノア、息子のリチャード、ジェフリー、フランス王のフィリップ、

 末子のジョン、フィリップの異母姉かつヘンリーの愛人であるフランス王女アリースが、

 崩壊しつつある家族間の憎悪や信望について葛藤を繰り広げるわけだけど、

 舞台劇が映画になり、さらにリメイクもされたりと、

 どういうわけか、欧米はこの物語が好みらしい。

 大学のとき、名画座でときどきかかり、

 同級生の女の子がやっぱりこの物語に嵌まり、

 主役のピーター・オトゥールの話はまったくしないで、

 ひたすら、キャサリン・ヘプバーンの話題に終始してた。

 どうやら、

 世の女性はこの王妃の誇り高さにある種の憧れを持つみたいだ。

 主演は男女ともにアカデミー賞を受賞してるのにね。

 あ、ちなみに、

 アンソニー・ホプキンスとティモシー・ダルトンがすげー若い。

 とおもって調べてみたら、びっくりした。

 デビュー作だったのね。

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パットン大戦車軍団

2013年12月22日 19時21分50秒 | 洋画1961~1970年

 ◇パットン大戦車軍団(1970年 アメリカ 170分)

 原題 Patton

 staff 原作/ラディスラス・ファラーゴ『Patton』

     監督/フランクリン・J・シャフナー

     脚本/フランシス・フォード・コッポラ エドマンド・H・ノース

     撮影/フレッド・J・コーネカンプ 特撮/アート・クルックシャンク

     特殊効果/L・B・アボット 視覚効果/アレックス・ウェルドン

     美術/ウーリー・マクレアリー ジル・パロンド

     軍事監修/オマル・ブラッドレー 音楽/ジェリー・ゴールドスミス

 cast ジョージ・C・スコット カール・マルデン カール・マイケル・フォーグラー

 

 ◇大胆不敵であれ!Be audacious!

 1944年6月5日、ノルマンディー上陸作戦を前にして、

 パットンは、とてつもなく暴力的な演説をした。

 映画の冒頭にあるのがそれで、

 星条旗を背にして登壇するパットンの姿が、すべてを語っている。

 この場面はそのままポスターにもなってるけど、

 あまりにも有名すぎて、パットンといえばこの絵だ。

 ていうか、

 パットンといえば、ジョージ・C・スコットというくらい、役に嵌まりすぎてた。

 史上最高の演技のひとつっていわれるのは、無理もない。

 実はこの作品の続きにあたるテレビ映画があって、

『パットン将軍最後の日々』

 っていうんだけど、これも146分あるから、合わせて観ると316分、

 つまり、5時間16分の超大作になっちゃう。

 ジョージ・C・スコットがパットンそのものに見えてきちゃうから困りものだ。

 まるで、栗塚旭が土方歳三に見えてくるようなものだよね。

 ま、それは余談だけど、

 この作品、上手にできている。

 さすがはフランシス・フォード・コッポラというべきで、

 いっておくけど、大戦車軍団うんぬんっていう映画じゃない。

 パットンという、

 あまりにも言葉と態度が暴力的な、しかし愛すべき武断派の半生が、

 いろんな挿話をまじえて語られている。

 北アフリカ、シチリア、ノルマンディなどの戦線、野戦病院、そしてバルジ作戦と、

 伝記映画としてはたしかに派手な作りではあるけれど、

 獰猛な野獣のような戦争狂とまで陰口を叩かれる、

 軍人の中の軍人ってのはいったいどんな人間なんだ、

 ってことを、ぐいぐい見せてくれたことはたしかだ。

 ただ同時に、

 人間はどれだけ才能があっても言葉や態度がその才能を潰してしまうか、

 あるいは対人関係に齟齬をきたしてしまうことが多々あるという、

 なんとも痛烈な戒めもまた感じるよね。

 どこまでも誇り高く生きようとすれば、それはときに敵を生み、嫌われる。

 我慢を知らない人間はたしかに正直ではあるけれど、やはり損な人生になる。

 人間関係というのは、ほんとに難しい。

 そんなことを、この映画はパットンという鮮烈な軍人の半生によって、

 多角的に教えてくれているような気がするんだわ。

 そういうところが、

 他の戦争映画とは一線を画すところなんだろね。 

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危険がいっぱい

2013年12月12日 12時07分08秒 | 洋画1961~1970年

 ◇危険がいっぱい(1964年 フランス 97分)

 原題 The Love Cage/Les felins

 英題 Joy House

 staff 原作/デイ・キーン『Joy House』

     監督/ルネ・クレマン

     脚色/ルネ・クレマン パスカル・ジャルダン チャールズ・ウィリアムズ

     撮影/アンリ・ドカエ 美術/ジャン・アンドレ

     助監督/コンスタンタン・コスタ=ガヴラス

     衣装/ピエール・バルマン 音楽/ラロ・シフリン

 cast アラン・ドロン ジェーン・フォンダ ローラ・オルブライト オリヴィエ・デスパ

 

 ◇愛の檻

 いつ頃までか、屋敷物の映画はよくあった。

 広大な邸宅を舞台にして、そこで展開する男女のスリリングな物語だ。

 お化けの出そうな古色蒼然とした豪邸は、それだけでもはや映画になる。

 そこでホラーが展開されようが、サスペンスが披露されようが、

 そんなことはどうでもよくて、ともかく主役はその屋敷なんだ。

 この映画も多少、そういう面がないでもない。

 屋敷へ逃げ込んだチンピラのアラン・ドロンが、

 殺人事件をひきおこして高飛びしようとしている愛人関係のふたりに、

 パスポート欲しさのために狙われ、命を危険を冒して逆転し、

 まんまと自分だけが逃げ出そうとするんだけど、

 殺された女主人の姪ジェーン・フォンダに見染められて、

 殺人の嫌疑をかけられたために屋敷から生涯出られなくなってしまうという、

 要するにLove Cageの物語だ。

 展開はまあ予測どおりに進んでいくんだけど、

 ちょっと驚いたのはアラン・ドロンの運動神経で、いや、けっこう機敏だ。

 それと、衣装がお洒落なんだよね。

 ジェーン・フォンダの下着姿や水着姿はさすがに見とれるけど、

 ピエール・バルマンのおかげかもしれないね。

 それと、自動車がみんなカッコいい。

 さらに、ラロ・シフリンの音楽も洒落てる。

 道具と衣装と音楽に拘りをもって、

 それが当時のファッションを牽引する時代ってのはいいもんだ。

 スチールでアラン・ドロンが白いシャツ姿で映ってるのがあるんだけど、

 そのとき、横にちょこんといる子猫がなんとも可愛い。

 そういうところが、当時のフランス映画なんだよな~。

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冒険者たち(1967)

2013年11月21日 01時54分07秒 | 洋画1961~1970年

 ◇冒険者たち(1967年 フランス 112分)

 原題 Les Aventuriers

 staff 原作/ジョゼ・ジョヴァンニ『冒険者たち』

     監督/ロベール・アンリコ

     脚色/ロベール・アンリコ ピエール・ペルグリ ジョゼ・ジョヴァンニ

     撮影/ジャン・ボフティ 美術/ジャック・ドイディオ 音楽/フランソワ・ド・ルーベ

     主題歌/アントニオ・カルロス・ジョビン『愛しのレティッシア』

 cast アラン・ドロン リノ・ヴァンチュラ ジョアンナ・シムカス セルジュ・レジアニ

 

 ◇口笛を吹きたくなるぜ

 凱旋門は、飛行機で潜ることができるのか?

 映画の中では、アラン・ドロンが科学的にはそれが可能だとして、

 果敢に挑戦するも、土壇場で中止に追い込まれるんだけど、

 1919年にそれをやってのけたとかいう話を聞いた。

 で、

 ジャン・ナヴァルっていう飛行士がいる。

 フランスの撃墜王だ。

 第一次世界大戦時の頃、まだ武装されていなかった飛行機に、

 ライフルやロケットを持ち込んで敵の操縦士を殺し、撃墜した。

 このナヴァルが死んだのが、凱旋門だ。

 でも、潜り抜けたんじゃなくて、

 戦勝のお祝いに門のまわりを旋回してるときに不慮の事故に見舞われた。

 てことは、たぶん、このナヴァルと『冒険者たち』が一緒くたになって、

「実際に、凱旋門を飛行機で潜り抜けた男がいる」

 っていう伝説ができていったんじゃないだろか?

 ま、そんな伝説を生むくらい、この映画は衝撃的なものだった。

 ぼくよりもひと世代上の人達はかなり影響を受けたらしく、

 初めて見たのがテレビの吹替え版だったぼくは、それほどでもなかった。

 で、何回か観てる内に「これ、おもしろいじゃん」っておもうようになった。

 なんといっても、冒頭、

 ジョアンナ・シムカスの冒頭と、車の解体工場のカットバックになるんだけど、

 そのとき、カットと主題曲の転調とが見事に合ってる。

 もちろん『愛しのレティッシア』の方が先にできてて、

 それに合わせて編集されたんだろうけど、すごく好い。

 ちなみに、この主題歌はレコード化もされた。

 ベルナール・ジェラール・オーケストラの演奏で、アラン・ドロンが歌ってる。

 まあ、歌ってるのか囁いてるのかよくわからないような歌なんだけど、

 アラン・ドロンはほかの歌もそうで、みんな、甘い囁きだ。

 けど、なんだか、いいんだよね。

 やっぱり、甘い囁きはフランス語じゃないとあかんわ~。

 ま、主題歌はさておき、この映画の見どころは後半にやってくる。

 ガスコーニュ湾(ビスケー湾)に浮かぶ島を舞台にした銃撃戦で、

 この島が、好いんだ。

 ラ・ロシェルっていう港町の沖合に浮かんでるんだけど、

 楕円形をした島全体が要塞になってる。

 ボイヤール要塞っていって、1801年に築城が始められたらしい。

 フランスを守るためにナポレオンが築城を命じたもので、

 びっくりすることに楕円柱の総3階建てのとてつもない要塞だ。

 実際の戦闘はなかったんじゃないかな~ておもえるくらい外見は綺麗なんだけど、

 中は、まるきりの廃墟になってる。

 ここで、クライマックスの銃撃戦がある。

 なんでここに行ったのかっていえば、

 財宝を探しに行ったとき、ジョアンナ・シムカスが故郷の沖の島の話をして、

 お金持ちになったらそこを買いたいといっていたからで、

 まあ、そこでアラン・ドロンは最期を迎えるわけだけど、

 もしも、この島で実際の戦闘がなかったとしたら、

 アラン・ドロンとリノ・バンチェラが最初の銃撃戦を展開したことになるし、

 歴史上唯一の死亡者がアラン・ドロンってことになる。

 ちなみに、この島を実際に買い取ったのは、フランスのテレビ局らしい。

 上陸できるようにして改修してくれないかな~。

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