Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ハーメルン

2013年12月13日 13時05分44秒 | 邦画2013年

 ◇ハーメルン(2013年 日本 132分)

 staff 監督・脚本/坪川拓史 撮影/与那覇政之

     美術/畠山和久 衣裳デザイン/宮本まさ江

     メイク/三沢友香 音楽/関島岳郎

     特別協力/福島県大沼郡昭和村

 cast 西島秀俊 倍賞千恵子 坂本長利 水橋研二 守田比呂也 風見章子

 

 ◇福島の心象スケッチ

 とでもいえばいいんだろうか。

 とにかく、映像が美しかった。

 物語自体はそれほど起伏のある者ではないし、

 やがて廃され壊される運命にある校舎を愛している人達の、

 交流と回想が中心になってる。

 ただ、回想というか思い出の再現というか、

 その切っ掛けになってるのが、

 福島県の埋蔵文化財研究員(だっけ?)になった卒業生、西島秀俊だ。

 かれがほんとうに卒業生なのか、

 あるいは校舎や自然の醸し出した精霊のひとつと捉えるのか、

 それについてはわからない。

 けれど、記憶の紡ぎ出す風景の中に、かれは無理なく溶け込んでいく。

 こうした淡白な美しさは、むろん、スタッフとそれを支援する人達のちからだろう。

 ご当地映画のひとつといっていいんだろうけど、

 こういう自然体の映画は、ぼくは嫌いじゃない。

 ただ、この作品は不幸な目にあった。

 東日本大震災で撮影が中断されてしまったことだ。

 その間に、西島秀俊はすごい勢いで売れっ子になったけれども、

 ぼくは、かれの本領というか骨頂は、好い映画に出ること、とおもってる。

 決して誇張せず、傲慢にならない謙虚さが、かれの好さだと信じているからで、

 たぶん、とても頭の切れる人なんだろう。

 この先も、大手が顧みない作品に出続けてもらいたいんだけどな~。

 その方がスマートし、ぼくはそういう役者が好きだ。

 ところで、

 福島県の大沼郡というところを、まず、ぼくは知らなかった。

 そこに昭和村があるなんて、もちろん、知るはずもない。

 昭和村というレトロな建築物を抱えている施設は、

 おそらくこの国には何か所かあるんだろうけど、

 とりあえずは、ここに行ってみたいわ~。

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ストロベリーナイト

2013年12月06日 00時43分51秒 | 邦画2013年

 ▽ストロベリーナイト(2013年 日本 127分)

 英題 Strawberry Night The Movie

 staff 原作/誉田哲也『インビジブルレイン』

     監督/佐藤祐市 脚本/龍居由佳里 林誠人

     撮影/川村明弘 高梨剣 美術/塩入隆史 藤野栄治 音楽/林ゆうき

 cast 竹内結子 西島秀俊 小出恵介 宇梶剛士 丸山隆平 津川雅彦 生瀬勝久

 

 ▽見えない雨

 好きでたまらない異性がいるとしよう。

 その異性がいいよられているのを知っており、

 かつまた、自分の眼の前の車の中で、

 どうしようもない相手とセックスしているとしたら、どんな気分になるだろう?

 しかも、その異性は、自分の気持ちを知っているだけでなく、

 自分に対しては毛ほどの申し訳なさも抱いていないとしたら、どうだろう?

 絶望、憎悪、虚無、殺意、あるいは自殺願望、どれが去来してもおかしくない。

 こういう設定はあまりにも残酷だし、ぼくは生理的な嫌悪感すら覚える。

 菊田こと西島秀俊の演じたのは、そういう役回りだ。

 この映画は、テレビシリーズが拡大されて本編となったもので、

 どうやら原作では菊田の役はもっと小さいらしいんだけど、

 原作を読んでいないぼくのような人間にはどっちでもいい情報だから置いといて、

 テレビでは竹内結子演ずる姫川という主任のひきいる捜査班が、

 まるで疑似家族のようになっていて、そこにあるのは心地よい調和だった。

 西島秀俊が竹内結子にほのかな恋心を持ち、

 それをおしつけずに堪えているのはそれなりに美しいし、

 竹内結子がそれに甘えながらも上司としての立場と、

 過去のトラウマによる弱さから受け止められずにいるのも理解でき、

 視聴者としては、そういう不完全なんだけど調和した世界を見つつ、

 このふたりを臍にした世界の将来に幸せが待っているかもしれないという、

 かすかな期待感を得ることで、幸せさに浸ることができていたはずだ。

 ところが映画では、この調和がたちどころに崩され、

 竹内結子をほんとうは可愛がりたいのに、

 小憎らしい役回りを演じなければならない遠藤憲一や武田鉄矢は骨抜きにされ、

 竹内結子だけが空回りして暴走し、自滅していくのを、

 疑似家族が自分たちの怒りを押し堪えて、なんとか助けるという構図になってる。

 テレビシリーズを好きだった視聴者は、

 このいきなり突きつけられた新たな世界観をどう受け止めたんだろうか?

 水戸黄門にしても、鬼平犯科帳にしても、世界観は絶対的なもので、

 それを崩されたときの違和感は、なんともいいがたいのと似てないかしら?

 姫川は菊田の気持ちを裏切り、土砂降りの道端に投げ捨てた。

 そういうふうにいわれても仕方ないんじゃないかってなことを、

 観てておもった。

 ストーカーにならない強さを菊田が持っているのが、まだしも幸いだわ。

 男だな、菊田は。

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風立ちぬ(2013)

2013年09月09日 20時07分54秒 | 邦画2013年

 △風立ちぬ(2013年 日本 126分)

 staff 原作・脚本・監督/宮崎駿 プロデューサー/鈴木敏夫

     アフレコ演出/木村絵理子 作画監督/高坂希太郎

     撮影監督/奥井敦 美術監督/武重洋二 色彩設計/保田道世

     音楽/久石譲 主題歌/松任谷由実 音響演出/笠松広司

     整音/笠松広司 編集/瀬山武司 動画検査/舘野仁美

 cast 瀧本美織 西島秀俊 志田未来 竹下景子 國村隼 大竹しのぶ 野村萬斎

 

 △生きねば。

 いざ、生きめやも。っていうキャッチコピーから、

 こちらに変わったんだけど、これ考えた人、たいしたもんだわ。

 ヴァレリーは、ほんとはそういう気分で書いたんだろね、たぶん。

 生きろってのもあったね。たしか『もののけ姫』だったっけ?

 ある意味、ジブリに共通した主題なんだろか?

 ま、それはおいといて、

 堀辰雄と堀越二郎に敬意を籠めるのはいいんだけど、

 カプローニにも尊敬を籠めたら、

 いっぺんに3人の人間に感謝しなくちゃいけなくない?

 そりゃ、ちょっと大変だよ。

 せめて、堀辰雄と堀越二郎だけにしとけばよかったのに。

 けど、そんなこともいってられないか~。

 ジブリの名称が「砂漠の熱風」って意味もあるけど、

 カプローニの作った軍用偵察機が「Ca309 GHIBLI」でもあるし、

 やっぱ、この作品にカプローニを出さないわけにはいかなかったのかな?

 だったら、イタリアの話にしちゃえばよかったのに、ともいえないんだよね。

 零戦を設計したのが堀越二郎なんだから。

 まあ、そんなたわごとをいってても仕方ないんで、

 映画の話だ。

 関東大震災がどんなふうに活きてくるのかとおもってたら、

 あれって、ふたりの出会いを印象的なものにするためだったのかしら?

 飛行機とは関係ないのね。

 菜穂子が「震災のときはありがとうございました」という声掛けをするために、

 もしかしたら、あれだけの長さが必要だったんだろか?

 でもさ~、二郎が軽井沢に長い期間出かけた理由はわからないし、

 よく会社が認めてくれたな~とかおもうんだけど、

 まあ、それはいいとして、再会したとき、二郎はとっても口下手になってるでしょ?

 もうすこし菜穂子に飛行機のこととか設計のこととか話せばいいのにね。

 だって、二郎はとことん美しい飛行機を作りたいっておもってるんでしょ?

 もっと愉しそうに語って、止まらなくなるっておもうんだけどな。

 そしたら、二郎の抱えてる夢がどういうものか菜穂子にも見えてくるじゃん?

 なんだか、夢の世界と、ドイツの視察旅行と、どっちも長かったな~。

 なのに、肝心の零戦が出てくるのは数カットだけなのね?

『紅の豚』にも雲の上に飛行機の墓場みたいなのがなかったっけ?

 けど、零戦が開発されて飛んでくところが観たかったな~、

 とかおもってた人達は、なんか、肩透かし食らった気になってないかしら?

 この映画でいうと、

 飛行機を作ることが大好きだった少年が、大人になって憧れの仕事につき、

 (ほんとは乗りたかったんだよね、少年時代の夢によれば)

 何度も失敗しては挑戦を繰り返し、世界でいちばん美しい小型戦闘機を作るんだけど、

 でも、それは闘うことを運命づけられた飛行機で、

 無数に作られながらも、つぎつぎに撃墜され、

 やがて国まで滅んでしまうのをまのあたりにしてしまう物語じゃなかったんだね。

 自分の作った戦闘機が世界で一番だったはずが、

 銃座や胴体の防御は無に等しかったこともあって、多くの搭乗員が亡くなり、

 やがて特攻にまで用いられるようになるという、悲劇じゃなくて、

 あくまでも飛行機を好きな人が、どんなふうに飛行機を作ったのかということに、

 物語の主眼が置かれてるんだろうか?

 でもな~、二郎と菜穂子が微妙なんだよな~、飛行機が介在してないんだもん。

 出遭って間もない頃は紙飛行機が好い小道具になってたんだけど、

 それからが、どうも、飛行機が菜穂子と絡まなくなってくるんだよね。

 なんでなんだろ?

 ま、なんにしても、菜穂子は生きなきゃなんない。

 生きようと努力しなくちゃなんない。

 だって、それが生きねばってことだから。

 自分の死を受け入れちゃいけないんだよね。

 でも、これって大変なことで、だから、迷いに迷い、二郎の元を去るのかな?

 ただ、生きねばならないのは、当時の日本人のみんなに言えることだし、

 もっといえば、零戦そのものも生きねばならなかったんだよね。

 生きねばっていう主題は、もっといろんな面を見せてもよかったね。

 あ、ちなみに、

 名古屋駅を降りたときに「カブトビール」の看板が出るのはリアルです。

 煙草をはじめ、当時の道具類や風景はきわめてリアルだったし、

 人物たちの動きもリアルだったんだけど、

 その分、ひとつひとつのシークエンスが長くなって、余韻ばかり漂ってる気も。

 なんか、そういうことを考えながら観てたんだけど、

 この頃、ジブリの観客はなんか家族や恋人同士のイベントと化してて、

 退屈になったのか走り回り始める子供や、

 ぼくの席をかんかんと蹴り続けるカップルや、

 いきなりあくびするおじさんや、あらすじを話し始めるカップルや、

 タイトルロールが始まったらすぐに携帯をチェックするおばさんや、

 携帯はチェックしなくてもさっさと立って出てくおばさんがいたりして、

 もう、満員になってるもんだから、余計にごそごそ騒がしいし、

 出てく人の影で、画面は観えなくなるし、

 なんつっても、映画の途中で、そこらじゅうでイビキがし始めるし、

 いやまじ、もうすこし、なんとかならないんだろうか。

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言の葉の庭

2013年06月11日 01時06分54秒 | 邦画2013年

 ◇言の葉の庭(2013年 日本 45分)

 英題 The Garden of Words

 staff 監督・脚本・原作・絵コンテ・演出・撮影監督・色彩設計・編集/新海誠

     作画監督・キャラクターデザイン/土屋堅一

     美術監督/滝口比呂志 音楽/KASHIWA Daisuke(柏大輔)

 cast 入野自由 花澤香菜 平野文 前田剛 寺崎裕香 井上優 潘めぐみ

 

 ◇新宿御苑、行こうか?

 どうでもいい話ながら、ぼくは『小さな恋のメロディ』が大好きだ。

 大学に入って間もない頃、サークルでそのことを話したら、

 先輩たちに鼻で嗤われた。

(こいつら、純粋な恋愛がわからないんだ)

 とおもっていたら、ある日、新宿御苑につれていかれた。

 何人かで出かけたとおもうんだけど、なんで出かけたか憶えてない。

 当時、新宿にはミニシアターが何館かあって、

 いわゆる芸術映画みたいなものを上映してた。

 それをサークルの先輩と観に行ったついでに立ち寄ったのかもしれない。

 ともかく、新宿みたいなごみごみした町とはおもえないような庭園だった。

 以来、何度か足を運んだけど、さすがに雨の日は行こうとはおもわなかった。

 だって、

 雨の音や水の音に耳を傾けるなんていうリリカルな大学生活じゃなかったし。

 ただ、この映画を観てて、ふとおもったのは、こんなことだ。

「時代設定って、いつなんだろ?」

 もしかしたら、ぼくたちの大学時代くらいなんじゃないだろうか、と。

 だって、携帯電話はいっさい出てこないし、

 水商売の母親と同棲を始める兄がいて、

 自分は高校に通いながらもなんとなく靴職人に憧れて、

 雨が降ったら地下鉄に乗るのが嫌になって御苑でデザインしてるなんて世界は、

 ほぼまちがいなく、70~80年代の世界なんだもん。

 ちょっとだけ違うのは、

 ぼくたちは学校をさぼるという行為を正当化する理屈をつけたがったけど、

 この主人公はなんとなく曖昧で、なかば現実逃避してるように見えることだ。

 御苑の東屋で出会う学校の古典の女教師にしても、それは同じことがいえる。

 不倫したか、それが噂になって生徒や親に糾弾されたのかよくわからないけど、

 ともかく、ストレスの塊になって心身症がかってしまったために味覚音痴になり、

 缶ビールとチョコレートだけを抱えて、授業を放棄して御苑にやってくる。

 いいのかそれでっていう文句はさておき、

 つまりは、

 社会とうまくつきあえないふたりが、現実逃避しに行った先で、知り合うわけだよね。

 でもまあ、

 自分たちが背を向けてきた学校の話題は触れたくなかっただろうからしないにしても、

「いきなり万葉集はないんじゃないか?」

 と、おもってしまった。

 引くだろ、ふつう。

 そんなことからすると、

 なるほど、新海誠は、スチールをもとにして、独特な自分色に染め上げ、

 雨と水の絶妙な混ざり具合の美しい音色を奏でてくれたけど、

 話の内容が、そうした背景と妙にアンバランスで、

 なんとも古色蒼然として、現実味に欠けてるような気もする。

 たしかに、

 男と女が知り合い、恋をするのは、別にどんな立場であろうとかまわない。

 教師と生徒であっても、そんなことに目くじら立てるのはお門違いだ。

 けど、リアリティってのもちょっとだけ要るかな~とおもっちゃう。

 電車とか、町の風景とか、自然の雨や光とか、部屋の中とか、

 そうした写実的なリアリティのことじゃないよ。

 写実を独自の芸術にまで高めている新海誠の技量は、他の追随を許さない。

 ぼくがいってるのは、主人公のことだ。

 ふたりとも自己陶酔しがちな、つまりセンチメンタリズムな性格で、

 夢の中に身を置きながらさらに夢を見たがってるところが垣間見える。

 だから、この先、ふたりはどうなるんだろうとか、余計なことまで考えちゃうんだ。

 彼女は四国に帰って教師をすることになるんだろうけど、

 社会に復帰したら、いつまでも夢の中だけでは生きていけない。

 料理は下手だけど、美人だし、スタイルもいいし、

 たぶん、さほど遠くない未来、

 彼女をちからづくで現実に引き戻そうとする同級生とか先輩とか、

 ともかくお節介な熱血漢を気どった野郎が現れて、

 その田舎特有の野蛮なまでの強引さに、

 もともとガラスのように脆い彼女は、おもわず目覚めの時を迎えるんだろう。

 そんなとき、

 たぶん、寸法を測ったときの不十分さからして、

 足に合わないぎゅうぎゅうきつきつの靴を抱えた彼が、現れるんだ。

 バイトでためた金をはたき、はるばる四国までやってきて、

 男と女の現実を突きつけられ、淡い初恋は終わりを告げることになるんだろう。

(ああ、なんて嫌味なやつなんだ、ぼくは)

 でもさ、

 そんなふうに意地悪で、醜悪な未来を予測してしまいそうになるのは、

 かれらふたりが、地に足のついた自己観察が出来ていないからじゃないかな。

 雨に濡れた地下鉄の匂いもまんざらじゃないし、

 不倫で抜き差しならなくなっても歯を食いしばって社会で生活してる人もいるし、

 自分が授業を放棄してしまったことで受験に支障をきたしてる子もいただろうし、

 母親が年下の男とどっかに行っちゃっても学校に皆勤してる子もいるってことを、

 かれらはもうすこしくらい認識してもいいんじゃないかな。

 そんなことをおもいつつ、映画を観終わったんだけど、

 ふと、『小さな恋のメロディ』を観たときの感覚をおもいだした。

 ぼくはどうやら、当時の先輩たちになっているらしい。

 都会の絵の具に染まっちゃったのね。

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