Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

目撃

2007年04月14日 13時56分59秒 | 洋画1997年

 ◇目撃(1997年 アメリカ 121分)

 原題/Absolute Power

 監督・主演/クリント・イーストウッド 音楽/レニー・ニーハウス

 出演/エド・ハリス ジーン・ハックマン ローラ・リニー スコット・グレン

 

 ◇邦画でリメイクは難しいな

 この作品は、何度観たか数えられないくらい観る機会が多い。

 ふしぎなこともあるもので、一定の期間が経つとかならず再見する。

 だからといってよく憶えているわけではなく、イーストウッドが泥棒に入って、大統領ハックマンがいつものとおり助平かつ荒くれた感じで登場してきたとき、ああこれかとおもいだす。けれどそれだけのことで、この先どうなるんだっけとまた忘れている自分に気がつくんだ。それで弁護士をしている娘ローラ・リニーのところへ刑事エド・ハリスがやってきてようやく、ああそうだそうだとなんとかおもいだす始末だ。

 困ったもんだ。

 けど、そのとき、いつもおもうことがある。

 クリント・イーストウッドって、ほんとに娘が大好きなんだな~ってことだ。イーストウッドの作品は、父と娘の確執の話がよく出てくるもんね。たいがい、娘のことが目に入れても痛くないほど可愛いのに知的な職業に就いている娘からは嫌われてる。

 そういえば、この作品は、次女アリソン・イーストウッドが美術館の場面に出演してる。イーストウッドは5人も娘がいて、長女キンバー・リン・イーストウッドと五女モーガン・イーストウッドとの年の差はなんと36だっていうんだから凄い話だ。

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フェイス/オフ

2007年03月07日 02時10分18秒 | 洋画1997年

 ◇フェイス/オフ(1997年 アメリカ 138分)

 原題/Face/Off

 監督/ジョン・ウー 音楽/ジョン・パウエル

 主題歌/INXS『Don't loose your head』

 挿入曲/オリヴィア・ニュートン=ジョン『Over the Rainbow』

 出演/ジョン・トラボルタ ニコラス・ケイジ ジョアン・アレン ジーナ・ガーション

 

 ◇マイケル・ダグラスは何で出ないの?

 制作総指揮を買って出たにしては、なんで?とはおもうんだけど、ジョン・トラボルタとニコラス・ケイジが霞んじゃうかもしれないしね。

 ま、それは仕方のないこととして、悪玉と刑事の顔が入れ替わり、追う者と追われる者の立場が逆転してしまうという発想はなんとも斬新だ。ていうか、ぼくがそのほかの映画をおもいつかないだけで、こういう入れ替わりの妙を持った作品はほかにどんなのがあるんだろう?

 発案したのがジョン・ウーかどうかはわからないけど、映像の展開とスローモーションのカッティングはやっぱり見事だ。これでもかというアクション繋ぎもいうことなし。流石ですわ。

 ただ、他人の顔をつけて他人の家族を騙さなければならなくなると、人はどうしても好い人であろうとするから当然やさしい人格に豹変するというのは、この脚本が生み出したおもわぬ真実で、他人の妻を他人のふりをして寝盗るという異常な昂揚もまた同じだ。

 でも、そもそもの設定になってる刑事が悪玉を憎悪する理由が、幼い息子を殺されたということで、これが味噌のひとつになってるんだけど、佳境、悪玉の息子を刑事がひきとって帰宅するのは理屈としては好いとして、問題は、フェイスだ。悪玉は刑事に殺されるんだけど、その遺児はふたりの関係をどう理解するんだろ?

 母親は悪玉の顔をした刑事に息子を託すが、息子は父親の顔をした刑事を父親とおもっているわけで、最後に父親が死んでしまったあと、自分をひきとるのは父親の顔から刑事の顔に戻ってしまった刑事となる。

 つまり、父親の顔をした刑事は、刑事の顔をした父親を殺したわけだけど、息子にとって、刑事の顔にもどった刑事は、刑事の顔で死んだ父親の仇なんだよね。こいつぁ、なかなか、この先の息子の心模様が大変だぜ。父親同士の関係を理解するっていうより、こちゃまぜになった感情のやり場として。

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ロスト・ワールド  ジュラシック・パーク

2007年02月24日 01時52分34秒 | 洋画1997年

 ◇ロスト・ワールド  ジュラシック・パーク(1997年 アメリカ 129分)

 原題/The Lost World: Jurassic Park

 監督/スティーヴン・スピルバーグ 音楽/ジョン・ウィリアムス

 出演/リチャード・アッテンボロー ジェフ・ゴールドブラム ジュリアン・ムーア

 

 ◇マイケル・クライトン『ロスト・ワールド―ジュラシック・パーク2―』

 大巨獣ガッパ?

 無数に映画があると物語の展開って似てしまうものなんだろうか?

 スピルバークかクライトンが、日活唯一の怪獣映画を見てる訳ないしな~てなことをおもったものの、こんな話を耳にした。前作の『ジュラシック・パーク』が製作された際、うそかほんとか知らないけど『怪獣総進撃』の怪獣島をモデルにしたと。

「へ~」

 てなもので、となると、あながち『大巨獣ガッパ』も無理な話じゃないよね。

 ただ、ジェラシックパークでのエピソードが盛り沢山になってて、登場人物を前作から引き摺ってるところへさらに新しい役の説明まであって、肝心のガッパ篇に入るまで手間取るのが辛いところだ。

 だから、子供を助けるために恐竜が町を席捲してゆくところが短くなるわけで、島だけで終わらせた前回との差をつけるとすれば、町を破壊して人間を恐怖に陥れるしかないわけだから、やっぱり、尺の測り方を間違ったんじゃないかな~とか、おもうんだよね。

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ディアボロス 悪魔の扉

2007年02月23日 01時50分35秒 | 洋画1997年

 ◇ディアボロス 悪魔の扉(1997年 アメリカ 144分)

 原題/The Devil's Advocate

 監督/テイラー・ハックフォード 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 出演/キアヌ・リーヴス アル・パチーノ シャーリーズ・セロン コニー・ニールセン

 

 ◇アンドリュー・ネイダーマン『悪魔の弁護人』

 セロンの出世作?

 前半、おどろおどろしさが弱く、悪魔物という印象が薄くなってるのはちょっと心配なところだ。とはいえ、その分、シャーリーズ・セロンがものすごく好い。主演のふたりを完全に食ってるのが、なんとも嬉しい。

 けど、悪魔にして実の父のアル・パチーノが巨大な弁護士事務所を経営してて、そこに誘われたキアヌ・リーヴスが悪魔に魂を売らずに奮闘するって構図は、トム・クルーズの『ザファーム 法律事務所』とおんなじじゃない?てなことを、おもってしまった。

 てか、これって、巨大な父親が「おれの後を継げ」っていってるのを、多感な青春期にある息子が正義感をふりかざして抵抗してるんだけど、結局は、酸いも甘いも噛み分けた父親の掌で遊ばれてるって話じゃない?

 それがたまさか悪魔の一族だったもんだから、すこしばかり世の中の家族とは違っておどろおどろしいってだけだよね?

 要するに、映画の構図ってのは、余分な修飾をとりはらってしまえば、あんまり変わらないってことなんだけど、でも、その悪魔的で官能的な部分があるから、この作品になれるわけだもんね。

 ま、そんなしちめんどくさい話はさておき、主役の設定がまじめすぎるのは、もしかしたら作品のパワーを下げちゃうのかもしれないね。けど、そうじゃないと悪魔には対抗できないし、でも、悪魔の方が魅力的だしで、ほんと、難しいところだね。

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ミミック

2007年02月22日 01時48分35秒 | 洋画1997年

 ◇ミミック(1997年 アメリカ 106分)

 原題/Mimic

 監督/ギレルモ・デル・トロ 音楽/マルコ・ベルトラミ

 出演/ミラ・ソルヴィーノ ジェレミー・ノーザム ジャンカルロ・ジャンニーニ

 

 ◇ドナルド・A・ウォルハイム『擬態』

 ミミックの意味は、擬態。

 で、擬態ってのはなにかっていうと、爬虫類や昆虫とかが内緒で獲物に近寄ったり、怖い相手から身を守ったりしたいときに体の色や形とかをまわりの木や草や模様に似せるでしょ?あれです。コノハチョウが枯れ葉にそっくりになるのが、それ。で、この映画なんだけど、あんまり擬態は関係なくない?

 カイル・クーパーのタイトルデザインがあまりにも秀逸だったもんで、

「こりゃ、すげー映画が始まったかもしれん」

 てことをおもったんだけど、意外と手頃なB級ホラーに徹してた。

 とはいえ、演出がギレルモ・デル・トロなんで、廃墟、地下、異形とくれば、もう、十八番の世界だから、当然、気持ち悪いし、薄気味悪いし、でも、ちょっとそそられる。

 だから、エイリアン地下鉄版とはいいきれないので、子どもを抱いたミラ・ソルヴィーノが銃を構えて「カマ~ン!」とは叫ばない。

 あ、遺伝子を変異させて出来上がった「ユダの血統」の羽音は不気味だし、ユダたちが前足によって人間の顔に擬態という設定は良いね。ていうか、ほとんどこれだけがタイトルに関係してるんだけど、もしかしたら、原作はもっとこの擬態が中心になってるのかもしれないね。ふつうに人間だとおもってたら、うげ?!てなことになったりして。

 まあ、活字が苦手なぼくの勝手な想像なんだけど。

 それと「やつらの遺伝子は人間の体内に巣食わないの?」ていう疑問がちょっとだけ浮かんだけど、ま、余計な話だよね。

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迷宮のレンブラント

2007年01月26日 12時45分05秒 | 洋画1997年

 ◎迷宮のレンブラント(1997年 アメリカ 107分)

 原題/Incognito

 監督/ジョン・バダム 音楽/ジョン・オットマン

 出演/ジェイソン・パトリック イアン・リチャードソン イレーヌ・ジャコブ ロッド・スタイガー

 

 ◎隠れた佳作

 絵画や彫刻とかいった美術の世界ではよくあることかもしれないけど、映画でも、世の中にいまだ知られていない傑作がごまんとある、はずだ。

 この映画もそうで、ジョン・バダムといえば、出世作になった『サタデー・ナイト・フィーバー』はちょっと毛色が違うけど、けっこう、アクション物では手堅い仕事をし、それなりに名もとおっている。

 ところが、なんでか知らないけど、この作品はなんとなく陰に隠れてる。

 実は、おもしろいんだ。それどころか、贋作物をあつかった映画ではトップクラスじゃないかな?

 そう、おもわずいいたくなっちゃうほど、レンブラントの贋作を依頼され、当時の絵の具を再現させようと苦心しつつ、描き上げても尚、古さを出すために小細工を繰り返し、ようやく仕事を仕上げるまでの精巧な行程は妙に納得しちゃうし、主役のふたりがホテルのバーで情事におよぶまでの丹念さは、見事なものだ。

 ただ、刑事のちょっと足りないところや、共犯者の嘘を自白に頼ろうとするのも脚本が、すこしばかり弱い気もする。けど、主役を繋いでいる手錠のくだりとか、そういう些細なことをあげつらっても仕方がないんで、

「レンブラントにしては洗練されすぎてる」

 っていうヒロインの台詞がすべて物語っているように、贋作がどうしようもなく持たされている運命が皮肉られてるんだよね。

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真夜中のサバナ

2007年01月24日 12時37分57秒 | 洋画1997年

 ◎真夜中のサバナ(1997年 アメリカ 155分)

 原題/Midnight in the Garden of Good and Evil

 監督/クリント・イーストウッド 音楽/レニー・ニーハウス

 出演/ケヴィン・スペイシー ジョン・キューザック ジュード・ロウ ジャック・トンプソン

 

 ◎サバナ?サヴァナ?

 町の呼び方で正しいのがどれかはわかんないけど、映像で観るかぎり、とっても美しい米南部の古都って感じだ。歴史と伝統がありながらもそれなりに現在もなお発展している町は、観ていて気持ちがいい。

 日本の町でもそうだけど、歴史があっても現在は過疎化してしまったり、人口は増えてても町の中心は空洞化してしまったり、伝統的な建物の価値を認めず単なる田舎に堕してしまったり、なんでもかんでも新しいものだけに価値を感じるような所が少なくない。

 そういうのってすげー嫌だけど、サバナは違うんだよな~。イーストウッドの演出によるものってことは百も承知だけど、でも、町そのものが不思議な雰囲気を持って、息づいてる。

 もちろん、不思議を通り越して、ブードゥー教とか、ゲイ・クイーン(レディ・シャブリを演じたのは本物)とか、まあ、いつ殺人が起こってもおかしくないような異常さもあるんだけどね。

 けど、そういう不可思議な町を舞台にしながら、外連味の無い映像で描かれてる。保守的なのか斬新的なのかわからないこの町で、淡々と語られる地味な話も、メローな音楽もなんとも好い。結局、本筋になってるのは、原作者のジョン・ベレントが現在の奥さんに出会う話なんだけど、そのきっかけになった町の名士の殺人事件がメインだ。

 屋敷に出入りしていた美青年を殺害した際、美青年が最初に発砲したのかどうか、名士の殺人は正当防衛なのかどうか、最後に名士の告白によって、真実めいたことはわかる仕組みにはなってるけど、皿を両手にして、

「どちら?」

 と聞いているような少女の像が全て語ってる。

 それはさておき、愛娘アリソン・イーストウッドのキスの場面を撮っちゃうとか、いや、イーストウッド、監督に徹してるわ。

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恋愛小説家

2007年01月21日 12時42分29秒 | 洋画1997年

 ◎恋愛小説家(1997年 アメリカ 139分)

 原題/As Good as It Gets

 監督/ジェームズ・L・ブルックス 音楽/ハンス・ジマー

 出演/ジャック・ニコルソン ヘレン・ハント グレッグ・キニア スキート・ウーリッチ

 

 ◎斧は持たないのか?

 そのかわりに、プラスティックのフォークとナイフ。

『シャイニング』と似ているのは、主人公の精神構造だ。

 いつぶちきれるかわからないような異常ともいえる潔癖症で、観ているこちらとしては、次になにが起こるかはらはらさせられる。それほど、この映画の主人公である恋愛小説家は、まわりの人間を言葉でぶち殺してしまうような毒舌家のため、いつまでも結婚できない偏屈屋という設定になってる。

 いや、まったく、老いて尚、魁偉な演技の出切る男ジャック!どうしてここまでセクシーかつ気味の悪さを演じられるのか不思議だけど、やけに可愛い。そこが『シャイニング』とは真反対な人間像に作られてる。

 にしても、犬をダストシュートに放り込んだりするところ、これって動物愛護団体から文句は出なかったんだろうか?

 もっとも、そのあとの可愛がりようから、そんな心配は吹き飛んじゃう。

 そう、この映画はあまりにはらはらさせる溝嫌い、線恐怖症の男が、いつのまにやら、あまりにも奥手で純粋で不器用なことがわかることから、そのわがままぶりから毛嫌いされているはずが、その可愛らしさから誰からも愛されるようになるという筋立てになってる。なんとも見事な設定と脚本、そして、ジャック・ニコルソンの大仰な顔と演技がぴったりとはまってる。

 音楽がこれまたほのぼのと可愛い。

 と、ここまではいいんだけど、こうした主人公の設定や話の筋は、えらく簡単なように見えて、なかなか考えつかないものだ。ところが、この映画が封切られてからのこと。この映画の設定や筋に、非常に細かい部分まで恐ろしいほど酷似した日本のテレビドラマがあり、とある大手新聞がそのプロデューサーにインタビューし、オリジナル脚本のおもしろさについて取材され、記事になってた。

 ぼくは、ちょっとふるえた。

「え!オリジナル!?」

 ものすごい偶然のなせるわざだとおもった。

 ぼくみたいな凡人にはとても考えつかない設定と筋立てなんだけど、世の中には、海を隔てた日本とアメリカで、やや時間差はあるものの、ほぼ同じ時期に、まったく寸分たがわないようなドラマができるなんて、物語をつむぎだす人達の発想ってのは似てくるものなんだろか?

 世の中にはありえないことがありえるもんなんだね。

 びっくりしたわ、まじに。

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