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☆=☆☆☆☆☆
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ガメラ 大怪獣空中決戦

2014年11月26日 18時40分14秒 | 邦画1991~2000年

 ◎ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年 日本 95分)

 英題 Gamera:Guardian of the Universe

 staff 監督/金子修介 脚本/伊藤和典 特技監督/樋口真嗣 撮影/戸澤潤一 照明/吉角荘介 美術/及川一 怪獣造型/原口智生 衣装デザイン/馬場紀子、長田好宣 音楽/大谷幸 主題歌/爆風スランプ『神話』作詞:サンプラザ中野 作曲:ファンキー末吉、斉藤かんじ、井上鑑 編曲:井上鑑、爆風スランプ

 cast 伊原剛志 中山忍 藤谷文子 螢雪次朗 本郷功次郎 小野寺昭 本田博太郎 長谷川初範 久保明 松尾貴史 袴田吉彦 渡辺裕之 渡辺哲 風吹ジュン 夏木ゆたか 石井トミコ 大島蓉子 真山勇一 木村優子 大神いずみ 古賀之士 永井美奈子 若林健治

 

 ◎特撮とボク、その62

 実に、おもしろい。怪獣映画の中では五指に入るんじゃないかって、ぼくは信じてる。

 いまさら物語をつづったところでどうなるものでもないから書かないけど、脚本の見事さに加えて、編集が小気味いいんだよね。予算の足りなさを編集が補ってる感じがひしひしとする。余計だなと感じたのは主題歌で、関係した人達には申し訳ないけど、ぼくは常に邦画の主題歌や挿入歌については見え見えのタイアップに嫌気がさしてるものだから、特別な場合を除いてすべて余計な物として排除したいっておもってるんだよね。

 この平成シリーズでいちばんの注目はやっぱりなんといっても螢雪次朗で、ぼくとしては本郷功次郎の出演が嬉しくてたまらないけど、螢雪次朗の師匠の螢雪太朗が『ガメラ対ギャオス』ですっ飛ばされてるのをおもうと、ほんと、このキャスティングは嬉しい。

 当時、ゴジラの復活が最初の一作を除いてあらかた期待外れに終わり、その絶望感に反してこの作品の圧倒的なおもしろさは意外をとおりこして驚きだった。金子修介はアニメや漫画の実写化においては世間の認めるところだし、ぼくも好きな監督のひとりではあるんだけど、この作品に関してはおもいきり拍手したいくらいだった。

 藤谷文子の素人くさい演技がちょっぴり辛いところでもあるんだけど、それはまあ仕方のないこととおもうしかない。とはいえ、さすが血はあらそえないっていうのか、存在感はあるんだよね。だから、この後もシリーズの狂言回し的な役割を演じていったのはよくわかる。

 物語についてよかったことは、ガメラの設定をまったくやり直したことで、ギャオスが孵化しなければガメラは蘇生しなかったというアトランティス文明の滅亡と希望のからくりは実に興奮もので、こののち、ゴジラでも似たような超古代史を組み込んできたのは失敗だったんじゃないかとおもうものの、こちらはいうことなしだ。もちろん、原口智生の造形もいい。子供じみたガメラやギャオスを脱却して、破壊的な印象が濃い。これがいいんだ。

 音楽もまたいい。大谷幸の主題曲はようやくにしてガメラのテーマが世に出たって感じがして、歓迎することこの上ない。昭和ガメラはもうギャオス以降はきわめて残念で、そのあたりは昭和ゴジラの後半期とほとんど同じで、特撮映画とともに育ってきたぼくにとってはとっても悲しい展開だったんだけど、そういう無念さを吹き飛ばすようなちから強さのある音楽なんじゃないかしら。

 ということで、ひさしぶりに観ても、やっぱりよかったわ。

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D坂の殺人事件

2014年10月28日 03時46分24秒 | 邦画1991~2000年

 ◇D坂の殺人事件(1998年 日本 90分)

 staff 原作/江戸川乱歩『D坂の殺人事件』『心理試験』

    監督/実相寺昭雄 脚色/薩川昭夫 撮影/中堀正夫

    美術/池谷仙克 劇中画/前田寿安 緊縛指導/早川佳克

    衣裳/古藤博、増田和子 音楽/池辺晋一郎

 cast 真田広之 嶋田久作 岸部一徳 六平直政 寺田農 堀内正美 東野英心 原知佐子

 

 ◇大正13年、東京市文京区本郷駒込林町団子坂

『それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった』

 というのが、原作『D坂の殺人事件』の出だしだ。

 物語の骨格はほぼ『D坂』のそれに近い。

 ところが、登場してくる蕗屋清一郎は『心理試験』の主人公の名だ。

 つまり『D坂』の骨組みに『心理試験』が織り込まれてるんだね。

 まあ、中身については、

 なんとなく『怪奇大作戦』の『呪いの壺』をおもいだしちゃったりしたんだけど、

 出だしの紙のジオラマは、

 人形作家石塚公昭の「団子坂の三人書房」ほどには精緻ではないものの

 映画は絵空事なのだという前提をあらわしているみたいで、

 予算の乏しさを実相寺風に切り返したんだって感じがして好感が持てる。

 それと、

 吉行由実のいかにも淫靡な雰囲気と日本的な顔とは、

 なんとなく官能的なししおきとほどよく合ってて、

 なんとも猟奇的な仕上がりになってる気もした。

 乱歩の世界でもあり、実相寺の世界でもあるように感じられたしね。

 とはいえ、中学生のときに乱歩に耽溺していたぼくとしては、

 やっぱり、原作に沿ってほしかったっていう気持ちもないことはないんだけど、

 そこはそれ、ぼくには映画は監督の世界でいいっていう持論もあるし、

 なんともいえないところだ。

 ところで、

 もう乱歩を読まなくなって30年くらい経つんだけど、

 中学当時、ぼくはむさぼるように乱歩を読んでた。

 こまっしゃくれていたとはいえ、所詮がきんちょだったから、

 乱歩の妖しい魅力のほんのかけらしかわからなかったはずなんだけど、

 それでもなんとなく匂ってくる独特の世界に、ぼくは引き込まれてた。

 もちろん、当時は女体なんぞ見たこともないし、

 嗜虐趣味についてはまるで知らなかった。

 そんな中学生すらも誘い込んでしまったんだから、やっぱり乱歩は凄い。

 でも、人間、日々の生活をおくっていると、

 懐かしい物との邂逅はほとんどなくなってしまう。

 せっせとためた江戸川乱歩全集も実家で埃をかぶったままだし、

 いったいいつになったら、

 乱歩三昧の日々を送れるんだろね。

 そんな日は来るのかな~とおもいながら、

 せめて乱歩原作の映画くらいは見ていたいとおもうんだよな~。

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モスラ3 キングギドラ来襲

2014年09月19日 19時11分38秒 | 邦画1991~2000年

 ◇モスラ3 キングギドラ来襲(1998年 日本 99分)

 英題 Rebirth of Mothra III

 staff 監督/米田興弘 特技監督/鈴木健二 脚本/末谷真澄 撮影/関口芳則 美術/櫻木晶 エリアス衣裳デザイン/竹田団吾 衣裳/松山さと子、川崎健二 音楽/渡辺俊幸 主題歌/小林恵『Future』 挿入歌/小林恵、建みさと『モスラの歌』作詞:由起こうじ、インドネシア語訳詞:大槻秀樹、作曲:古関裕而、編曲:渡辺俊幸 ナレーション/山口紗弥加

 cast 小林恵 建みさと 羽野晶紀 松田美由紀 大仁田厚 並樹史朗 上田耕一 田中友幸(写真)

 

 ◇特撮とボク、その61

 また出たか、時間跳躍の必殺技が…。

 なんでキングギドラが関係すると過去にもどってその根源を絶つとかいう戦術が考え出されてくるんだろ。タイムマシンの代わりがモスラになるわけだけど、過去に戻ったら二度と帰れないっていうところからなにかあるなとおもっていれば、眉の中に封じ込められたモスラが最強の鎧モスラになって復活するっていう凄い技はもうこれっきりにしてほしいっておもうわ。

 まあ、エリアスの3姉妹が考えられたときから、この最後の展開は考えられていたかもしれないんだけど、それぞれの宿命として「愛」と「知恵」と「勇気」を持っているというのはいいとして、なんでベルベラが「空から恐怖の大魔王が降りてくる」とかって預言するんだよ。おまえは、ノストラダムスか。

 新しい怪獣を登場させないでキングギドラにしてしまった安易さは、ぼくとしてはあんまり納得できないところがあって、数万人の子供たちを捕食することで自分のエネルギーに変えるっていう設定もちょいと納得できないし、捕食するんだったら次々に食べちゃえばいいものをわざわざ青木ヶ原の樹海の中にドームを作ってそこで飼育するっていうのもちとわからん。だいたい、原始時代においてキングギドラが恐竜を食べていたっていう設定もなんだかよくわからんところがあって、キングギドラって生態系の中に組み込まれちゃうような怪獣なのかって気もしないではない。

 つまり、やっぱり新しい怪獣を創生して、このあんまり品のよくない設定をもうすこし練っていった方がよかったんじゃないかしら。平成モスラの最終作だし、安易な手段はとらずに、せっかく前2作の怪獣がよかった分、なんだか色褪せた感じはいなめないんじゃないかと。

 ま、それと、モルの死と蘇生という主題もあったことだし、ベルベラとの確執が作品の主題にならないといけないんじゃないかっておもうんだけど、そういう発想はなかったんだね。なんだか、物語の臍はなんだったんだろうって気がしちゃうんだよね。インファント島が置き去りにされてるんじゃないかと。

 そういうところもあって、3作目はちょいと見劣りしたかな。

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モスラ2 海底の大決戦

2014年09月18日 18時22分35秒 | 邦画1991~2000年

 ◇モスラ2 海底の大決戦(1997年 日本 100分)

 英題 Rebirth of Mothra II

 staff 企画・原案/田中友幸 監督/三好邦夫 特技監督/川北紘一 脚本/末谷真澄 撮影/関口芳則 美術/清水剛 衣裳/松山さと子 音楽/渡辺俊幸 オーケストレーション/沢田完 エンディングテーマ/Folder『NOW AND FOREVER』 挿入歌/小林恵、山口紗弥加『モスラの歌』作詞:由起こうじ、インドネシア語訳詞:大槻秀樹、作曲:古関裕而、編曲:渡辺俊幸

 cast 小林恵 山口紗弥加 羽野晶紀 満島ひかり 紺野美沙子 細川ふみえ 野波麻帆

 

 ◇特撮とボク、その60

 田中友幸の遺作である。

 それと満島ひかりの初主演作でもある。

 こうやってどこの世界も代替わりしていくんだろうけど、なんでか知らないけど、この平成のモスラシリーズはどことなく片隅に追いやられてるような印象がないでもない。この2ではニライカナイ文明とかいうムー大陸の亜流のような超古代文明が設定されているんだけど、往々にして、超古代の文明は自然や環境について現代社会よりもしっかり考えているわりに制御に失敗して滅んでる。その昔は核戦争とかがあったりしてみずからの文明を破壊してしまって滅んでる。まあそんなところではあるんだけど、怪獣映画の場合、その制御をあやまって破滅を実行をさせたものが驚異的な技術によって創生された怪獣ってことになる。

 海魔獣ダガーラがそうだ。

 このダガーラのデザインと造形はかなりいい。

 平成モスラの怪獣はほんとによく考えられてて、ぼくは贔屓にしてる。なんでゴジラのシリーズよりもちゃんとできてるんだろうっておもうし、なんでもっとファンがつかないんだろうともおもうんだけど、そこがゴジラとモスラの差ってやつなんだろうか。

 ただまあ、登場人物たちはきわめて典型的っていうか類型的っていうか、満島ひかりのことが好きなくせにいじめてて、どこでもくっついてくるデビとチビにいたってはもう頭を抱えちゃいそうになるし、満島ひかりの実家の民宿にとまってる得体の知れない小心者で憎めない心やさしい泥棒もまた溜め息をつきそうになっちゃうんだけど、そこはそれ、邦画の場合はどういうわけか大人目線の子供と悪人が設定されるもんだから、こうならないものはない。

 それと、ここでもそうかってばかりに、インディ・ジョーンズのシャンカーラが登場する。もういい加減にしてくれないかな~っておもうのはぼくだけじゃないような気がするんだけど、そうじゃないのかな。シャンカーラをレリーフの安置場所に置かないとピラミッドが破壊されちゃうみたいな設定は、もうちょいと飽きた。

 モスラが水中バージョンに変身するのはまあ仕方ないとしても、いったいモスラってなんなんだよっていう気にもなってくる。かつてモスラはインファント島の守り神だったはずで、それがいつのまにやら地球の守護神みたいな感じになってきて、妖精の王様なのか怪獣なのかよくわからない。ともかく人智を超えた何物かになっちゃってるわりには寿命があって、前作のように親が斃されて子供がそれを継ぐ。ふしぎな怪獣なんだけど、蛾っていうより蝶々みたいになってきて、あの6本足はちょいといただけない。

 まあ、それはそれとして、海の汚染と破壊について真正面から取り組もうとしている姿勢は評価に値するし、田中友幸という怪獣映画の海の親の遺作としては立派なものなんじゃないかっておもうんだけど、どうかしら?

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モスラ (1996年)

2014年09月17日 18時36分28秒 | 邦画1991~2000年

 ◇モスラ (1996年 日本 106分)

 英題 Rebirth of Mothra

 staff 監督/米田興弘 特技監督/川北紘一 脚本/末谷真澄 音楽/渡辺俊幸 撮影/関口芳則 美術/部谷京子 デスギドラ・デザイン/吉田譲 エリアス衣装デザイン/本谷智子 劇中歌/『モスラの歌』歌:小林恵、山口紗弥加、作詞:由起こうじ、インドネシア語訳詞:大槻秀樹、作曲:古関裕而、編曲:渡辺俊幸 『祈りの歌』『モスラレオ』歌:小林恵、山口紗弥加、作詞:楊銀華、作曲:矢野顕子、編曲:渡辺俊幸

 cast 小林恵 山口紗弥加 羽野晶紀 萩原流行 寺尾聰 高橋ひとみ 梨本謙次郎 本多猪四郎(写真)

 

 ◇特撮とボク、その59

 実は、この新生モスラの3部作は意外によくできてる。

 ていうか、ぼくはけっこう楽しめた。

 ファンタジー色はかなり濃厚で、環境破壊を阻止しなくてはいけないという主題もまた前面によく出てる気はする。特撮もまた合成がよくできてて、デスギドラを封印していたメダル・エリアスの盾を取り合いとなった、家の中での黒い妖精ベルベラとエリアス姉妹による空中追いかけっことか、意外に楽しんじゃったりしたのだ。

 デスギドラのデザイン、ぼくはけっこう気に入ってる。キングギドラの亜種といっていいのかどうか、たぶんそうなのだろうけど、怪獣としての完成度は高いんじゃないかと。ある時期、怪獣のデザインはきわめて行き詰まり、ゴジラのシリーズでももはや二度と観たくないようなものまで出てきちゃったりしたけど、このデスギドラはとてもいい。

 なんていうか、女の子向けの特撮映画ってなかったようにおもうし、そういう雰囲気が漂ってたりする作品はめずらしいんじゃないかっておもうんだよね。妖精たちはたしかに肌はけっこう露出されてるんだけど、でも健康的で活動的だ。まあ、モスラのミニ版のフェアリーは安直な気がしないでもないけど、ベルベラの使う怪獣型のロボット・ガルガルは秀逸の出来栄えなんじゃないかとすらおもったりするんだ。

 それと、小美人、コスモス、エリアスと変化してきた双子の小人なんだけど、今回は双子ではなくて姉妹ってイメージなんだね。ていうか、羽野晶紀演じるベルベラが長女で、3姉妹なのね。知らなかったわ~。ま、役割分担がなされたのは初めてなんじゃないかっておもうし、これはこれで正解だったんじゃないかと。ただ、末っ子のロラはいいとして、モルっていう名前はやめてほしかった。『マグマ大使』じゃないんだから。あ、ところで、ベルばらみたいな名前のベルベラってのはなんで悪者になってんだろう。なんの説明もないのが唐突な気もするんだけどな~。

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ゴジラvsデストロイア

2014年09月16日 13時04分32秒 | 邦画1991~2000年

 ◎ゴジラvsデストロイア(1995年 日本 103分)

 英題 Godzilla vs. Destoroyah

 staff 製作/田中友幸、富山省吾 監督/大河原孝夫 特技監督/川北紘一 脚本/大森一樹 撮影/関口芳則 美術/鈴木儀雄 ゴジラジュニア・デザイン/西川伸司、岡本英郎 デストロイア・デザイン/幼体・集合体・飛行体:吉田穣、完全体:岡本英郎 衣裳/斎藤育子 衣裳コーディネーター/出川淳子 音楽/伊福部昭

 cast 辰巳琢郎 石野陽子 林泰文 小高恵美 大沢さやか 村田雄浩 上田耕一 平泉成 藤巻潤 小野武彦 神山繁 河内桃子 高嶋政宏 中尾彬 篠田三郎

 

 ◎特撮とボク、その58

 ゴジラは、呉爾羅大明神だった過去はもはや片鱗すらない。

 それどころか、原子炉を搭載したサイボーグ怪獣と化したかにすらおもえるような設定は、いったいどんな思考からできあがるんだろう。文系とか理系とかいった差別化は好きじゃないけど、あえてそうするのなら、この物語は理系の脳味噌から生まれてきたとしかおもえない。体内にある核融合炉がメルトダウンをひきおこして大爆発するとかって、まじか?

 しかしどれだけ唖然としたところで仕方がないし、ゴジラと共に育ってきたようなぼくとしては観てそれなりの決着をつけないといけないとおもった。まあ、物語としては理解できる。微小体(クロール体)・幼体・集合体・飛行体・完全体へと変化成長していくデストロイアという怪獣の設定はおもしろいし、この怪獣の生まれた理由がオキシジェン・デストロイヤーによるものという設定もいい。かつてゴジラを斃した際に海底に眠っていた古生代の微小生命体が無酸素環境下で復活し、異常進化を遂げ、急速に巨大化したっていうんだけど、ゴジラと最終的な決着をつけるのはこのよく形のわからないオキシジェン・デストロイヤー怪獣しかないという発想もわかる。

 けど、それだったら、ゴジラジュニアとかいらないじゃん。

 とおもってしまうのも無理のないところなんだけど、3代目のゴジラを想定する上でどうしても必要だったんだろね。こういうあたりがなんとも未練がましい感じもある。けどまあ、できちゃってるんだから仕方がない。メルトダウンしてもはや自滅するしかなくなったゴジラはデストロイアと刺し違えるようにして斃れるんだけど、その際、高濃度の放射能が撒き散らされ、デストロイアによって斃されていたゴジラジュニアにもそれが降りかかり、すでにゴジラのエネルギーを大量に預けられて、かつ天然のウランを浴びてほぼゴジラ化していたジュニアは、ついに放射能の灰の中に立ち上がり、ゴジラとして完全な復活を告げるわけで、これはこれでシリーズを存続させる上ではどうしようもない話だ。

 ちょっとだけ勘弁してよっておもうのは、予告編から本編にいたるまでナレーションも役者の台詞もずいぶんな割合で、デストロイアとはいわずにデストロイヤーといっていることだ。発声がしっかりしていないわけで、ちゃんとしなくちゃダメじゃんね。これは、あきらかな文句だ。

 ただ、この物語は完全に初代ゴジラの初登場した『ゴジラ』から続いている世界で、なんといっても河内桃子の登場にはある種の感動すらおぼえる。この作品を最後にシリーズの製作をおりた田中友幸もそうだけど、伊福部昭のゴジラシリーズ最後となった音楽の気合の入れようたるや、凄い。

 まあ、そんなこんなから観ていくと、総じてぼくはこの作品はそれなりの終止符を打つものだったとおもうわ。

 結局、復活することは自明なんだけどね。

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ゴジラvsスペースゴジラ

2014年09月15日 14時10分32秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsスペースゴジラ(1994年 日本 108分)

 英題 Godzilla vs. SpaceGodzilla

 staff 監督/山下賢章 特技監督/川北紘一 脚本/柏原寛司 撮影/岸本正広 美術/酒井賢 モゲラ・デザイン/吉田穣 衣裳/斉藤育子 衣裳コーディネイト/出川淳子 音楽/服部隆之 主題歌/デイト・オブ・バース『ECHOES OF LOVE』作詞:NORICO/作曲:重藤功 挿入歌/今村恵子、大沢さやか ゴジラのテーマ/伊福部昭

 cast 橋爪淳 小高恵美 中尾彬 上田耕一 佐原健二 小堺一機 松村邦洋 今村恵子 大沢さやか 吉川十和子 柄本明

 

 △特撮とボク、その57

 簡単にいってしまえば、リトルゴジラとフェアリーモスラが不要。

 ゴジラを友達の仇だとして狙い続けている軍人がいようといまいと、もはや、南洋から日本にかけての一帯が怪獣を中心にした観ようによってはなあなあの楽園と化してしまっている以上、そこに緊迫感はかけらもなくなっている。これは、悲しいことだ。せっかく平成のシリーズにおいてはゴジラの役どころは悪とされていたんだから、それを踏襲すればいいはずが、なぜか、スペースゴジラなんてものが登場してしまうと、どうしてもゴジラは正義の側に立たざるをえなくなる。それは長く続いてしまうシリーズのいちばん憂慮するところだけど、そこへもってさらにゴジラを軟化させてしまうリトルゴジラだの、怪獣映画がファンタジー映画になってしまいかねないフェアリーモスラだのが登場してしまっては、もはやどうしようもない。

 こういう辛さというかジレンマを、どれだけ製作者側は持っていたのか聞きたくなっちゃう。

 この1994年という年は、ガメラが復活した年でもあり、観客層からいえばあきらかにゴジラの方が若かった。というより、幼かった。ガメラは旧大映のつくりだした子供の味方であるという立場をかなぐり捨てて、アトランティスの守護神として登場した。ゴジラは、そういう背景を持たされなかった分、つらい。

 くわえて、この平成シリーズのいちばん微妙な点、つまり、良かったのか悪かったのかわからないという意味での微妙なところは、ゴジラを破壊神であるとかいって、なんだかHERO的な定義をしてしまったことだ。アメリカにおいて『GODZILLA』が制作されることになったため、そのスペルが一般的なものになったとき、日本人の中にGODという意識がいっそう余計に生じちゃったのかもしれないんだけど、とにかくゴジラを祀り上げちゃった。これは、ほんと、良かったのかどうか。

 それと、この平成シリーズにいつも出てくるGフォースとかいう自衛隊の特別編成ゴジラ対策部隊と超能力開発センターなんだけど、これがゴジラのあらたな物語を幼稚にさせてしまったいちばんの理由におもえてならない。Gフォースの新兵器が登場するたびに、それを好きな観客にとっては楽しみなのかもしれないけど、ぼくはいささか減滅したりもする。だったら、ほかに目新しいものを考えられるのかといわれそうだけど、地に足のついた怪獣映画を期待していると、どうしても既存の兵器で人間のちからを押し出してほしいとかっておもっちゃったりするんだよね。

 それと、G細胞の話にばかり食い込んでいくのも、なんだかな~っていう気がしないでもない。ビオランテで設定されたG細胞が延々と続けられ、ついには宇宙怪獣としてのゴジラまで生んでしまうと、もはや歯止めが効かなくなってくるような不安さをおぼえる。

 いったどこまで風呂敷が広がっていくんだろうと。

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ゴジラvsメカゴジラ

2014年09月14日 22時18分20秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsメカゴジラ(1993年 日本 107分)

 英題 Godzilla vs. Mechagodzilla II

 staff 監督/大河原孝夫 特技監督/川北紘一 脚本/三村渉 撮影/関口芳則 美術/酒井賢 ガルーダデザイン・製作/小川正晴 衣裳/斉藤育子 衣裳コーディネイト/出川淳子 音楽/伊福部昭

 cast 高嶋政宏 佐野量子 中山忍 小高恵美 ラサール石井 今村恵子 大沢さやか 原田大二郎 宮川一朗太 中尾彬 上田耕一 佐原健二 高島忠夫 川津祐介

 

 △特撮とボク、その56

 前作のゴジラザウルスといい、今回のベビーゴジラといい、どうしてゴジラの外縁にばかり注意を向けているのかがわからない。物語の主役はいったい誰なんだろう?

 ていうか、ゴジラの托卵って、いったいなんなの?なんでゴジラがラドンの巣に卵を托すんだろね。いや、100万歩ゆずって托卵したにせよ、ラドンなのか翼竜なのかよくわからないんだけど、地球上でそんなかなり特別で危険な場所をわざわざ選んで托卵とかするんだろうか。しかも、それで生まれた子供(ベビーゴジラ)がなんだか佐野量子を親とおもってしまうような展開とかって、どうなのっておもっちゃうんだよね。子供だましの映画を見せられてる気分になってくるのはぼくだけなんだろうか?

 ベビーゴジラもそうなんだけど、どうもこの平成ゴジラシリーズは余分な新兵器の多さに閉口する。今回もそうで、ガルーダもそのひとつながらそうした新兵器を投入してくるGフォースとかいう自衛隊の別働隊みたいなものが要らないし、またもや登場してきた超能力開発センターみたいなところも要らないんじゃないかしら。

 枝葉ばかり繁らせても、肝心の幹が痩せ細っていたんじゃ結局どうしもないはずなのにね。

 そもそも、ぼくは最初のゴジラシリーズのとき、メカゴジラとかメカキングコングとかが登場してきたとき、いっぺんにゴジラ熱の冷めた人間だ。ぼくは周りの男の子とちがって、機械についてなんの興味もなかった。自動車や電車や飛行機や船といった生き物でない存在にまるで興味がなかったし、強いて挙げれば鉄腕アトムや鉄人28号みたいなロボットか、009のようなサイボーグか、バビル2世のような超人とかにしか関心がなかった。要するに人格を持っているものが好きだった。といっても、怪獣が人格を持っちゃうのは好きじゃなかった。

 ところが、ガメラもそうだったけど、ゴジラもどんどんと人格を持つようになり、平成のゴジラにいたっては顔つきまで乱暴なオヤジ的な表情になってきた。凶暴さを前面に出そうとしていたのかもしれないけど、どうしても知能指数がそれなりにありそうで、動物のような本能によって動く雰囲気がなかったし、また威厳もなくなった。ゴジラがどんどん人間臭くなってきて、かつての旧シリーズのようにちょっと程度の低い正義の味方然とはしないまでも意思めいたものを持つようになっているのが気になっちゃうんだよね。

 まあ、そういう危惧の中にありながら、音楽だけはどんどん凄くなる。伊福部昭、凄すぎるって。前作と今作、それと『ゴジラVSデストロイア』の音楽はほんとに凄い。いかにも堂々としていながら切れがいいんだよね。けど、これくらいしか感動するところがおもいださないのは、ほんと、つらいよ。

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ゴジラvsモスラ

2014年09月13日 13時18分50秒 | 邦画1991~2000年

 ▽ゴジラvsモスラ(1992年 日本 107分)

 英題 Godzilla and Mothra : The Battle for Earth

 staff 監督/大河原孝夫 特技監督/川北紘一 脚本/大森一樹 撮影/岸本正広 美術/酒井賢 バトラ・デザイン/吉田穣 コスモス・コスチューム/出川淳子 衣装/多勢美智子 音楽/伊福部昭 主題歌/コスモス(今村恵子・大沢さやか)『モスラの歌』作詞:田中友幸・関沢新一・本多猪四郎、作曲:古関裕而、編曲:高田弘 挿入歌/コスモス『マハラ・モスラ』『聖なる泉』作詞・作曲・編曲:伊福部昭

 cast 別所哲也 小林聡美 村田雄浩 田中好子 小高恵美 米澤史織 小林昭二 今村恵子 大沢さやか 大竹まこと 篠田三郎 宝田明 黒部進 渡辺哲 大和田伸也 上田耕一 本多俊之

 

 ▽特撮とボク、その55

「もう、パクリはやめましょうよ」

 と、当時の製作陣の中で、悲痛な声は上がらなかったんだろうか。前作が『ターミネーター』で、今度が『インディ・ジョーンズ』とかって、ありえないでしょ。前作の『ゴジラVSキングギドラ』ではスピルバーグ少佐とかいう海軍佐官まで登場させて、いったいどれだけハリウッド好きなんだって感じだったけど、学生の自主製作映画じゃないんだからやっぱりパクったらダメだよね。もしもこれがオマージュとかいうのであれば、もうすこし品の好いオマージュにしなくちゃあかんのじゃないかしら。あ、品の好いってどんなのだよとかって開き直られても困るけど。

 ハイビジョン合成の初採用とか特撮は確実に進歩しているし、音楽もますます厚みを帯びてきて、実をいえば前作から伊福部昭は晩年の大成にいよいよ達しつつあるような見事さだと感じるんだけど、筋立てがね、どうにもね、つらいんだよね。

 ちなみに、黒いモスラことバトラの話なんだけど、バトルモスラの略なんだよとかって話はなんちゅう安直さだと笑い飛ばすしかないからいいとして、もうちょっとまじな話だ。モスラとバトラが二律背反する存在で、しかも地球の摂理が生み出したという自然の守護神的なものだと仮定されるのはかまわないし、その復活と対決する引き金があまりにも安易にインファント島の開発っていう設定はなんなんだよってのはさておくとしても、こうした背景をもった怪獣がふたつ登場して睨み合いの構図をとるのであれば、そこへゴジラが乱入するのは物語をややこしくする以外のなにものでもないような気がするんだけど、どうなんだろ?

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ゴジラvsキングギドラ

2014年09月12日 12時22分33秒 | 邦画1991~2000年

 △ゴジラvsキングギドラ(1991年 日本 102分)

 英題 Godzilla vs. King Ghidora

 staff 脚本・監督/大森一樹 特技監督/川北紘一 撮影/関口芳則 美術/酒井賢 ゴジラザウルス・キングギドラ・ドラット・メカ系デザイン/西川伸司 メカニカルデザイン/青井邦夫 ドラットデザイン/吉田穣 未来人衣装デザイン/出川淳子 衣装/稲毛英一 音楽/伊福部昭

 cast 中川安奈 豊原功補 小高恵美 原田貴和子 佐々木勝彦 小林昭二 佐原健二 時任三郎 森末慎二 風見しんご 黒部進 渡辺哲 山村聡 西岡徳馬 土屋嘉男 上田耕一

 

 △特撮とボク、その54

 タイムマシン物になってしまったばかりか、明らかに『ターミネーター』のパクリとしかおもえないような設定にしてしまったとき、ああ、早くも2度目の末期的症状が始まったのか…とおもった。情けないというより、いや、怒りすら通り越して、絶望的な気分にまでなった。

 まあそれは観るまでもなくわかってたことなんだけど、ぼくは豊原功補を贔屓にしているから仕方がない。よくがんばってここまできたって感じだったし、まさか『多古西応援団』のとっぽい丸サングラスが主演をするまでになったもんだって、ある意味、ご祝儀のような気分で観た。

 けど、これはないわ~。

 あらためて観たとき、なんと中川安奈と共演してた。中川安奈も『敦煌』のときはなんだかごついな~とかおもってたんだけど、同時代のぼくにとってはこちらが勝手に身近に感じてるんだけど、まあこのたびは追悼でもあるし、観た。

 でも、何度観たところで物語は変わらない。

 それこそ、1990年あたりまで時間跳躍して内容を変更してもらわないかぎり変わらない。

 まあ、ゴジラザウルスについてはいい。がまんしよう。この水棲爬虫類から陸上獣類へと進化する過程の生物が呉爾羅大明神として代々崇められてきたとも考えられるわけで、まあ、なんとかがまんできる。ラゴス島の守備隊となんらかの関わりがあったのもいい。水爆実験によってゴジラ化したというのもいい。

 ところが、この生物が時間跳躍してきた連中によってベーリング海に移され、それがもとでソ連の原潜の放射能漏れと元ラゴス島守備隊々長土屋嘉男の帝洋グループの原潜「むさし2号」のわけのわからん目的行動によって結局ゴジラ化しちゃうなんてのはありなのか。なんでそこまで運命づけられなくちゃいけないんだ。かわいそうじゃないか、ゴジラザウルスが。ということは、誰もおもわなかったのかしらね。

 くわえて、やがてキングギドラ化することになるドラットとかいうドラゴンをもじったようなみょうちくりんな名前の愛玩動物の安直さもさることながら、未来人と人型ロボットの陳腐さはどうだろう。そもそもキングギドラの設定は宇宙怪獣で、別の天体の生物って話じゃなかったっけ?

 いいのか、そんなに変えちゃって?

 まあ、物語上、人類を救うべくキングギドラに対抗できるものはゴジラしかありえないとして被曝したゴジラザウルスをより一層狂暴なゴジラとするために原潜を派遣した土屋嘉男とゴジラとの決着は、無言ながら懺悔と陳謝を送る土屋嘉男と、それを受けてみずから決着をつけようとするゴジラの見つめ合いは、それなりの意味をもたせてるんだろうけど、ちょっとね。

 いや、もうゴジラの暴走は止まらないんだろなあ。

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鉄塔 武蔵野線

2014年05月12日 18時59分26秒 | 邦画1991~2000年

 ◎鉄塔 武蔵野線(1997年 日本)

 封切られたときから、観たくて観たくて仕方がなかった。

 でも、観る機会がなかった。

 それが、ようやく観られた。

 伊藤淳史の初主演作であると同時に代表作だとおもうんだけど、

 なんともふしぎな映画で、

 自主製作映画の匂いが濃厚に感じられる映画でもある。

 手づくり感が満載で、ぼくはこういう映画は嫌いじゃない。

 銀林みのるっていう原作者がどういう人かはわからないんだけど、

 鉄塔に興味を持ち、

 ひたすら写真を取り続けていきたいとおもうような、

 そういうこだわりを抱えた人であることはまちがいないわけで、

 なんとなくわかる。

 鉄塔オタクな人々がいるかどうかは知らないものの、

 高圧線が続いていく果てになにがあるんだろうとぼんやりおもい、

 大人だったら「どこかの変電所か発電所だろ」とか結論づけて、

 そのまま思考を停止させちゃうんだろうけど、

 子供の場合はそうはいかない。

 電線の続いている元はどういうところなんだろうとおもうよりも、

 番号の「1」あるいは「0」を観てみたいと素朴におもい、

 そのまま行動にうつしちゃうのが子供だ。

 しかも、

 両親が離婚しそうになってるところへもって、

 ひっこしをしなくちゃいけないなんてことになったら、どうだろう?

 父親は磁力にはとてつもないパワーがあると信じてるし、

 伊藤くんもまた信じてる。

 ふたりは純粋な心を持ちながらも社会にそぐわない人間という共通項を持ってる。

 だから、伊藤くんは父親のことが好きだ。

 でも、母親の手前、どうしても父親に面と向かえない小心さがある。

 だから、伊藤くんとしては磁力のパワーに期待するしかない。

 かれが、子分になってるアキラを連れて、巡礼めいた冒険の旅に出、

 鉄塔の真下にビールの王冠でつくったメダルを埋めていくのは、

 番号「1」もしくは「0」まで至ったときに奇跡が起きるのを信じたからで、

 そのためにも夢中になって自転車を漕いでいく。

 もちろん、途中で、

 ちょっとありえないだろ、みたいな作業員に襲われたりもし、

 いくら子供で、しかも夢中になったとはいえ、

 無計画すぎるだろみたいな感じもあるけど、

 まあ、そのあたりは深く追求しないでおこう。

 ともかく、伊藤くんの祈りは、両親が離婚をおもいとどまることで、

 そのためにぼろぼろになりながらも鉄塔巡礼をしないといけない。

 このあたりは、涙が出るほどに悲しい冒険だ。

 でも、伊藤くんはやりとげることはできない。

 で、別れてまもなく父親が死ぬ。

 離婚をおもいとどまらせていれば、こんな不幸は起きなかったかもしれない。

 まわりは伊藤くんがなんの感情を浮かべていないことに不思議がるかもしれないけど、

 それだけ、この子は自分を表現することが苦手なんだ。

 だから、お葬式だって、かれには上手にできない。

 長崎に引っ越してからアキラにも会っていなかったら、アキラの家にも行く。

 もちろん、アキラに会いたいのもあるけど、それよりアキラのママに会いたい。

 だって、伊藤くんは大人の女性が好きで、

 母親の麻生裕未が父親の連れ合いとはおもえないほど魅力的なもんだから、

 当然、母親のように官能的で魅惑的な大人の女性を求めちゃうのかもしれいけど、

 ともかく、近内仁子の演じるアキラのママは、右の太ももにちょっとした痣があったりして、

 それがまた謎めいた官能を匂わせ、天真爛漫に見えながらも、

 オタク心をくすぐってやまない少女が同居したような魅惑をかもしだしてる。

 そんなアキラのママも、たぶん、アキラをぼろぼろにした伊藤くんを恨みながら、

 どこかに引っ越しちゃってることに、伊藤くんは悲しむわけだけど、

 伊藤くんはそんな悲しみにひたってる閑はない。

 なぜって、かれなりに父親との別れをしないといけないんだから。

 父親を野辺に送るのは鉄塔しかないと伊藤くんはおもうんだな。

 このあたりの不器用さは、ほんとにしみじみ感じられる。

 伊藤くんは出かけ、ふたたび鉄塔を巡礼する。

 これが、伊藤くんなりの野辺の送りだし、

 もしかしたら、奇跡が起きて父親が蘇るかもしれないじゃん。

 でも、変電所っていうとんでもない神殿に至ったとき、絶望するんだ。

 おとうさん助けてとおもったとき、ちいさな奇跡が起きる。

 変電所の草刈にやってきた業者とラーメン屋で遭遇するんだ。

 それはお父さんとふたりでワンタン麺を食べたところで、

 これはまさに死んだお父さんが奇跡を起こしてくれたにちがいない。

 だから、伊藤くんはまるで死んでしまったかのように裸になって、

 棺桶のような竹かごに乗りこんで、トラックの荷台で眼を閉じる。

 伊藤くんは生きているんだろうけど、

 そのときの表情は祈るっていうより父親と心中するみたいな雰囲気になってる。

 いや、まじ、おもしろい映画だった。

 でも、ぼくみたいな解釈をしてる人に、

 ぼくはこれまで出会ったことがない。

 やっぱ、考え過ぎなのかな~?

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四月物語

2014年04月15日 03時13分34秒 | 邦画1991~2000年

 △四月物語(1998年 日本)

 ぼくは、いまでも後悔している。

 大学に入って決めた下宿の場所について、だ。

 なぜかっていえば、大学から遠かったからだ。

 なんせ、2回も乗り換えなくちゃいけなかった。

 まあ、いろいろ理由があってそこにしたんだけど、

 どうして、大学から乗り換え無しで済むところに棲まなかったんだろうって。

 カルチャーショックとかはまるで受けなかったにしては、

 ほんとに、とんまで、なんにも考えていなかった。

 だから、できることなら、もう一度、やりなおしたい。

 桜が満開か、あるいは桜吹雪の中、もう一回、上京して、

 通学するにも、暮らしぶりにも、なにもかも便利な場所に下宿を選び、

 もうすこし充実した大学生活を送り直したい。

 でも、そんなことはできるはずもないんだけどね。

 ま、叶えられない話はさておき、

 なんとも懐かしさがこみ上げる映画ではあった。

 でも同時に、なんとも自主製作映画っぽい作品でもあった。

 1970年代の大学生の青春は、みんな、こんなもんだった。

 大学生のつくる映画も、

 この作品から玄人臭さを抜き取れば、こんなもんだった。

 でも、

 当時の大学生の作品はそれなりに見事なもので、

 玄人はだしの作品はたくさんあった。

 当時と今と違うのは、

 ストーカーという言葉があったかなかったかというだけの話だ。

 けど、まあ、そうした自主製作映画の話はさておき、

 すなおでないぼくは、クソ意地の悪いことを考える。

 この松たか子がどうしようもないへちゃむくれだったら、

(うわ、どうしよ)

 っておもっただろ、田辺誠一。

 田舎で、自分に憧れてるへちゃむくれがいて、

 そいつが半年間も自分の住んでる武蔵野のことばかり考えて、

 国木田独歩なんか読んじゃって、

 現在の武蔵野がどんなところかもわからなくなった夢想の世界に嵌まり込んでて、

 小金井公園や野川公園や武蔵野公園や井の頭公園みたいなところを想像して、

 執念の塊になって武蔵野の大学を受験して、合格して、上京してきて、

 殺風景なビルばかりの武蔵野の中で、

 自分がアルバイトしてる本屋にまでいきなり現れて、

 しかも偶然に雨まで降っちゃって、

 さらに傘を貸してくれる優しいおじさんなんかが都合よく現れて、

 恐ろしいことに、お情けに貸した傘を、じっとりと濡れたまま返しに来たりしたら、

(うわ、どうしよ)

 とかおもうだろ、田辺誠一。

 たまさか、松たか子がまったくストーカーらしくなく可愛い子だったもんだから、

 おもわず鼻の下は長くなっちゃったりするけど、

 これが見るからに危ない感じの隠々滅々のストーカーだったら、

 どうするよ?

 おっそろしいぞ。

 自分に憧れて、死に物狂いで受験して、

 お人好しの集団みたいな家族に見送られて、

 ただひたすら自分とつきあいたいと熱望してる娘が、

 予想もつかない状況下で、突然、目の前に現れてみろ。

 そのへちゃむくれは、

 次の日もまた次の日もさらに次の日も本を買いに来るぞ。

 傘、返しに来るぞ。

 大学でも逃げられず、社会人になっても追いかけられるだろうし、

 ふったりしたら自殺しかねないし、たぶん押し倒されて結婚させられて、

 それから先も、妄想嫉妬のかたまりになって束縛され続けて、

 やがて年老いていくんだぞ。

 どうするよ?

 リリシズムとかいってる場合じゃないぞ。

(だって、松たか子だったら、いいじゃんか)

 たしかに、そうだ。

 それで、この作品世界は成り立ってるんだよね。

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新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

2012年11月30日 22時10分38秒 | 邦画1991~2000年

 ◇新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

 英題 The End of Evangelion

 総監督・脚本 庵野秀明

 出演 緒方恵美、三石琴乃、林原めぐみ、宮村優子

 

 ◇結局、シンジの内面世界

 Airの出だしからDNA状のクレジットタイトルがローリングされてきたまではリアルさが感じられて好かった。

 だが、いやもうこうするよりほかになかったのかもしれないんだけど、とどのつまり、TVシリーズのような内面世界の話に終始し、だからといって謎というより疑問が解明されないまま時が流れ、尻切れトンボのようなそうでないような、きわめて結論づけるのが難しいラストでは、いいたくないのだけれども、ある意味、肩透かしを食らってしまったのではないかという気分になってしまうのは致し方ないかもしれない。

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新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生

2012年11月29日 01時00分03秒 | 邦画1991~2000年

 ◇新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生(1997年 日本 99分)

 監督 庵野秀明

 出演 緒方恵美、三石琴乃、林原めぐみ、宮村優子

 

 ◇群像の独白

 主要人物達のモノローグを凝縮したような構成と積み重ね。

 なので、その展開の速さと違っていそうで実は皆同じベクトルを持っている為に理解し辛い部分があるのは困る。

 いや、それよりなにより独立した作品として完成してないように見えるのも困る。

 10年くらいしたら、ほんとうの完全版が制作されるような気がしないでもないんだけど、どうだろうね?

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フェアリーテイル

2010年07月05日 23時21分37秒 | 邦画1991~2000年

 ◎フェアリーテイル(FairyTale: A True Story)1998年

 

 コティングリー妖精事件。

 写真の真贋に限らず、真実は客観ではなく主観の中に存在するという話。

 妖精好きな亡き息子を忘れられない母、兄の憧れの妖精を求める妹、父を待つ従妹の自立の物語で、コナン・ドイル役のピーター・オトゥールは好演してるなあ。

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